第44話 エピローグ
光はドアの前でため息をついた。
少し、憂鬱だ。
心臓が早鐘を打っている……ということはないが、緊張なら少ししているかもしれない。
自分がもう少し社交的であれば、こんな思いはしないで済むのだろう。
しかし、生まれつきの性格なので今更変えられるはずもなかった。
中学校のそれよりも少し新しいドアを見つめる。
人見知りにとって、始業式は辛い。
話したこともない、新しいクラスメイト。
自己紹介という、考えるだけで嫌になってくる大嫌いなイベント。
思うだけで、心が沈むというものだ。
ため息をつきたくなる。
”ため息ついたら幸せ逃げちゃうよ”
しかし、零華に言われた言葉を思い出し、それをぐっとこらえた。
さっき靴箱で見た時計は、7時50分を示していた。
そんなに急がなくとも、遅刻にはならない。
しかし、それはそれとして教室の前で突っ立っているのもどうかと思う。
おとなしく教室に入るよりも、そっちのほうが数倍悪目立ちしそうだ。
光は観念して、ドアを開けた。
ガラッとドアが開く音が響く。
クラス中の視線が一気に集まる……が、みんなすぐに興味をなくしたように各々のグループで話し出す。
……なぜもうグループができているのか。
そんな怖いことは考えないでおこう。
光は自分の席に向かい、バッグを床に置いて椅子に腰を下ろした。
伸びをする。
この後の自己紹介が、ちょっと……いや、かなり憂鬱だ。
でも、きっと、どうにかなるだろう。
そう思えるくらいには、余裕がある。
今日は始業式。
光が大嫌いなイベントだ。
しかし、今年の光は一味違う。
高校3年生のスタートを切るこのイベントを、余裕をもって迎えられそうなのは、彼女のおかげだろう。
光は顔を上げて、辺りを見渡す。
そして零華を見つけて、にこりと笑みを浮かべた。
零華もこちらを見て、微笑みちいさく手を上げる。
最近の学校での距離感は、こんな感じだ。
2年の夏休み明けに零華が、光とは家族ぐるみで仲が良いことを公表した。
”学園の完璧美人に、幼馴染がいる”
その噂は瞬く間に学校中に広がった。
最初のうちは、数多の妬みや嫉妬、好奇の目に晒された。
しかし、学校で過度に関わらなかったのが功を奏したのか、それとも慣れなのか、詳しいところは分からないが、ともかく光が注目されることは減った。
……零華と光が付き合っていると知られたら、どんなことになるのだろうか。
ほんの少し気になりはするが、まだ、それを明かす勇気はない。
でも、それはそれでよいのではないか。
二の轍を踏むリスクをわざわざ背負う必要もないと思う。
……もちろん、零華が学校でも一緒にいたいというならば、迷いなくそうするが。
友達と話し始めた零華から目を離し、頬杖をついた。
「……にやけちゃってるよ、光。」
呆れを含んだ声が、上から降ってくる。
零華の声程ではない……が、かなり聞きなれた声だ。
”朝からいちゃつきやがって……”
そんな呆れは感じられるが、敵意は微塵も感じられない。
……というか、にやけてたって本当だろうか。
光は表情を引き締めた。
「にやけてないけど。」
わざと、若干低めの声を出す。
凛久がふっと鼻で笑った。
まっっったく、悪びれない。
光は凛久を見上げた。
凛久と出会って、2年以上が経った。
なんだかんだいい奴で、この学園で唯一光と零華の関係を知っている人間でもある。
零華といい凛久といい、3年間同じクラスになれたのは本当に運が良かった。
心の中で感謝する。
……絶対に、少なくとも凛久には絶対に言ってやらないけれど。
零華に目をやる。
ふと、なんだか、既視感があるなと思う。
少し考えて、中学3年生の時の始業式と状況が似ていることに気が付いた。
あの時は、零華が、しゃべりかけてきてくれたんだっけ。
そう思いだして、凛久を見る。
……流石に、グレードがダウンしているかもしれない。
わざわざ話しかけてくれた何の罪もない親友に、そんな失礼極まりないことを思った。
「……今、絶対失礼なこと考えたでしょ。」
相変わらず察しがいい凛久を誤魔化しながら、光はもう一度零華を見た。
あの時よりも、遠い距離。
あの時よりも、他人行儀な態度。
だけど、本当の意味では、あの時よりも近い。
ふふっと笑みを浮かべる。
今日は、一緒に何を作ろうか。
マカロンを作ったことをきっかけに料理に興味を持った零華と、最近は一緒に料理をするようになった。
毎日が、楽しくて幸せで。
「ねぇ、光……ちょっと気持ち悪いかも……。」
……表情を引き締める。
毎日が楽しくて幸せで、いつまでも続いてほしいと思う。
いや、いつまでも続かせようと思う。
零華を、幸せにしたい。
そう言ったら、零華は何というだろうか。
もう幸せだというだろうか。
だとしたら、もっと幸せにしたいと思う。
そんなちょっと馬鹿なことを思ってしまうくらいには、零華のことが好きだ。
頬が、緩むのを感じる。
これから何があるかは分からない。
でも、これまでそうであったように、これからも零華は唯一無二の幼馴染で。
そして、唯一無二の大切な人なのだろう。
なんとなく、そんな気がした。
この調子ならば、自己紹介も何とか乗り越えられるだろう。
「俺、今無敵だよ。」
「急にどうしたの光。」
「空も飛べる気がする」
「……保健室行く?」
凛久と冗談を言い合いつつ、光は窓から外を見つめた。
開け放した窓から、爽やかで、胸がすくような心地よい風が吹きこむ。
その風を受けて、光も零華も目を細めた。
完璧美人。
そんな異名を持つ少女とその幼馴染の少年は、これからも二人で、人生という物語を紡いでいくのだろう。
そんなことを予言するような、晴れ渡った春の空だった。
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