第35話 あの時、二人はすれ違った






*零華視点






「嫌じゃないなら、離れてなんて言わないで。」


 そんな言葉が、自然と口をついて出た。

 

 光の首筋に顔を埋める。

 光の顔を、見れなかった。


 雨に打たれてぬくもりを奪われた肌が触れ合う。


 光の背中に回した手に、ほんの少しだけ力を込める。


 身体の下の光が、身動ぎした。

 だけど、拒否される気配はない。


”嫌じゃないなら、離れてなんて言わないで。”


 ……わがままだ。


 思わず、そう思ってしまう。


 自分勝手だ。

 

 ”はなれて”


 さっき光に、そう言われたのに。


 だというのに、我儘を言ってまだくっついている。


 何かを感じたのか、光の手が遠慮がちに背中をさする。


 さっきまであんなにも真っ赤になっていたというのに、こんなときでも気が利いてしまうらしい。

 胸のドキドキも、頭の熱も、雨ですぐに冷やされてしまうのだろうか。


 それは少し、嫌かもしれない。

 ……優しくされたというのにそんな面倒なことを考える自分も、嫌かもしれない。


 自分の思考回路のネジが緩んでいる気がする。

 

 光の首筋から少し顔を離して、前を眺めた。

 

 雨に濡れて、普段よりもモノクロに近づいた世界。


 無機質と捉えるか、自然の恵みと捉えるか。


 それは人それぞれなのだろうけれど、なんとなく物寂しさを……不安を感じてしまうのは零華だけだろうか。

 思わず誰かに甘えたくなってしまうのは、零華だけなのだろうか。


 光の首に顎を乗せる。

 その身体をきゅっと抱きしめ……て……。


 慌てて、顔を伏せる。


 額を、光の首元に押し付けた。


 さっきの光に負けないくらい、鼓動が早くなっている。


 ……こんな真っ昼間から、外で。

 自分たちは何をしているのだろうか。


 思わず思う。


”ずっと一緒にいる”

 

 そう言い合ったときも、我に返って恥ずかしくなってしまった……と思っていたけれど。


 我に返りきれていなかった。

 ……ここが外だということを、すっかり失念していた。


 ブランコの後ろには木々が一列に生えていて。

 その後ろは、道になっているのだけれど。


 その道を通っていた、傘を差したお婆さんと目があってしまった。


 ……めちゃくちゃ見られてた。


 そりゃそうだ。


 公園のブランコで、傘もささずにずぶ濡れになりながらくっついている男女がいたら、誰だって気になるだろう。


 耳まで真っ赤になっている気がするが、光にバレていないだろうか。


 きっと漫画だったら、目がぐるぐるになっているところだ。


 光が持っている漫画で、そんな表現があった気がする。

 主人公が無意識にとんでもないことを言っちゃって、その幼馴染のヒロインが……ってそんなことは今、どうでもいいか。


 今更、自分達が公園にいること……誰に見られてもおかしくない場所にいることを自覚する。


 顔が沸騰しそうだ。

 なんなら一瞬にして蒸発して、存在ごと消えてしまうかもしれない。

 そんなバカなことを考える。


 自分の心だけ、雨に冷やしてもらうことはできないだろうか。


”はなれて”


 さっき光が口にした言葉。

 多分、光もこんな気分だったのだろう。


 我に返ってしまって、恥ずかしくて、恥ずかしくて。

 いたたまれない気分だったのだろう。

 

 早くなった鼓動とか、口調とか。

 真っ赤になった顔とか、その後の仕草とかを考えても、やっぱり照れたとか、そんな感情から来た言葉としか思えなくて。


 少なくとも、そのに負の感情は含まれていなかった……と思う。


 だから。


 だったら、離れてなんて言わないでよ。


 思わず、そう思ってしまった。


 外だし、誰かに見られるかもしれない。

 それは、とても恥ずかしい。

 いたたまれない。


 でも、それでも。


「私は、はなれたくない。」


 顔を上げて、体を離して。そして至近距離で光の目を見て、そう言う。


 光がたじろいだように目を泳がせた。


「私は。……私は。」


 言葉に詰まり、顔を伏せる。


 光の誕生日の後の出来事が、脳内をぐるぐると駆け巡った。


 いつだって、離れたくなどなかった。

 でも、自分から踏み出す勇気もなかった。


 中学校のときも。

 高校に入ってからも。


 胸の中を、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられているようで。

 苦しい。


 光の誕生日の日、零華は光にマカロンを送った。

 

 自分の想いを我慢できなくなって、大胆なこともした。

 光も、普段見せてくれない表情をたくさん見せてくれた。


 ……そして、気まずくなった。


 どうしようもないほどに気まずくて、話しかけられなくなった。

 ……どう思われているのか、分からなかったから。


 あの時、マカロンを渡していなかったら。

 いや、平気な顔をして、何も意識していないふりをして渡していたら。


 あの後、何度そう思っただろうか。


 離れ離れになるのが怖くて、どう思われているの知るのが怖くて、話しかけられなくて。

 でもその期間が長くなるにつれて、話しかけるハードルはどんどん上がっていって。


 このまま疎遠になってしまうんじゃないか……そんな不安だけが、膨らんでいって。

 その不安は、やがて恐怖へと変わっていった。


 家に行って、二人で時間を過ごしても。

 光は、話しかけてはくれなかった。


”光も、気まずがっているんだ。私と、同じ気持ちなんだ。”


