第43話 告白

 光は、目を丸くした零華を見つめた。


 何度見ても、その浴衣姿はあまりにも綺麗で。


 自分のために頑張ってくれた事実に嬉しくなる一方で、少しだけ……ほんの少しだけ、漠然とした不安も頭をよぎってしまう。


 でも、それでも、ここで止まるわけにはいかない。

 ここまで来たら、言うしかない。


 何年も隠してきた気持ちを。


 何度も捨てようとした気持ちを。


 零華に、真正面からぶつけるしかない。


 どくんどくんとうるさく鳴っているはずの心臓の音も、聞こえない。


 周りに数組いたカップルも、夜空に瞬く星々も、光の目には入っていなかった。


 光の瞳には、零華ただ一人が、映っていた。


 零華は、どうなのだろうか。


 その目を見つめて、思う。


 こちらをまっすぐ見つめるその瞳には、ちゃんと光が映ってくれているだろうか。


 ……いや、映ってくれると信じるしかない。


 光は小さく息を吸った。


 目の前の、綺麗な……それでいて、可愛くて……そしてどうしようもないほどに愛おしい顔を見つめる。


 どこか潤んでいる、その綺麗な瞳が。


 長く繊細なまつ毛が。


 きめ細やかな肌が。


 形の良い、薄めの唇が。


 さらりと流れるその髪が。


 安心するような、それでいて光の心臓を暴れさせるような、甘い香りが。


 愛おしくて。

 抱きしめたくて。


 今、光の目には、綺麗な感情も汚い感情も、全部浮かんでしまっているのだと思う。


 だめだとは思うのだけれど。


 零華には見せられないと思うのだけれど。


 でも、どうしても、目を離せなくて。




「好きです。付き合ってください。」




 そんな常套句が、自然と口から零れ落ちていた。


 胸が、ぎゅっと締め付けられた。


 自分が、どうしようもなく零華を想っていることを改めて感じる。


 その感情は、恋と呼べるような綺麗な感情かも怪しかった。


 でも、光は間違いなく、誰よりも零華のことを大切に想っていた。


 言葉に出したからだろうか。

 目の前の零華が、今までよりもっともっと、どうしようもなく愛おしい。

 

 でも、それと同じくらい不安で。

 なんと返されるか、途方もなく不安で。


 胸が苦しくて、熱くて、でもこの感覚は嫌いじゃなくて。


 どんな顔をしていいか分からなくなる。


 光は零華の瞳を見つめた。


 丸くなっていた零華の瞳が、やがて細まり弧を描いた。


 その頬は、りんごのように真っ赤で。


 照れたようにすこし歯を見せて笑うその顔から、目を離せない。


 今更……本当に今更、心臓が暴れていることに気づく。


 手に、汗を握る。


 永遠にも思える短い沈黙の後、零華が口を開いた。


「……私も好きだよ。光。」


 世界が、止まった気がした。

 

 あたりの音も聞こえなくて。

 零華以外、何も見えない。


 そんな世界で、目を丸くして零華を見つめる。


「だから、私からも言わせて。」


 確かに一瞬止まったように思えた世界が、零華の声で再び動き出す。

 そんなありえないことを思ってしまうほどに、何度も諦めたはずの……長いことありえないと思っていたことが起こっていた。


「光、私と付き合ってください。」


 零華が、頭を下げた。


 光はそれを、呆然として見つめた。


 もちろん、そのつもりで来た。

 ある程度の自信も持って来た。


 でも、いざ上手くいくと、夢ではないかと思ってしまう。


 しかし、どう考えても、これは夢などではなくて。


 零華の言葉を、キャパオーバーしかけた頭でどうにか理解する。


 答えは、もちろん、言うまでもなく決まっていた。


「うん、こちらこそよろしく……!」


 少しかすれた声でそう言うと、下げられていた零華の顔が、ゆっくりと上がった。


 目と目が、合う。


 なんだか、実感が湧かない。


 あまりにもスムーズにいきすぎて、夢じゃないかと何度も思ってしまう。


 そんな気持ちが零華に伝わったのだろうか。


 その目が、さっきとは違って少し不満げに細められた。


「ねえ、光。」


 零華が、こちらに一歩踏み出す。


 鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離だ。

 零華の方が少し背が低いため、見下ろす形になって落ち着かない。


 ……長い付き合いではあるけれど、ここまで顔を近づけたのは初めてかもしれない。


 心臓がありえないほど早鐘を打っている。


 その動揺を読み取ったのか、零華は小さく、満足げにほほ笑んだ。


「光。目つぶって。」


 言われるがままに目をつぶる。


 それは、あっという間の出来事だった。

 避ける暇も止める暇も、準備する暇もなかった。


 ふわりと零華の香りが鼻腔をくすぐり、どこまでも柔らかい何かが唇に触れた。


 頭の芯を溶かしてしまいそうな、幸せに包まれて。


 コンマ数秒遅れて、唇に触れる感触を……零華の行動を、理解する。


 あまりの動揺から、思わず頭を引こうとした。

 しかし後頭部に回された零華の手がそれを許してはくれない。


 逃げ場などはなかった。


 容赦なく、零華の唇が光の脳を溶かす。


 それはあまりにも……危険なほどに、幸せな感覚だった。


 ド~ン、と腹の底に響く重低音が響いた。


 それを合図にしたように、唇が離れる。


 薄く目を開けると、明るい光に照らされた、照れたような零華と目が合った。


 その綺麗な瞳が、何かを見つけたように上を向く。


「あ、花火だ。」


 光はぱちりと瞬きをして、そして思い出したように頭上を見上げた。


 瞬く星と、明るく大きな月。


 そんないつもの夜の風景に、重低音と共に大輪の花火が咲いている。


 いつから上がり出したのだろう。


 そんなことも分からないくらいに、集中していたのか。


 少し気恥しくなって、零華に目を戻す。


 零華はまだ、空を見上げていた。


 思わず、その形の良い柔らかそうな……いや、柔らかい唇に目が吸い寄せられる。


 つい数秒前のことを思い出して、どく、どくと心臓がうるさく鳴り響く。


「零華。」


 思わず、その名前を読んでしまった。


「どうしたの?」


 ……変に思われないだろうか。


 少し不安を覚えるが、しかし……。


 光はその背中に腕を回し、零華を抱きしめた。


 何かを感じ取ったらしい零華が、腕の中で身じろぎする。


「好きだよ、光。」


 優しく、そう言われる。


 なんだか構ってもらったような形になったのが、嬉しくて、恥ずかしい。


 照れ隠しのように、真っ赤な顔で零華を眺めた。


 心臓が、跳ねた。


 頭の中に、一つのセリフが、思い浮かぶ。


 自分でも、重すぎるしクサいセリフだと思う。


 これを言ってしまったら、羞恥で消えたくなるに違いない。


 でも。


 光は、少し体を離して零華を見つめた。


「愛してる……っ……。」


 囁くように、言う。


 言い終わらないうちから、途方もない羞恥心が心を満たした。


 零華が、動揺しているのが見て取れる。


 でも、まだ終わってあげない。


 光は襲い掛かる羞恥を無視して、微笑んで。


 零華の、唇に。


 柔らかく、紅いその唇に。


 自分の唇を、そっと重ねた。

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