第28話 ”あの時”
2年と少し前のことだ。
中学3年生になり、迎えた始業式の日。
光はドアの前でため息をついていた。
心臓は、ドクドクと鳴っている。
……憂鬱だ。
心のなかで、思う。
自分がもう少し社交的だったら。
そんなことを思うけれど、生まれつきの性格なので今更変えられない。
年季の入ったドアを、見つめる。
人見知りにとって、始業式は辛い。
話したこともない、新しいクラスメイト。
自己紹介という、地獄のような……公開処刑のようなイベント。
思うだけで、心が沈むというものだ。
もう一度、ため息をつく。
しかし、いつまでもこうしてはいられないのも分かっていて。
さっき靴箱で見た時計は、8時を示していた。
……そろそろ入らないと、遅刻だ。悪目立ちしてしまう。
始業式の日からそれでは、まずいだろう。
目立ちたくなど、ない。
ドアを睨んで、この日何度目かのため息をつく。
背に腹はかえられぬ、というやつだ。
光は意を決して、ドアを開けた。
ガラッとドアが開く音が響く。
クラス中の視線が一気に集まった……ような気がするけれど、気にしない。
光は自分の席に足早に向かい、バッグを床に置いて椅子に腰を下ろした。
思わず、ため息が出る。
鼓動が、かなり早くなっている。
……教室に入るだけでこの有り様だ。
自己紹介なんぞしたら、救急搬送されかねない。
半ば冗談……半ば本気で、そう思う。
昔から、初対面の人は苦手だ。
仲良くなれば、そんなこともないのだけれど。
悲しいことに、初対面の印象というのはかなり大事なわけで。
仲良くなれる確率が、低いんだよなあ……。
考えていて悲しくなって、もう一度ため息をつき。
頬杖をついた、その時。
「陰気な顔してどうしたの、光。」
そんな、明らかに笑いを含んだ声が上から降ってきた。
もう何度聞いたかわからない、聞き慣れた声だ。
明らかに、緊張している光のことを笑っている。
しかし、そこに敵意は微塵も感じられない。
こんな声を出す人を、光は一人しか知らなくて。
「なんだよ、零華」
声の主を見上げて、若干不機嫌な声を出した。
それが可笑しかったのか、その人はあははと笑う。
全く、悪びれない。
「ごめんごめん」
その謝罪の言葉も、笑いを含んでいるのだからどうしようもない。
だというのに怒る気になれないのだから、美人というのは罪な存在だ。
もう、見慣れた……はずなのに。
いちいち、その笑顔に見惚れてしまう。
ドキッとしてしまう。
零華が本当に楽しそうに笑うから、光にも楽しい気持ちが伝染してしまう。
光の視線に気付いたのか、零華がどうしたのと言いたげに首を傾げた。
……今日もかわいい。
その仕草を見て、脳内でそんな感想を抱いてしまうくらいには、光も馬鹿なわけで。
光は、自分の頬が少し緩むのを感じた。
少し、悔しいけれど。
「また一緒になったね」
「だねえ。」
零華と同じクラスになれたのは、数少ない希望であった。
……好き、とか。
そんな感情以前に、零華は光にとって、数少ない心を許せる人物で。
唯一無二の、幼馴染で。
気の置けない幼馴染がクラスメイトというのは、心強いものだ。
しかも、その幼馴染はいつも可愛くて。
見てるだけで、喋るだけで、元気をもらえて。
光の毎日を、彩ってくれるのだから。
「同じクラスで良かったぁ」
零華が、光の心を読んだように言う。
思わずドキッとしたが、……まあ、深い意味はないのだろう。
悲しいことに。
零華の表情に、動揺とか、羞恥とか、そんなものは見られない。
分かっているけれど、少し落ち込んでしまう。
教室のドアがガラリと開き、教師が入ってきた。
いくつかのグループを作っていた生徒たちが、蜘蛛の子を散らすように解散する。
「あ、先生来た」
零華もそうつぶやいて、自分の席へと戻っていった。
そのまま、クラスは朝のホームルームに入った。
先程まで感じていた憂鬱な気分も……朝から零華と話したことで、どこかへと吹き飛んでいて。
我ながら単純だなあ、と思う。
でも、零華の笑顔にはそれだけのパワーがあるから仕方がない。
そんなバカなことを考えつつ、でもやっぱり緊張しつつ。
なんとか自己紹介を乗り越えて、班活動もどうにか乗り越えて。
昼休み。
「よ、よろしく……?」
光は困惑していた。
目の前には、クラスメイトの男子。
クラスの男子のリーダー格……になると思われる、イケメンと名高い奴だ。
たしか、名前は佐藤だったはず。
その辺の情報に疎い光でも、女子たちがイケメンだと騒いでいるのは聞いたことがあった。
だから。
”こんにちは、相沢くん。これからよろしくね”
ついさっきかけられた言葉を、脳内で反芻する。
……なんで、光に?
思わず、思ってしまうのも無理はないだろう。
佐藤が社交性の塊で、クラスメイト全員に話しかけて回っている……とかならまだ分かるけれど。
社交性の塊なのは事実だろうが、クラスメイトに声をかけて回っている様子は見当たらなくて。
なんで光に?
もう一度、思う。
だが、佐藤は特に何をすることもなく、挨拶して満足したように去っていった。
だから、そのことはすぐに光の頭の隅に追いやられた……のだけれど。
次の日も。
またその次の日も。
佐藤は、光に話しかけてきた。
毎日のように話しかけてくる佐藤に、光は最初の方こそ困惑していたけれど。
だんだんと慣れて、次第に心を許すようになった。
そうして、2ヶ月ほど経った頃。
光は佐藤に、あることを打ち明けた。
多分、深く考えて言った言葉ではなかった。
ただ、何かのはずみで思わず。
零華のことが、好きなことを……佐藤に、打ち明けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます