第21話 悩みと熱
※光視点
どう、接していいのか分からない。
あまりにも、分からなかった。
誕生日に、マカロンを渡されて。
そして、その翌朝にとんでもないことを口走ってしまって。
最近、ただでさえ崩れつつあった幼馴染という関係は、あれから一気にその原型をとどめないものとなっていた。
あれから、零華とはギクシャクしたままで。
相変わらず家には来てくれるけれど、会話は全く弾まなくて。
嫌われてはいないのだろう。
いや、むしろ、少なからず好意的に思われているのだろう。
そう、思うけれど。
でも、やはり。
「木村が榎下さん誘ってたよ」
「あ、今日の放課後にデートするんでしょ?」
「榎下さん、今までずっと振り続けてたのにな。」
「ね。……でもやっぱり、お似合いだとは思ってたんだよね」
「くっそ〜、やっぱり世の中顔なのか〜」
教室の真ん中で、下世話な話に興じる男子たちを一瞥して。
目をそらし、窓の外を眺めた。
そっか。
凪いだような、それでいて底のほうがぐちゃぐちゃとかき混ぜられているような。
そんな心で。
無表情で、雲を眺める。
……結局。
「でもさあ、あの人がもし誰かと付き合うとしたらさ、イケメンがいいよね。」
「だな。そしたら諦めつくかも。」
静かに、ため息をつく。
青く晴れ渡った空は、今の光にはどうにも明るすぎて。
光は床に目を落とした。
胸が、痛みを訴えている。
その痛みは、真新しい傷のそれではなくて。
古傷が、再び開いてしまったような、嫌な、痛みで。
半ばあえぐように、何かをこらえるように息を吐いた。
普段なら気持ちいいと感じるはずの冷房が、寒い。
心まで、冷え切ってしまいそうで。
寒気が這い上がってきて、思わず身震いする。
心なしか、体調が優れない。
……。
木村は、イケメンで。
明るくて。
たぶん、いい奴だ。
たぶん、あいつと一緒にいれば。
少なくとも、あんな事は起きないのだろうと思う。
零華にそう言ったら、どんな顔をされるのだろうか。
……そもそも。
零華は、光のことをどう思っているのだろうか。
もしかしたら、もしかしたら。
光が零華に抱いているこの感情に、近しいものを抱いてくれているのかもしれない。
いや、そうだとしても。
ズキズキと痛む頭で、考える。
自分と零華では、あまりにも不釣り合いで。
それに、光はどうしようもなく臆病だから。
零華は、それでも良いと言うのかもしれない。
でも、光は、怖くて。
あんなこと、もう二度と経験したくない。
零華に、二度とあんな顔させたくない。
……自意識過剰、なのだろうか。
もしかしたら、零華が送ってくれたマカロンには特別な意味などなくて。
ただの、零華の気まぐれだったのかもしれない。
零華に、その気など無いのかもしれない。
光がこんな気持ちを抱えているなんて、思ってもいないのかもしれない。
それならそれで、良いかもしれない。
吐く吐息が、先程から光を襲っている悪寒とは対象的に熱いのを感じつつ。
光は、思う。
零華に、一緒に居たいと思える人ができるまで。
そばに居られるなら、もうそれ以上に望むことなど無い。
中途半端な関係になって、そして疎遠になるよりも。
再び、互いに傷つくよりも。
そのほうが、多分、お互いに穏やかに暮らせるのだろうと思う。
リスクのある幸せと。
リスクのない平穏なら。
後者を取りたいと願ってしまうのは、光が臆病だからだろうか。
たぶん、そうだろう。
でも、それだけじゃない。
だって、光にとって。
零華は。
「大丈夫?光。」
頭の上から、結構聞き慣れた声が降ってくる。
零華の声ほどではないけれど。
そう思って。
こんなときでさえ零華のことを考えてしまう自分に嫌気が差す。
……普段なら、光はどう返していただろうか。
”大丈夫だよ、寝不足なだけ。”
こんな風に、誤魔化していた気がする。
でも、今はそれすらする気になれなかった。
声の主……凛久と目を合わせたくなくて。
机の上で組んだ腕に、額を乗せる。
「ねえ、光。」
今は、話したくなかった。
凛久は、察しが良いから。
今話せば、余計な心配をかけそうだから。
「保健室、行く?」
その提案に、小さく首をふる。
そんなことをすれば、零華にまで心配をかける。
それは、嫌だ。
情けない。
そんなことをすれば、関係が更に崩れてしまうかもしれない。
怖い。
……何をするにも、怖かった。
だから何も、したくなかった。
「ちょっと、……はあ。ご飯くらい食べないとだよ、光。」
言われて初めて、今が昼休みであることに気付く。
どうやら、自分が思っている以上にメンタルをやられているみたいだ。
他人事みたいに、思う。
正直、ご飯を食べる気さえ起きない。
「……このままここから動かないなら、榎下さん呼ぶけど。」
脅すように言われて。
顔を上げて、凛久を睨んだ。
凛久は、どこか申し訳無さそうな……でも、心配そうな、怒っているような。
そんなチグハグな顔をしていた。
多分、凛久は、光と零華がギクシャクしていることに気付いているのだと思う。
……どんなときであろうと、むしゃくしゃしていようと、凛久に八つ当たりするのは良くない。
その顔見て、そう思ってしまって。
光はため息を付いた。
喉を、熱を持った空気が通る。
少々雑に、椅子を動かして立ち上がる。
そして急な立ちくらみを感じて、天板に両手をついた。
凛久が、心配そうな目を向けてきているのを感じる。
それでも何も言わないのは、凛久なりの気遣いなのだろうか。
重い頭を振る。
そしたら頭痛も少しはマシに……なるはずもなく。
頭は、先程よりもひどく痛んでいる。
諦めて顔を上げると、ちょうど零華が教室に入ってくるところだった。
一瞬合った目をそらし、そして足早に教室を出る。
歩いている心地がしない。
ふわふわと、浮いているみたいだ。
廊下を歩きつつ、思う。
「ねえ、光。」
背後から凛久の声がするけれど、今は顔を合わせたくない。
きっと、ひどい顔をしているから。
凛久に見えないように、そっと目元に手をやる。
滲んだ水分を、乱暴に服で拭き取った。
手に当たる頬が、不思議と熱い。
はあ、と息を吐くと、こもったような熱を感じた。
足が、床についているのか、ついていないのか。
正直、あまり良くわからない。
頭が、ズキズキと痛む。
あまりに痛むから、触れようとして手を上げたのだけれど。
くらりと、視界が回る。
あ、これ、まずい。
光の身体は、手を上げるという簡単な動作でバランスを崩してしまったようで。
足に、手に、力が入らない。
「光!!」
誰かに、抱きとめられたのを感じる。
でも、それどころじゃないくらい頭が痛い。
「熱、あるじゃん!」
熱、か。
言われて初めて、自分が吐く息が、驚くほど熱いことに気がつく。
確かに、熱があるみたいだ。
「ごめん……」
うわ言のように、誰に向けたものかもわからない謝罪の言葉を口に出す。
「ごめん……」
呟くように、ほとんど聞き取れないくらいの小さな声で。
鼻の奥がツンとするような感覚に襲われつつ、心の中を占める混濁した感情を乗せて言う。
「それ、言う人間違ってるでしょ。」
凛久がため息をついているのが、遠くで聞こえる。
頭が、ガンガンと痛む。
「一人で無理しないの。」
言われた言葉が、弱った光の心にどうしようもなく響いてしまう。
抑えることもできない。
涙が、頬を伝った。
「……とりあえず、保健室行くよ。」
言われて、半ば意識を手放しつつ、どうにか足を動かして。
幸い近くにあった保健室のベッドに、なんとか横になった光は、すぐにその意識を手放した。
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