第22話 看病
眩しい。
光は薄っすらと目を開けて、そしてそう思った。
夕焼けが、部屋の中まで朱色に染め上げている。
綺麗……ではあるのだけれど。
なぜ、こんなにも明るいところで寝ていられたのか。
思わず、そう思う。
それくらい、眩しい。
わからない。
今まで寝ていた自分が不思議だ。
眩しすぎる。
頭を動かそうとして。
頭にズキンと鋭い痛みを感じて。
……いや、それほど不思議なことでもないか。
思いなおす。
あのあと。
光は、偶然……本当に珍しいことに昼前に仕事を上がっていた、父の車で家へと帰ってきていた。
本当は早退などしたくなかったのだけれど、38度8分という高熱を出していたためそんなことも行ってられなくて。
父によりかかりながら2階の自室まで登ってきて。
半ば倒れるように、気を失うように眠りについたのだから。
かなり疲れて、そして弱っていたのだろう。
ベッドに寝ているというのに、身体が重いのを感じる。
吐く息は、相変わらず熱かった。
……寒い。
これは、良くない。
多分、今も熱が上がり続けているのだろう。
39度くらいはありそうだ。
他人事のように思い、ため息を付く。
とりあえず、眩しいのでカーテンを閉めたい。
なぜか開けきってあるカーテンは、熱とか関係なく、ただただ眩しかったから。
光は思い腕を伸ばして。
「いっ……!」
身体を、頭を動かそうとして、そして鋭い頭痛に襲われた。
思い出したかのように再びズキズキ痛み出した頭を、抑える。
おまけに、さっきまではなかった吐き気にまで襲われてベッドに倒れ込んだ。
気分が悪い、とは、このような状態を表すために作られた言葉なのだろう……そんなことを思ってしまう。
身体を縮こまらせて、ぎゅっと目を閉じて。
口を引き結んで、手を握りしめて。
しばらく耐えること数十秒。
光は息を吐いた。
運動も何もしていないというのに、息が荒い。
……どうにか吐かずにすんだみたいだ。
安堵して、もう一度ため息をつく。
吐き気はおさまったものの、頭痛は治まらない。
……下手に動かないほうが、良いかもしれない。
光はカーテンを閉めるのを諦めて、仰向けになった。
多少眩しいが、寝れないこともない、と思う。
目を細めて、布団を引き上げようとして。
ふと。
足のあたりに重みを感じることに気がついた。
……なんだろうか。
このまま、寝てしまっても良いのだけれど。
なんだか、重みの正体が気になってしまって。
さっきの二の舞にならないように……。
頭痛がひどくならないように、ゆっくりと、慎重に身体を起こす。
腕をベッドについて。
重い体をどうにか持ち上げて。
自分の足元に、目をやって。
そして。
「れい、か?」
掠れきった、そして呆然としたような声が、自分の喉から発せられたのを感じた。
そこには、零華が、寝ていて。
何かに耐えるように、ぎゅっと目をつぶった零華が、光のベッドに上体を預けるようにして眠っていて。
思わず、その頭に手を伸ばす。
その、さらさらとした髪に、触れて。
本物、だ。
そう、思う。
……いや、冷静に考えて、本物も偽物もないのだけれど。
なんだか、無性に安堵がこみ上げてくる。
「零華。」
先程よりもしっかりした声で、その名前を読んだ。
呼んで。
ふと。
”木村が榎下さん誘ってたよ”
昼間に聞いた、クラスの男子の声が。
頭に、蘇った。
「れい、か?」
ぱちぱちと、瞬きをする。
零華は、今頃木村と楽しく遊んでいるはずで。
それなのに。
なぜ、ここに居るのだろうか。
そう気付いてしまう。
零華が、眠りから覚めて目を開けたのも。
さして、気にならなかった。
もしかして、光が熱を出したから。
デートを、断念して。
看病してくれたのだろうか。
……もしかして、自分は。
零華に、酷く迷惑をかけてしまったんじゃないか。
熱を出していなかったら、零華は幸せな時間をすごせたかもしれないのに。
俺は、邪魔してしまったんじゃないか。
そんな可能性が頭をよぎり、ひゅっと息を呑む。
”あいつがいなかったら”
俺が、居るから。
零華が、楽しめてないのなら。