 そう思えていたのは、最初だけだった。


 数日が経ってもまだ、光はろくに話しかけてはくれなかった。


 ……光は、私と話したくないんじゃないか。


 次第に、そう思えてきた。


 零華がマカロンを渡した時を境に話しかけられなくなったということは、あの出来事をきっかけにマイナスの印象を持たれてしまったのではないか。


 恐れは膨らみ、やがて確信に変わった。


 なんで、あの時マイナスな印象を持たれてしまったのか。


 零華が、好意を、想いを表に出してしまったからではないか。

 だから、それまで保たれていた関係が崩れてしまったのではないか。


”光は、私を面倒くさがっているのではないか”


 そんな恐れを、抱いてしまったのだ。


 それなら。

 それなら、光を想う気持ちに蓋をすれば。

 

 そうすれば、もとの関係に戻れるんじゃないか。

 そんなことを思ってしまうくらいには、心が恐怖で満たされていた。


 ちょうどその時に、Iineイイネで木村くんに誘われた。


 ”明日の放課後、遊ばない?”と。


 正直、面倒だった。


 それに、期待させるようなことをするのもむしろ相手に悪いと思っていた。

 だって、零華は光が好きだから。


”ごめんなさい”


 教室で誘われたわけでもないから、人の目を気にする必要もない。

 だから、希望を残さないようにしっかりと断る……つもりだった。


 だけど、メッセージを送信しようとしたとき。


 ふと、考えてしまった。

 断らずに、この誘いを受けるのもいいんじゃないかって。


 光が、零華のことを面倒だと思っているなら。

 この好意を隠してしまえば、面倒だと思われないで済むなら。


 木村くんとデートしてみるのも、いいんじゃないかって。


 血迷った。


”いいよ”


 血迷って、そう返してしまった。


 そしてその日、光が熱を出した。


 気まずい……とかそんなこと、言ってられなかった。

 零華は、放課後すぐに光の家に駆けつけた。


 約束をすっぽかす形になった木村に短い断りと謝罪のメッセージを入れて、光を看病した。


 そうやって寝ている光を看病している間に、頭も冷えてきて。


 光の寝顔を眺めているうちに、ここ数日零華を支配していた恐怖が薄れていった。


 ……光は、本当に零華を面倒がっているのだろうか。

 単純に、気まずいだけなのではないだろうか。


 そこでやっと、自分の視野が狭まりきっていたことに気が付いた。


 そして、猛烈に、それはもう人生で5本の指に入るくらいに反省した。


 光の本心を知ろうともせず、勝手に絶望したこと。

 木村まで巻き込んでしまったこと。

 

 全ては、自分が話しかければ済んだ話だったかもしれないのに。


 ……光が起きたら、自分から話しかけよう。

 そして、前のような関係を取り戻せたら……あわよくば、もっと先の関係を手に入れられたら……。


 そう思うと、数日間沈みきっていた気分も晴れ渡るようだった。


 ……しかし。


 起きた光は、零華を見て何かを恐れるような目をした。

 そして、不安から思わず伸ばした零華の手を、避けるように身を引いた。


 拒否された。

 そう、分かってしまった。


 こんなことは、初めてだった。

 

 会わなくなったこともある。

 話すのが気まずくなったこともある。


 でも、目の前にいるというのに。

 明らかに拒否されたのなんて、初めてだった。


 嘘だと言ってほしかった。

 でも、光の目も動揺に満ちていて。


 思わずやってしまったのだろうな、と。


 そう分かってしまって。


 ……思わず避けてしまうほど、嫌なのだろうか。

 思ってしまった。


 たぶん、あのときほど絶望したことは、後にも先にもない。


 1度希望を抱いてしまったからこそ、絶望は深かった。


 だから、背を向けた。

 だって、光がそれほど零華を嫌がっているのなら。


 零華に、光と一緒にいる権利など無いから。


”俺なんかと居ないで、もっといい人と。”


 零華が部屋を去ろうとした時、光はそう言った。

 

 今思えば、違ったかもしれない。

 でも。


”きっと、零華は俺よりも素敵な人と出会えると思うよ。”


 告白されて振る際に、相手を気遣うような……そんな言葉に聞こえてしまって。


 きっと、そういう意味ではなかったのだろう。

 今、こうして、零華を受け止めてくれているのだから。


 でも、その時の零華にはどうしても、そう聞こえてしまって。


”光のバカ”


 言い残した言葉は、やるせない気持ちを光にぶつけようと。

 思わずこぼれ出た言葉だった。


 その後2ヶ月、零華は光のことを忘れてしまったかのように振る舞った。


 それが、お互いのためだと思っていたから。


 とてもではないけれど、会えなかった。話せなかった。


 零華は2ヶ月、光を避け続けた。

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