第34話 ずっと一緒……?

 雨の音がすっかり耳に馴染み、公園の地面に池のごとく大きな水たまりができてしばらくたった頃。


 二人は離れていた2ヶ月の分を埋めるように抱きしめ合っていた。 


 ブランコに座った光の膝の上に、向かい合わせる形で零華が座っている。


 光が零華の肩に顎を乗せる。

 

 目に映るもの全てが濡れに濡れていて、視界が暗い色で埋め尽くされていた。


「光……ずっと、……私とずっと一緒にいてくれる……?」


 零華の声が、光の鼓膜を震わせる。


 光は小さく身じろぎした。


 しばらく無言でいたからだろう。

 その声は、少し掠れていて。


 ……そして、心なしか震えていて。


 光が公園で泣いていた時。

 零華もまた、同じような感情を抱きつつ公園に来たのかもしれない。


 思って、天を見つめた。

 雨はしばらく止まなそうだ。


 光は零華から体を離し、抱擁をほどいた。


 零華の顔……困惑したような、不安がっているような顔に小さく笑いかけて、手を伸ばす。

 

 どこか華奢で、今は脆さを感じてしまうようなその身体を。

 存在を確かめるように、今度は自分からきゅっと包みこんだ。


「うん。ずっと、ずっと一緒にいる。」


 光の肩に顔を埋めている零華の、その綺麗な形をした耳元で言う。


 ずっと、ずっと。

 零華と一緒に入られたなら、それ以上に幸せなことはないと思う。


 そうなれば、これから二人は多くの壁にぶつかるのだろう。


 でも、そんな時は二人で協力して。

 そして、困難と同じ数の……いや、もっと、ずっと多くの楽しい思い出を……幸せな思い出を作ろう。


 そして、死ぬ時に悔いのない、”幸せだった”と言えるような人生を送れたら……。


 零華の耳たぶに触れる。

 その存在、全てが愛おしい。


 その赤くなった耳たぶも、その……。


 ……”赤くなった”……?


 思わず二度見する。

 やっぱり、零華の耳たぶが赤い。


 よく見ると、零華の手が自分の顔を隠すように光の服を掴んでいる。

 身体と身体の距離も、心なしか遠い。


 赤くなった耳。

 隠された顔。

 先程までと違って、身体の接触すらあまり感じない抱擁。


 ……照れている?


 その可能性にたどり着き、光は首を傾げた。


 照れるポイントなんてあっただろうか。


 思わず、思う。


 この場所には、光と零華しかいない。

 

 だから、零華が赤くなっているのはきっと、光のせい……もしくは零華自身のせいなのだけれど。

 

 そうはいっても、光も零華も、特に何もしていないから。


 ただ、抱きしめ合って、”ずっと一緒にいよう”って言っただけ……。


 言っただけ……。


 ……。


 ”我に返った”という言葉は、このような場面を表すためにあるのだろう。


 頬が、熱い。

 

 心臓の音が、公園に鳴り響いている気がする。


 口の中が、からからになる。


 先程までぼんやりと眺めていた風景が、あっという間に背景になる。

 そして、腕の中にいる少女……光の幼馴染である、学園の完璧美人こと榎下零華が、主役の座を独占する。


 ……零華しか、見えなくなる。


 俺は、何を言って……。

 零華の背中に回していた手で、自分の口を抑える。


 どく、どくと心臓が早鐘を打っている。

 

 光の左肩に顔を埋めている零華にはきっと、全部伝わってしまうだろう。


 早くなった心臓の音も。

 急に、抱擁が控えめになったのも。

 光の顔が、耳まで真っ赤なのも。


 そして、なぜそうなっているのかも。


 ぎこちない動作で、身体を離そうとする。

 でも、なぜか、零華が離してくれない。


 泣いていて、弱っていたからって。

 今までざっと数十分ハグして。


 ”光がいい”

 ”零華がいい”


 そう、言い合って。


 挙句の果てには、”ずっと一緒に居たい”と言い合って。


 恥ずかしすぎる。

 同時に、どうしようもなく、嬉しい。

 でもやっぱり、それ以上に恥ずかしくて。


 今は一旦、零華から離れていたい……のに。


 柔らかい。

 触れるところ全てが、柔らかい。


 ふわりと、大好きな、零華の匂いが鼻をくすぐる。


 温かい。


 その身体は、やはり光のものよりも細く、脆そうで。

 でも、それでいてどこもかしこも柔らかくて。


 一旦、離してほしい。

 

 じゃないと、……理性が。

 ……光の、理性がゴリゴリと削り取られて、跡形もなくなってしまう。


 恥ずかしさと、嬉しさと。

 安堵と、愛おしさと。

 

 自分でも数え切れないくらいの感情が、胸の中を入り乱れて、鼓動を早くさせる。


 零華は、やっぱり離れようとしてくれない。


 座っている光の膝の上に、向い合せで零華が座っている……そんなバカップルしかしないような体勢でいるせいで、零華から離れようにも離れられない。


 途方に暮れる。


 心を無に……できるわけがない。


「れいか、ちょっと……」


 思わず、格闘家がタップして降参の意を示すように……そう例えるには状況が情けなすぎる気がするが……ともかく、音を上げるように零華の肩にとんとんと触れた。


「はなれ、て……」


 心臓が暴れすぎて、ろくに喋れない。

 光の声よりも、光の心拍音のほうが大きいかもしれない。


 ちょっとでも気を抜くと、すぐに視線が零華の白い首筋に、うなじに、指先に向かってしまう。


 だから、半ば懇願するように言ったのだが。


「いやだよ。」


 相変わらず耳が赤い零華は、しかし光よりもいくらかしっかりした声でその懇願を拒否した。


 顔を隠すように置かれていた手が、どかされる。

 

 やっぱり、赤い。

 零華の顔は、耳と同じくらい赤かった。


 零華が、背筋を伸ばす。

 零華が光の膝に座っているせいで、見下される形になる。


 バチッと目が合った。

 視線が交錯し、火花が散った気がした。


 頬はやっぱり赤くて、恥ずかしがっているのが見て取れるのだけれど。

 その目は、その口元は、なにか思うところがあるのだろうと感じさせた。


 上から、手が伸ばされて。


 そして零華が、光に抱きついてくる。


 光に拒否権はない。

 ……もっとも、拒否するつもりもないのだけれど。

 

 耳元に、零華の息遣いを感じた。


「嫌じゃないなら、離れてなんて言わないで。」


 零華は、そう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る