俺は、なんのために。
「……かる!光!」
声を、かけられているのを感じる。
意識を現実に引き戻すと、零華の手が、光の方に伸びてきているところだった。
「っ……」
思わず、身を引いた。
「え……」
伸びてきていた零華の腕が、びくっと反応して止まる。
思わずというように、零華の口から音が溢れて。
行き場のない言葉が、二人の間を、さまよい、消えていった。
息すら、できない。
固まる二人。
お互いの目を、見つめ合う。
零華の目には、傷ついた色がありありと浮かんでいる。
胸が、苦しい。
「こ、れは、ちが……」
絞り出すように、弁解する。
零華が、手をそっと引いてこちらに背を向けた。
その背中は、明らかに、光を拒絶している。
……先に拒絶したのは、光の方なのに。
なぜ、こんなことを思ってしまうのだろう。
自分勝手だ。
零華のため、とか。
ほざいているけれど、結局は自分が怖いだけなのだ。
進むのが、怖いだけなのだ。
未知の世界に足を踏み入れるのが、どんな危険が待っているかわからない場所に踏み入れるのが怖いだけなのだ。
胸が、苦しい。
零華が、一歩一歩ドアへと歩いていく。
「れいか」
掠れた声で、その名を呼ぶけれど。
零華は、こちらを振り向くことなくドアの取手を握った。
焦る気持ちが空回って、何を言えばいいのか分からない。
”俺は、零華のそばに居ないほうがいい。”
思う、けれど。
なんと独善的な考え方だろうか。
自分に、嫌悪の感情を抱く。
その実態は、ただ光が臆病なだけだと言うのに。
零華を傷つけながら、なにをほざいているのだろうか。
零華を傷つけることは、絶対にしてはいけないのではなかったのか。
……いや、違う。
思考を、唇を噛んで止める。
心の中を占めているのは、そんな高尚な正義感などではなくて。
……零華と離れるのが、怖い。
そんな、単純で……どこまでも、身勝手な感情だから。
自分から、離れようとしておいて。
その直後に、こんな感情に襲われるなんて。
本当に、馬鹿だと思う。
自分勝手だと思う。
零華に、釣り合わないと思う。
こんな男、零華のそばにいるべきじゃないと思う。
でも、それは自分のことしか考えていない身勝手な考えで。
頭の中が、堂々巡りを続けている間にも、零華は部屋を出ようとしている。
……ここでこのまま別れたら、きっと一生関係は戻らない。
そんな予感が、する。
……そもそも、この幼馴染という関係は形をなしていなくて。
戻るも戻らないも無いのだけれど。
そういうことではなくて。
……一生、話せないかもしれない。
端的に言うと、そんな気がした。
胸が、引き裂かれるように痛んでいる。
なにかに導かれるように、ベッドから、ふらりと立ち上がる。
零華が、驚いたように、こちらを向いた。
「おれなんかと、いないで、もっといいひとを……。」
「光のばか」
光が発した、どこまでも自分勝手で独善的なその言葉は。
最後まで口にされることはなかった。
零華が、遮るように、言ったから。
光るの身勝手な言葉に被せるようにかけられた言葉は。
……。
零華が、部屋から走り出ていく。
光は、膝から崩れ落ちた。
吐く息が、熱い。
わからない。
自分が、わからない。
でも、多分。
今かけられた、この言葉が、ほしかったんだと思う。
否定して、ほしかったんだと思う。
面倒くさすぎるとは思うけれど、実際、多分そうしてほしかったのだと思う。
でも。
そしたら、なぜこんなにも虚しいのだろうか。
なぜ、こんなにも泣きたい気分なのだろうか。
自分が、情けなさすぎるから、だろうか。
そうかもしれない。
本当に、自分が、嫌いだ。
光は、抑えた嗚咽を漏らした。
夕陽が、光の横顔を照らす。
その目に浮かんでいる、その頬を流れる涙はキラキラと星々のようにきらめいていたけれど。
それを見て、”綺麗”だと思ってくれる人は、今はそばに居なかった。
……そしてその後。
結局、数週間もの間、零華が光の家に来ることはなかったのである。
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