第42話 花火

 光は柵に寄りかかって、前を眺めた。


 花火大会の会場からは少し離れた、小高い丘の上。

 そこに今、二人は居た。


「わぁ、すごい……!」


 目をまん丸にして、零華がつぶやく。


 確かに、圧巻だった。


 大都市のそれと比べれば見劣りするだろうが、それでも綺麗な夜景。

 少し離れたところでは、祭りの灯がひときわ輝いている。


 遠くに見える山々は深い紺色に沈んでおり、その輪郭ははっきりしない。

 

 空を見上げると、頭上に瞬く星たちが先ほどよりも数を増していることが分かった。


 ここからなら、遮るものもなく花火を堪能できるだろう。


 光は心の中で、この穴場スポットを教えてくれた両親に感謝した。

 

 あたりを見渡すと、カップルや夫婦らしき二人組がちらほらと居るだけで、その数は会場とは比べ物にならない。


 人が多いところは、苦手だ。

 それにあれだけ人が密集していると、きちんと花火を見れるかも怪しかった。


”もう暗いから”


 そんな口実で握った零華の手を、握りなおす。


 そして繋いでいない方の手で時計を確認した。


 時計の針は、花火打ち上げ7分前を告げていた。


「ちょうど良かったかも。」


 何気なく、零華に言った。


 満腹すぎて動けなくなった時は焦ったが、どうにか間に合ったようだ。


 これで遅れていたら、本当に笑えなかった。


 少しホッとして、零華を見る。


「じゃ、もうすぐ打ち上げなの?」


 零華に、そう言われて。


 ハッとする。


 ただ、確認するように質問されただけなのに。

 

 自分がこれから何をしようとしているかを思い出してしまう。


 手に、じわりと汗が浮かぶ。

 今更、心臓がうるさく鳴りはじめる。


 告白。


 この後するつもりの、その行為。


 考えるだけで、どっと緊張が押し寄せてくるようだ。


「うん」


 なんでもないように返事しようとするが、少し声がかすれた。


 ……気付かれないといいけど。

 思ったのだけど、そうはいかなくて。


「どうしたの?」

 

 零華に言われて、その顔にちらりと目をやった。


 長年一緒に居たからか、気付かれたくない異変にまで気づかれてしまう。


 しかしそれは光も同じだから、なんとも言えない。


 零華の少し眉を下げた表情からは心配が読み取れて、なんだか申し訳なくなる。


 ……まさか、”今から告白するのが怖くて尻込みしている”なんて言えるわけもない。


「なんでもないよ。」


 平気な顔をして言うが、嘘だ。

 心臓は暴れまくっているし、頭の中はぐちゃぐちゃになっている。

 

 でも、今それを言うわけにはいかなくて。


「そっか。」


 あまり納得していなさそうな零華の様子に、ちょっとした罪悪感を覚えた。


 零華の横顔を、盗み見る。


 ……拗ねてる?

 

 口を少し尖らせて、零華は景色を眺めている。


 その表情は、どこか不貞腐れているようで。


 どうしたものかと、光は気をもんだ。


 もう、いっそのこと、今告白しようか。


 そんな考えまで頭をよぎる。


 しかし……。


「ねえ、光。」


 心臓が、大きく飛び跳ねた。


 ぱっと零華を見るが、その顔は手に隠れて見えない。


 でも、その声色が、少し……ほんの少し大人びているように聞こえたのは気のせいではないだろう。


「何回も、一緒に花火見たね。」


 その声色から、負の感情は読み取れない。


 でも、そのセリフが何を意味しているのかが全く分からなくて。


「……うん。」


 ほんの少しの不安を抱えつつ、光は返事をした。


「いつも、私が綿菓子を買って、光がチョコバナナを買ってた。」


「うん。」


 零華は、果たして何を言いたいのだろう。

 

 分からないまま、相槌を打つ。


「ほんとに、何回も来たね。」


 零華がふぅと息をついて、こちらを向いた。


 目が合う。


 その顔にふわりと、大輪の花のような、花火のような笑みが咲いた。


 思わず言葉を失って惚けたようにその顔を見つめる。


「でも、こんな風に二人で来るのは初めてでさ。」


 言葉を切って、零華は少し眉を下げた。


「不安もあったんだ。」


 零華も、不安だったのか。


 その顔をみながら、思う。


 ついこの間、本音をさらけ出したばかりなのだ。

 もっと言うならば、数カ月まともに話していなかったのだ。


 冷静になってから、光と同じように不安になっていたっておかしくない。


「でも。」


 零華が少し首を傾ける。


 その顔に、再び笑みが咲いた。


「今日、すごく楽しかったんだ。」


 どくんと心臓が跳ねる。


 その顔から、目が離せなくなる。


「だから、光……ありがとう。」


 少し照れたようなその顔から、目が離せない。


「零華。」


 思わず、その名前を呼ぶ。


 暖かな愛情と、締め付けるような恋慕と、切なく暗く零華を欲する独占欲と。

 綺麗な感情も汚い感情も、一緒くたに混ざり合って光の胸に鈍い痛みをもたらす。


「……ずっと、怖かったんだ。近づいたら、離れてしまいそうだったから。」


 胸の痛みを噛みしめて、その痛みをゆっくりと言葉にする。


「でも、やっぱり近づきたいんだってこの前気付いた。ずっと、零華のすぐそばにいたいってやっと気づいたんだ。」


 ふぅ、と息を吐き出した。


「うん……私も。」


 零華が、小さく言った。


 それだけで、心が満たされる。

 そして鼓動が早くなる。


「この12年、零華といろんな所に行って、いろんなことをした。」


 思えば、記憶のいたるところに零華がいて。


 数えきれないほどの零華との思い出が、光の頭の中に根付いているのが分かる。


 ……零華から離れようだなんて、どだい無理な話だったのだろう。


 一度根付いた植物は、ちょっとやそっとのことでは消えはしない。


 引き抜かれたって、一粒の種が落ちてしまったり、根が残ってしまったり、そんな些細なきっかけでまた生えてくる。


 それと同じように、光の頭の中にある無数の零華との記憶が完全に消えることなど、ありえないのだ。


 忘れられないまま過去のことを引きずり続ける苦しさは、この2年間いやというほど味わってきた。


 ……本当に、零華と再び会えて、こうして話せているのが嬉しい。

 

 そして同時に、こんどこそは、絶対に離したくないとも思う。


「いろんな思い出が、あるけどさ。」


 言葉を切って、舌で唇を少し湿らせた。


 心臓が、はち切れそうだ。


 冷静になんて、なってはいけない。


 冷静になったら、絶対に尻込みしてしまうから。


 だから、祭りの高揚感を借りて、勢いに任せて気持ちを伝える。


「これからは、もっと近くで零華を見ていたいし、もっとたくさんの忘れられない思い出を作りたい。」


 零華の目が、まるく見開かれた。


 耳が、これ以上ない程熱い。


 でも、ここで止まってはいけない。


 零華の目を、しっかりと見つめる。


 ここで、止まるわけにはいかない。


 まだ、最後のセリフが残っているのだから。

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