第31話 呪い
「……へえ、ヒーロー気分かよ。」
もはや敵意を隠そうともしない。
唇を歪めるように、佐藤が笑みを浮かべた。
その細められた目には、憎しみがありありと浮かんでいる。
心臓が、ぎゅっと縮こまるようだ。
心の何処かで、佐藤に怯えている自分がいた。
でも、ここで引き下がるわけにはいかなくて。
きっと睨み返す。
「……ヒーロー気分はあんたでしょ」
背後から、零華の低い声が聞こえた。
明らかに怒っている。それはもう、怒っている。
それでも佐藤に掴みかかろうとはしないのは、さっき我を忘れて光に止められたからだろう。
辛うじて理性を保とうとしていると言った様子だ。
しかし一方で、彼を止めてくれる人はいないわけで。
意趣返しのようにチクリと言われて、佐藤の額に青筋が浮かんだ。
あ、まずいかも。
佐藤の目を見て、とっさに身構える。
しかし、彼は飛びかかってくるようなことはしなかった。
その代わりに、佐藤は唇を舐めてから口を開いた。
「大体なあ!みんなが思ってんだ。お前と零華じゃ不釣り合いだって……。なんでお前がって……!」
笑みを浮かべているとも、怒っているともつかない歪な表情だ。
背筋が、ゾワリと寒くなる。
「俺はただ、みんなの不満が溢れるきっかけになっただけなんだよ。」
佐藤が囁くように、呪うように言葉を吐く。
その顔を見ると、息が詰まった。
心臓が、嫌な跳ね方をしている。
教室に、自分の心臓の音が鳴り響いている気がした。
それくらい、静かだ。
助けを求めるように周りを見渡す。
ことごとく、目をそらされる。
ある者は、俯いていて。
ある者は、光と目が合うと気まずそうに目をそらして。
……ああ、本当なんだな。
佐藤が言ったことは、本当なんだな。
そう、確信するには十分すぎる光景だった。
みんな、疑問を持ってたんだ。
不満を持ってたんだ。
不思議と平坦になった感情で、客観的にそう思う。
なぜ、光なのか。零華の隣に、光がいるのか。
大した理由なんて、無いのだろう。
じゃあ、光じゃないほうが良いんじゃないか。
こんなことになるくらいなら。
光じゃないほうが、まだマシなんじゃないか。
隣にいるのが、もっとかっこいい人なら。
零華がこんな面倒事に巻き込まれることもないんじゃないか。
吐き気がする。
零華がどう思っているかは知らない。
でも。
でも。
「幼馴染だかなんだか知らねえけど。お前じゃなくて良いんだよ!零華の隣に居るべきなのは、お前じゃねえんだよ!」
光の中で膨らむ恐怖を知ってか知らずか、佐藤は畳み掛ける。
なんで、光が零華の隣に居るのか。
そう聞かれれば、一番早く零華に出会ったから……そう答えるしかなくて。
……俺があの時、零華と出会っていなかったら。
零華の隣には、別の人がいたのだろう。
たらればの話だ。
分かっているけれど、胸がズキリと痛む。
零華は、なぜ光と一緒に居てくれるのだろうか。
居心地がいいから?心を許しているから?
それなら、隣に居るのは光でなくても良いのではないか。
もっといい人が、居るんじゃないか。
わからない。
わからないけれど、いや……わからないから、怖い。
光の目に浮かんだ不安に気が付いたのだろうか。
佐藤の口の歪みが、一層深くなる。
「お前さえいなければさあ……」
「そんな事言わないで!!」
悲痛な声が、背後から聞こえる。
零華は優しいから。
光が傷ついていることを感じ取ったのかもしれない。
零華は、優しいから。
”零華は優しいね”
ひゅっと息を呑む。
どこからどこまでが、優しさゆえの行動なんだろうか。
ズクズクと、胸が痛む。
「お前が居るから、零華はお前しか見れねえんだよ。」
「違う!!」
零華の声などお構い無しで、佐藤は続ける。
その整っているはずの顔は、今は醜く歪んでいた。
その怒りと憎悪の滲んだ瞳から、目が離せない。
おそらく、最初は零華しか見えていなかったその瞳。
しかし、その瞳は今、憎悪しか映していなくて。
いつ、すり替わってしまったのだろう。
零華への好意が、光への憎悪に変わって。そしていつしか、零華への好意も見失ってしまって。
そんな
だから、何だというのか。
こいつは。
こいつは。
「なあ、みんな。なあ、零華。」
佐藤が、あたりを見渡して呼びかける。
クラスメイトたちが、ビクッと縮こまったのが分かった。
「聞いてもないのにさ。こいつ、俺に打ち明けてくれたんだぜ。」
打ち明けてくれた。
何か、こいつに打ち明けたことがあっただろうか……一瞬考えて。
はっと。
光は、息を呑んだ。
佐藤が何を言おうとしているか。
それが、痛いほどに分かってしまった。
彼の目が、あざ笑うようにこちらを見ている。
死なばもろとも……そんな言葉が、その目から読み取れた気がした。
