第30話 二人のヒーロー……いや、元凶

「なんで、あいつのことをそんなに気にするの。」


 その言葉は、静寂の中で驚くほど大きく響いた。

 ……まるで、氷のように冷たかった。

 そして、まるでナイフのように鋭利だった。


 敵意だった。

 その言葉に含まれているのは、紛れもなく光への敵意だった。


 裏切り。


 そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。


 吐き気がする。


 じゃあ、今までの親切は。

 光が、友情によるものだと思っていた行動は。

 

 全部、光が嫌いなのにやっていたことなのだろうか。


 なぜ。


 なぜ、そんなことを。


 膝に手をつく。


 あえぐように浅く呼吸をした。


 佐藤。

 嘘だと言ってほしい。


 なぜ。


 なぜ、こんな酷いことを。


 その縋るような問いかけは、言葉にはならない。


 目の前が、真っ暗だ。

 夏の日差しが、さんさんと降り注いでいるというのに。


 沈黙が、心をすり減らす。

 このままでは、光の心は消えてなくなってしまいそうだった。


「大切だから。」


 だから、その声が聴こえた時。

 その、聞き慣れた……大好きな声が聞こえた時、光は無性に泣きたくなった。


 目の縁からこぼれ落ちようとする涙。

 唇を噛んで、耐える。


 視界がぐにゃりと歪んで見えた。

 

「大切な、幼馴染だから。」


 零華はしっかりとした声で、言った。


 泣きそうな光とは大違いだ。

 

 体格で負ける、しかも敵意を露わにしている男子と向き合って。

 その圧に屈せずまっすぐに宣言するには、どれほどの勇気がいるのだろうか。


 光には、見当もつかない。


 無理だ。

 少なくとも、光には無理な芸当で。


”なんで、あいつのことをそんなに気にするの。”


 その問いに対して。


”大切な、幼馴染だから。”


 そう返してくれたのが、嬉しくて。

 でも、自分が情けなくて。


 唇を、血が出るほど噛む。


「あんなやつに、そう言わなきゃいけないの。大変なんじゃない?」


「佐藤くん。言って良いことと悪いことがあるよ。」


 光を嘲るように言った佐藤の言葉に、半ば被せる形で零華が返す。


 その声は、光でさえ聞いたことがないほどに怒った声音だった。


「零華は優しいね。」


 佐藤が、優しい声音で言う。


 鳥肌が立つ。


 佐藤が、零華を呼び捨てにすることに。

 恐ろしいほどの拒否感を覚える。


 別に、呼び捨ては今に始まったことではない。

 それに、佐藤以外の男子も、みんなそう呼んでいる。


 でも。

 でも、どうしても、許せなかった。


 吐き気が酷い。


”零華は優しいね。”


 その言葉に、胸を抉られる。

 

 そんなことを考えるのは、零華に失礼だ。

 

 分かっている。

 でも、少し……ほんの少し、思ってしまう。


 いままで、零華が光と一緒に過ごしてくれていたのは。

 かまってくれていたのは。


 全部、優しさからなんじゃないかって。

 哀れみからなんじゃないかって。


 首を、力なく振る。


 こんなことを思ってしまうのは、零華を信用していない証で。


 そんな自分が、嫌だ。


 しかし、一度抱いてしまった恐れは、脳にこびりついて離れてくれなくて。

 

 口で、浅く息をする。


「私は、光のことを大切にしてる。別に、優しいからじゃない。幼馴染だからでもない。光が、光だから……」


「あんなやつのフォローをするなんて。零華は本当に優しいね。」


 こんどは、零華の発言に佐藤がかぶせた。


 その声音には、はっきりと苛立ちが滲んでいて。


 光にも、分かってしまった。


 佐藤が、光を嫌う理由が。


「だから優しさじゃないってば!!」


 鼓膜を、零華の声が震わす。


 心底怒ったその声は、光の心をいくらか軽くしてくれた……けれど。


 そんな言い方をしても。


 もし、光が思った通りの理由なのであれば。


 逆効果だ。


「優しさじゃないならなんなの?あいつと一緒にいなきゃいけない理由なんて無いじゃん。」


「私が一緒にいたいから一緒にいるの!」


「束縛でもされてんの?」


「光はそんな人じゃない!」


 二人の声は、声量を増してゆく。

 

 ヒートアップしている。

 けれど、噛み合っていない。


 泣きたい反面、佐藤の危うさに危険を感じている自分がいる。

 拳を握りしめた。


 怒りと疑問とやるせなさと。自分へのいらだちと。

 ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情が、胸の中を埋め尽くす。


 言葉にして、少しでも軽くしたいけれど。


 何を言えばいいかはわからない。

 喉がつっかえて、言葉を紡げない。


「俺、思うんだ。自覚有るか知らないけど、零華は縛られてるって!周りが見えなくなってるって!だから俺は、あいつに拘る必要はないって教えたいんだ!!」


「ヒーローぶるな!!元凶のくせに!!」


 思わず、身体が動いていた。


 廊下に隠れている場合ではなかった。


 地面を蹴り、教室に駆け込む。


 野次馬を半ば強引にこじ開けて。


 零華は、やはりと言うべきか佐藤に掴みかかろうとしていて。

 その顔には、怒りしか浮かんでいない。

 

 佐藤の顔も、同様に怒り一色に染まっている。


 まずい。


 先程までのブルーな感情も忘れて、そう思う。


 零華は運動神経が良い。

 とはいえ、中3にもなると、男女の体格差というのは顕著になってくるわけで。


 とっさに、佐藤と零華の間に飛び込んだ。


「落ち着け!!」


 気付いたら、そう叫んでいた。


 そのまま、突き出されようとした零華の手を抑える。


 零華の目が、ハッとしたように見開かれた。


「ひ、かる。」


 無言で零華を押し戻し、佐藤の方に身体を向ける。

 

 ざわついていた教室は、再び一気に静まり返っていた。


「聞いてたの。」


 背後で、零華が言っている。


 ぐっと唇を噛んだ。

 噛みすぎて、ヒリヒリしている。


 けれど、今はそれくらいがちょうどいいのかもしれなかった。


 光は佐藤を睨みつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る