第4話 手紙

 両親を見限った私は、自ら動こうと決めた。


 完全に身体が動くようになり遅めの昼食兼夜食を摂った夕方頃、私は机に座る。

 

 まず実害を被っている公爵令息様の婚約者であるアシュリー・サンタマリア侯爵令嬢に宛てて手紙を認め、謝罪をすべきだろうか。

 そう思って便箋を机の上に広げたところで、ふとサイドテーブルに仕舞い込んだ紙の存在を思い出し取り出した。


 やはり、最初の名前はアシュリー、と書いたのだろうと読み取る事ができるが、ここに来て憶測で手紙を出して良いものか……と私は考え始めた。


 もし本当にアシュリー様との逢瀬を取り止めていたとして。私のような下級貴族が手紙を出して相手にしてくれるだろうか。

 もしアシュリー様とは違う人に宛てた手紙だったとしたら……どちらにしても、私一人で対処できるとは思えない。


 ならば領地にいる兄へ先に相談しよう、と思った。


 そもそも令嬢であり、身体が弱いとされている私が何かを訴えたところで、彼らを動かすだけの力はない。

 私の考えに賛同してくれる味方が必要だ。その味方とは、現在領地で次期男爵として手腕を振るっている私のお兄様である、ザカリー・アゲットだ。


 お兄様は私の4歳上。

 私が領地療養から戻ると同時に王都にある学園を卒業し、数日間私と顔を合わせた後、領地経営のために戻っているので、今この屋敷にはいない。

 

 真面目で努力家のお兄様ではあるのだが、彼の表情は常に眉間に皺を寄せて顰めっ面であるため誤解されがちだった。特に両親は自分たちの子どもであるにも拘らず、お兄様を避けている。

 よくあの両親から、真面目で領民想いのお兄様が生まれたなあ、と感心するくらいだ。


 王都ではあまり話す機会もなかったが、お兄様は私のことをよく気にかけてくれていた。


 彼が領地へ帰る際も、「何かあれば手紙で報告して欲しい」と言われたので、実は二度ほど手紙を認めて領地へ送っている。一通目は病気を患った旨を、二通目は公爵令息様の件で、だ。

 一通目は励ましの手紙が届いたのだが、二通目は返信が未だに来ていない。新年明けた時期だったので、きっと多忙により手紙を読んでいないのかも知れない、と判断した私は、もう少し自力で頑張ってこの状況を改善する事にしたのだ。


 結果が今の状態だったが。


 全てを認めたわけではないが、現状を書いた文面を何度も読み返して封をする。そして丁度空いた食器を取りに来ていたネリーに手紙を投函するように預けたのである。

 


 

 それから数日経ったが、お兄様からの返信は届かなかった。

 お兄様であれば、この内容に反応するだろうと思ったのだが……。


 手紙が届いていないのか、読まれていないのか。

 どことなく不安になった私は、気分転換に屋敷の庭を散歩していた。外の空気を吸って頭を切り替えようとしたにもかかわらず、考える事はお兄様宛の手紙についてだ。


 再度手紙を認めるべきなのか……でも、もし返事を書いている途中だったら……。

 そんな考えが頭を堂々巡りしていた時、ふと何かが焦げる匂いが鼻についた。

 

 俯いていた私が思わず顔を上げて周囲を見ると、陽の光の当たらない、足元の草は鬱蒼と生い茂っている細道を歩いていた。確かこの奥には焼却炉が置かれているはずだ。危険だから近づかないように、とアパタオに言われていた事を思い出す。


 言いつけを守るために踵を返そうと私は背を向けたのだが、その瞬間焼却炉の方向から突風が吹き荒れる。突風はすぐに止み、パチパチと火が爆ぜる音だけが聞こえてきた。

 背中からの風の勢いに呆然としていた私だったが、歩みを進めようとする前に白いものがひらひらと落ちてきた事に気がついた。


 それは一通の手紙だった。

 使われているのは我が家で当たり前に使われている封筒だ。焼却炉は大抵期限が切れた書類などを処分する事が多かったので、手紙が処理されるのは珍しいな、なんてその時は思っていた。


 誰かが手紙を出そうとして書き損じたのかも……確かに内容が重要案件であるなら、焼却炉での処分も理解できる。

 丁度炉に入れようとした時に、突風が吹いたのだろう。封筒の角は焦げているが、幸い中の手紙は燃えていないようだ。


 私は処分されようとしている手紙を読む趣味はない。人の書いた手紙を読むのは、相手が知らなかったとしても気分の良い事ではないだろうと思うから。


 そう考えて私は手紙を封筒から出さなかったのだが、ふと何を思ったのか……何気なく裏返して――。

 

 

「すみません、そちらに紙が……あれ、その姿はお嬢様ですかい?」

「ああ、爺。いつもお疲れ様」



 私は爺に声をかけられて、思わず手に取っていた手紙を折りたたみ、見えないように胸にしまってから振り返る。

 

 爺はいつものように麦わら帽子を被り、汗を袖で拭きながら驚いたような顔でこちらを見ていた。彼は本名ニックと言い、この屋敷の庭師で私を孫のように可愛がってくれる。


 

「珍しいですのぉ。こちらにいらっしゃるのは」



 爺とは庭でよく話すが、焼却炉近くで話した事は一度もない。私も以前アパタオに怒られた時からこの道は通らないようにしていたので、ここで爺と会うのは初めてだった。


 

「考え事をして歩いていたら、いつの間にかここに来ていたの。アパタオには内緒にしてもらえる?」

「そうですな。焼却炉には来ていませんからな」



 ここに来たのは偶然だ、と言えば納得したような顔で頷く爺。「内緒にしておきますぞ」といたずらっ子のような表情を見せる。


 

「ですが、ここも危険ですから戻っていただいた方が宜しいと思いますなぁ」

「ええ、丁度戻ろうと思っていたところだったの」

「なら問題ありませんな。お気をつけてくださいのぉ」



 そうして別れようと踵を返した時、後ろから「そうじゃ、そうじゃ」と爺が私を呼び止めた。

 


「お嬢様、お聞きしたい事がありましてな。先程の突風で何かこちらに飛んできませんでしたかね?」

「……ううん、私は見ていないわよ」



 多分爺が言っているのは、あの手紙の事だろう。あの手紙は内容を確認しなくてはならないものだ。ここで爺に取られるわけにはいかない。……ちゃんと涼しい顔ができているだろうか。


 無言の時間が続く。その時間は永遠に続くのではないか、と思えるくらいに時間の進みがゆっくりに思えた。いつの間にか背中には冷や汗をかいている。


 

「そうでしたか、それじゃあ後でゆっくり探してみますかねぇ。お嬢様もここは危険ですから、お戻りくださいな」

「ええ、お仕事のお邪魔をしないよう帰るわね」

 


 そんな私の動揺に気づかなかったのか、見逃してくれたのかは分からないが、私は爺に手を振る。爺は「お気をつけてくださいのぉ」と言いながら、私に背を向けて焼却炉へ向かっていった。


 私はその背を見送った後、すぐに歩き出す。

 最初は普段通りの速さで歩いていたが、だんだん早足になっている事に途中で気づいた。


 爺に嘘をついた罪悪感もあるのだろうが……まるで自分が悪事を働いているかのように、胸がドキドキと煩い。部屋に帰る途中、何人かの使用人とすれ違ったのだが、彼らに不審がられていないか気が気でなかった。

 


 だが、彼に嘘を付いてでも拾った手紙は自分が持つべきだと思ったのだ。

 その手紙は数日前に送ったはずの兄宛の手紙だったのだから――。

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