光が一番、嫌がること。
それを、佐藤は分かっていて。
そしてそれを、しようとしている。
「お前ッ!」
とっさに、足を踏み出した
周りの音が、光景が、見えなくなる。
手を、佐藤の襟首に向けて伸ばした。
でも。
「やめて!」
後ろから引っ張られる。
背中に人の身体を、お腹に人の腕を感じて。
誰かに羽交い締めにされていることに、気付いた。
音が、周りの風景が戻って来る。
遅れて、零華に止められたことを理解した。
前を向くと、佐藤の細めた目と目が合って。
ゾクッと悪寒を感じる。
「聞いてもないのに、自分から教えてくれたんだ。俺に。」
佐藤が、怒りを押し殺したような声で続ける。
「やめろ!」
零華に羽交い締めにされている光には、何もすることができない。
「”俺、零華の事好きなんだ。恋愛的に。”だってさ。」
光を拘束していた零華の手が、その言葉にだらりと緩んだ。
光は地面を蹴って佐藤に飛びかかった。
心の中は、ぐちゃぐちゃだった。
涙が、出てくる。
この気持ちは。
この気持ちは、零華にだけは伝えたくなかった。
だって、きっと関係が壊れるから。
なのに。
涙に滲んだ視界で、佐藤を睨みつける。
憎悪に満ちた視線が、交錯する。
火花が散ったような錯覚を覚えた。
佐藤の胸ぐらをつかむ。
何か、佐藤の心を傷つけるような言葉を吐きたくて。
でも、情けないことに口を開けば嗚咽しか出てこない気がして。
唇を噛み締めて、佐藤を睨む。
佐藤の唇が、二イッとめくれ上がった。
「聞いてもないのにさ。笑える。釣り合うわけねえのに。」
胸ぐらをつかんでいた手が、いとも容易く振り払われる。
光はよろめいた。
佐藤は、文武両道の模範生だ……いや、模範生だった。
趣味がインドアな光と比べると、やはり数段力が強くて。
体勢を崩し、佐藤を見上げる形になる。
その目を見て。
その、感情が浮かんでいない……いや、憎しみ以外の感情が読み取れない瞳を見て。
身体の芯を、恐怖が埋め尽くす。
あ、まずい。
直感的に理解して、歯を食いしばった。
佐藤の拳が、後ろに振りかぶられる。
直後、脳を揺らすような衝撃が全身を駆けめぐった。
平衡感覚を保てなくなり、ぐらりとバランスを崩す。
目の前がチカチカする。
光は呆然と、佐藤を見上げた。
零華を含む、数人の悲鳴が聞こえる。
手の下には、尻の下には、床があって。
佐藤は、光を見下ろして荒く息をついている。
……殴られて、座り込んだ。
現状を理解するのに、そう時間はかからなかった。
こちらを燃えるような瞳で睨む佐藤。
光はその瞳を、ただ呆然と見上げた。
両者の視線が交錯した……その時。
「佐藤ッ!!」
突然、大人の怒声が教室に響き渡った。
数人がビクッと飛び上がる。
次の瞬間、教室にピリッと緊迫した空気が走った。
……先生、か。
先生が、来たのか。
誰かが、呼んだのか。
それとも、偶然か。
どちらにしろ、こんな派手にやってたら先生も来るよな。
どこか他人事のように、客観的にそう思う。
教室の入口にいる先生に目をやり、再び佐藤に目を戻す。
佐藤は、怒鳴られたというのに光から目を離さない。
「この勘違い野郎。幼馴染の特権を悪用して零華のそばに居座る汚いお前が。」
毒を、呪いを吐くように佐藤が言う。
「取り敢えずこっちに来い!」
先生が怒鳴り、カツカツと近づいてくる。
佐藤の目が、カッと見開かれた。
「なんでお前なんかに負けなくちゃなんねえんだ!」
それは、悲痛な叫びだった。多分、佐藤の心の奥底に巣食う物の本質だった。どこまでも身勝手な、しかし誰もが持ちうる感情だった。
「いい加減にしろ!!」
先生が怒鳴り、佐藤を羽交い締めにする。
そして佐藤を半ば引きずり出すように、ドアへと歩き出した。
「お前が零華と話してるだけで、零華の評価が下がるんだ!!」
引きずられながら、しかしこちらを睨みつけながら。
佐藤が放った言葉が、その狙い通り光の心を抉る。
佐藤が、教室から引きずり出された。
その姿が、見えなくなって。
「お前が……お前がいなければ……!」
でも、遠くで聞こえるその呪詛は、確かに光の心を突き刺して。
光は、床に崩れ落ちるように座り込んだ。
周りの音も何も、聞こえなくて。
ただ、吐き出せない感情だけが、その心に降り積もった。
ーーーーーー
【あとがき】
苦しかった過去編も、これで終わりとなりました。
次の話から時は現在に戻ることになります。
この過去編を呼んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
これからも二人の物語をよろしくおねがいします。
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