第26話 回想と自責

 しばらく、二人は無言で抱きしめ合っていたけれど。

 その女の子は、次第にポツポツと話し始めた。


 父はバスの運転手だったこと。

 

 父が運転するバスは、毎朝ここを通ること。

 いつも父は朝早くに仕事に出かけるけれど、ここで待っていたら仕事中の姿を見られること。


 だから毎朝、母と登園前にここに寄ること。


 ブランコに二人で座って、道路を眺めながら父が運転するバスを待つこと。


 バスが公園の前を通る時、父はいつも小さく手を振ってくれたこと。


 そんな父が、大好きだったこと……。


 その子は、泣きじゃくりながら、光の腕の中でそんなことをポツポツと話した。


 光は、黙々とその話に耳を傾けた。

 その子が崩れてしまいそうに感じたときは、抱きしめた。


 なんとなく、そうしたほうが良いような気がしたから。


 頬を雨で濡らしながら、一生懸命話を聞いた。

 その子の言葉を、一語一句聞き漏らさぬように。

 ただただ、雨の中耳を傾けた。


 濡れた服は、次第に二人の体の熱を奪おうとし始めた。

 しかし、二人はブランコから動かなかった。


 そしてついに、土砂降りに降っていた雨も、段々と弱まってきて。

 空に、淡く七色の虹が見えるようになるまで。

 

 二人はそうして抱きしめ合っていたのである。


 

 

 ……結局、母の光子が戻ってきたのは雨がすっかりやんだ頃で。


 泣きはらした様子の零華の母……静香がその子を抱きしめているのを見ながら。

 その子が、「零華」と呼ばれているのを聞いて。

 

 この子、零華ちゃんって言うんだ。

 そんなことを今更知って、光は零華を見つめた。


 やっぱり。

 やっぱり、輝いて見えた。

 

 泣きはらして、目元は腫れているけれど。

 髪は濡れに濡れて、顔に張り付いているけれど。


 母に抱きしめられて、小さく……本当に小さく浮かべた笑みは、光の心を隅々まで照らすような眩いものだった。


 なにやら光子に抱きしめられて、長時間放って置かれたことを謝られたり。

 静香に、謝罪とお礼を言われたりしたけれど。


 正直、何を言われたかなど覚えていない。

 光の脳には、ただ、零華の姿だけが鮮明に焼き付いていた。




 あとから聞いた話では、光子は光子で、夫を亡くして泣きじゃくる静香の話を聞いていたらしい。


 二人は学生時代の親友だそうで。


 ”お互い忙しくて会えてなかったけどね〜、高校時代は一番仲良かったんだよ?”


 後に光子が言っていた言葉は、嘘ではなかったのだろう。


 あの時から、零華は頻繁に光の家に訪れるようになって。


 小学校に入ってからは、同じ学校だったこともあって共に過ごす時間は増えていった。


 静香や光子にとっても自分の子供を家に一人でいさせるのは気が引けたのだろう。


 親に言われて……そして、光と零華の希望もあって……二人は放課後、毎日のように光の家で遊ぶようになった。


 光が料理を作るようになったり。

 零華が休日にも来るようになったり、些細な変化はあったけれど。


 その習慣は、まる10年……二人が中学3年生になるまで、途切れることなく続いたのである。







 光は天を見上げた。


 どうして。


 どうして、自分はここにいるのだろう。


 回想から戻ってきた光は、灰色に覆われた空を見上げた。

 

 ……いや、そんなことは分かりきっているのだけれど。

 自分で、歩いてきたからに決まっているのだけれど。


 どうして、ここに来てしまったのだろう。


 濡れに濡れた髪を、乱雑にかきあげた。


 あたりを見渡しても、人はいない。

 

 当然か。

 

 こんな土砂降りの日に。

 こんな寂れかけた公園に来る人なんて、いないだろう。


 あたりを見渡す。


 雨の重さでへたった芝生。

 無駄に澄んだ水を湛える砂場の水たまり。

 雨に濡れて、滑れそうにない滑り台。

 雲を映して鈍く光る鉄棒。


 人の気配がしない、雨音のみが響くその風景は。

 

 あの日と、12年前と、全く変わらないのに。

 

 光と零華の関係は、全く別のものになっていて。


 なんで。


 思って、首を振る。


 そんなの、分かりきっている。


 零華は、何も悪くない。

 

 あの時だって。

 今回のことだって。


 いつだって、光が。


 光が。


 光が、バカなだけだ。


 本当に。

 本当に。


 どうしようもなく、バカなだけだ。

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