第6話 婚約者

 手紙を送ってくれた彼――トマス・ストークス子爵令息は、私の婚約者だ。

 

 彼はストークス子爵家の長男であり嫡男である。私より3歳上で現在学園に通い、領地経営科で勉学に励んでいた。

 彼は、勤勉かつ真面目な好青年。以前一度だけ彼の妹が私の屋敷に訪れてくれた時教えてもらったのだが、学園でも上位の成績を常に取っているらしい。本人は照れくさいのか滅多にそんな話をしてくれないが。


 彼と婚約が結ばれたのは、私が領地療養をしている時だ。

 領地に来て半年程経ったころ、より販路を広げるために子爵が我が家と提携しないか、と持ちかけてきたそうだ。

 その時私は領地お抱えのお医者様に「健康体」である、とお墨付きを得ていたこともあり、両家は提携の証としてトマスの婚約者として私を選んだのである。

 

 子爵家は我が領地に隣接している場所にあるのだが、平地が少なく山脈が多いため、山地酪農が税収のメインとなっている。対して我がアゲット家は緩やかな丘陵が多いため果物を育てており、特にワインに力を入れている。


 現在でも両家が協力して我が家のワインに合うチーズを商品開発してもらったり、ワインの搾りかすを子爵家に提供し、動物の飼料にしてみたりと双方で試行錯誤をしている。

 

 

 私が領地で暮らしていたころ、彼はよく遊びにきてくれたものだ。

 実は領地にある我が屋敷と、子爵家の屋敷は馬でかければ、半日もかからずに着く。トマスは乗馬の練習と定期報告を兼ねて、婚約後は1ヶ月に数度我が家を尋ねてくれたこともあった。それは彼が王都に行くまで続いた。


 最初は素敵なお兄さんという印象だったが、報告に来た際は毎回必ず一緒に乗馬をしてくれたり、勉強でわからないところを教えてくれたり、多忙にもかかわらず私がお勧めした本は読んでくれ、その本の感想を言い合ったり……好きにならないわけがなかった。


 極めつきは療養期間に一度だけ風邪をひいた事があるのだが、馬を走らせて見舞いに来てくれたのである。その上「元気になるように」と、子爵家から持参した牛乳で、私のために牛乳粥を作ってくれたのだ。

 

 だから私が体調を崩した時、本気で心配してくれるのは兄以外では彼だけだと思っている。本当は彼が見舞いに来て欲しいと思っているのだが……それを拒んでいるのが両親だった。

 

 以前体調を崩した際、トマスがお見舞いに駆けつけてくれた時があった。

 最初はただの風邪かと思っていたが、子どもの頃と同じような症状だったため、以前からお世話になっていたお医者様に「原因不明の病ではないか」と診断されたのだ。


 最初は風邪だと判断されていたためトマスが部屋に入ってお見舞いに来ていたのだが、それ以降は「原因不明の病を婚約者にうつす可能性があるため」と両親が彼を部屋に入れなかったのだ。

 私もその話を聞いて、それは仕方のない事だと納得した。むしろ両親が相手を気遣うなんて……と感謝を述べた程だったのだが……問題はトマスが見舞いを遠慮したその後だった。


 私が体調を崩すたびに、公爵令息様が私を見舞い始めたのだ。

 

 最初は私が回復する前に公爵令息様が帰宅してしまったので、私も来ている事すら知らなかった。だが、ある日目を開けると、ちょうど私の顔を覗いていた公爵令息様と視線が合ってしまったのだ。

 その後、彼の口から直々に何度かお見舞いに来ていた旨を聞かされ、両親に対して怒りをぶつけたのだが、最終的に彼らが聞く耳を持つ事はなかった。

 

 

 それもあり、彼は翌日お見舞いに来るか、来られない場合は手紙や贈り物を届けてくれる。

 それは症状が発症した日の夕方にいつも届くし、返事も既に送っているはずだった。また手紙が届くのは珍しい――もしかして、返事が届いていないのだろうか、と勘繰ってしまう。

 

 首を捻りながら手紙を読んでいたが、手紙を見る限り返事は届いていたようで、胸をホッと撫で下ろした。文面は返事に対するお礼と外出のお誘いの旨が書かれていた。

 

 日付は明後日。元々予定が入っていたと聞いたが、急遽それが取りやめになったらしい。気分転換にどうか、と書かれている。

 私は喜びのあまり、すぐに了承の返事を送ろうと筆を取ろうとしたが、念の為予定を確認しなければならない。


 この時間であれば、父は執務室にいるだろう。そう当たりをつけて私は執務室へ向かった。

 今まで公爵令息様の事で悩んだり、兄へと手紙が届かない事に悩んでいたり……と気分が重かったため、トマスに会えるのは非常に楽しみで、自然と足取りも軽くなる。


 逸る気持ちのまま早足になっていたので、すぐに執務室に到着した。上機嫌なまま私は執務室の扉を叩こうとしたところで、両親の話し声が聞こえたので叩こうとしていた右手を下ろした。

 なんとなく聞こえる両親の声が普段とは違い真剣なので、重要な案件なのだろうと思った私は、出直すため踵を返したその時――。



「ストークス子爵令息との婚約を考え直すべきだろう」

 


 まず自分の耳を疑った。

 婚約者同士も仲睦まじく(と私は思っているが)、業務提携もうまくいっているはずであり、今はまだ婚約白紙にする理由などない……と思っている私に追い打ちをかけるように、彼女の母の声も聞こえてきた。



「そうねぇ。アパタオ、子爵家の様子は?」

「ストークス領で生産されているチーズや肉の売れ行きは悪くありませんが、我が領地のワインの売れ行きと比べると、数段劣ります」

「これも我が家のワインが王家御用達に選ばれる可能性が見えてきたからだろうな。我が家のワインが認められれば、もう子爵家との提携は必要なくなるかもしれん。子爵家のチーズが認められればまだしも……」

「そうですわね。我が家の足を引っ張るお荷物は要りませんものね」



 そういえば以前両親と食事をしていた時、子爵家のチーズと提携したワインの売れ行きが良い、という話は聞いていた。

 その時上機嫌で話していたものだから、てっきりワインとチーズ双方の売れ行きが良いのかと思っていたのだが……そうではなかったらしい。

 この件をお兄様は知っているのだろうか。

 


「もう少し様子を見てからではあるが、婚約を白紙にして改めて仕切り直すか」

「それもありかもしれないわね。アレクサンドル様もこの件については胸を痛めているみたいだし」

「あの子の将来はアレクサンドル様に委ねれば、我が家も間違いないだろうしな」



 上機嫌で笑い合う両親の会話を聞いて、私は思わず足から力が抜けた。両親はトマスと婚約を白紙にして、私を公爵令息様の愛人にさせたいのだろうか。改めて突きつけられた事実に、目の前が真っ暗になった。



 ふと気づけば部屋にいた。執務室からどうやって自分の部屋に戻ってきたのかはわからない。それほどショックを受けていたのだろう。


 勿論、両親に「婚約は白紙だ」と言われたら受け入れる他ない。下位貴族とは言え、腐っても貴族令嬢なのだ。そこはきちんと理解しているつもりだ。

 だが理解しているからと言って、すぐに割り切る事ができるかと言ったら私には無理だった。


 彼の優しさや誠実さに触れすぎたのだ。彼と婚約していた長い年月が、私の気持ちの乖離を生んでいる。

 

 私は机上にあるトマスからの手紙を見て、何故執務室へ向かったのかを思い出す。流石にあの話を聞いた後で、顔を合わせたいとは思わないのでネリーを呼び、父に日程が空いているかどうかを確認するよう依頼した。


 ネリーの迅速な行動で、外出についての許可はすぐに降りた。手紙を書き終え、封に入れて窓から外を見れば、まだ日が落ちる時間には早そうだ。

 私が鍵付きの引き出しを開けると、そこには角が燃えてしまった手紙が入れてある。最初に送ったのは二度目である、という文面を付け加えた後に同様の内容で手紙を認め、封筒に入れた。


 一通はトマスへの手紙、もう一通はお兄様への手紙だ。

 お兄様宛の手紙には、封筒に少しだけ細工をつけておく。万が一処分箱に紛れても見つけやすいようにだ。

 

 これで両方の返事が届きますように、と願った。願った上で、ネリーに手紙を送るよう依頼した。


 そして翌日。

 昼過ぎ頃にトマスから「楽しみにしている」と返信が届く。無事に一通は届いたらしい。この調子でお兄様への手紙も届いていれば……と思ったが、その願いは叶わなかった。


 昨日送ったはずの手紙が焼却炉行きの箱の中に入っているところを見つけたのだ。封筒の右下と左下に黒い点を付けておいたのだが、右下に付けたそれが見えたのだ。

 

 私がお兄様と連絡を取り合う事を問題視するのは誰だろうか、と考えて一番に両親が頭に浮かぶ。そして両親が言っていた「婚約白紙」という言葉も頭の中でぐるぐると渦巻いている。

 令嬢としてのあり方と自分の気持ちが大きくかけ離れた状態のまま、当日を迎えてしまった。


 

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