第20話 不意打ちと、自覚

 トン、トン、と。

 自分の足音が廊下に響く。


 それがなんとなく気になって。

 零華はゆっくり、音を立てないように階段を登っていた。


 光の両親は、もう既に仕事に出ている。


 この家にいるのは、零華と光だけだ。


 ……だからって、なにかが起こるわけではないけれど。


 緊張を逃すように息を吐く。


 光の部屋に足を踏み入れることは、実はあまりない。

 

 ここに来るときは、だいたいリビングでくつろいでいるから。


 前回来たのは……いつだっただろうか。


 ……あっ、泊まったときか。

 思い出して、顔を手で抑える。


 寝ぼけていたせいで、記憶が曖昧だけれど。

 寝ぼけた勢いですごいことをしてしまった記憶は、ある。


 1ヶ月ほど前、雷の日に光の家に泊まったとき。


 自分でも、寝ぼけていたんだと思う。


 雷が怖くて、不安で。

 思わず光の部屋に行ったら、光が寂しそうな声で私を呼んでいて。


 思わず、後ろから抱きついて……とか、そんな感じだった気がする。


 ……あと、何か他にも恥ずかしすぎることを言ってしまった気がするけど。


 思い出したら羞恥で死んじゃいそうなので、知らぬが仏……というか思い出さぬが仏。

 考えるな私。


 光だって、……翌朝挙動不審ではあったけど、一緒に寝たことには何も触れてこないんだし。


 零華は頭を振って、思考を現実に引き戻す。


 考え事をしている間に、いつの間にか階段を登りきっていたみたいで。


 目の前にはドア。

 光の部屋の、ドアがある。


 自分の身体を見下ろす。


 気合が入った服。

 

 恥ずかしい。

 でも、見せたい……そう、思わなくもなくて。


 意を決して、ドアに手を伸ばす。

 そして、意を決した割には緊張で震えているその手で、コンコンとドアをノックした。


 ……返事はない。


 耳を澄ませるが、音もない。


 ……そうだろうとは思ってたけれど。

 おばさんもそう言っていたけれど。


 寝てる、ね。


 緊張をほぐすように息を吐く。


 そしてドアノブに手をかけて、ガチャリとドアを開けた。


 ……え。


 視線を一度ベッドに向けて。

 そして、椅子に座って机に突っ伏すようにして寝ている光に戻す。


 ……なんで、机で。


 光が寝落ちとは、かなり珍しい。


 夜中の3時前に送られてきたメッセージを思い出す。


 昨日の一連の出来事が、その原因だということはすぐ分かって。


 恥ずかしい。

 心配。

 嬉しい。


 そんな感情たちが、胸の中を入り乱れるのを感じる。


「ひかる〜」


 小声で、声をかけてみる。


 返事はない。


 結構、ぐっすり眠っているみたいだ。


 零華は光のもとへと足を進めた。


 顔を、覗き込んでいる。


 すやすやと、気持ちが良さそうに眠っている。


「かわ……」


 思わず言いかけて、慌てて自分の口をふさぐ。


 頬が熱い。


 ……私は何を。


 最近、だめだ。

 いつも、こんな調子で。


 可愛いとか言われたら、光、拗ねるかな。

 

 そんな調子で、気を抜いたらすぐに脇道にそれる思考を無理やり現実に引き戻す。


 全部、光のせいだ。

 八つ当たり気味に思ってみるけど、頬の熱さは抜けない。


 はあ、ため息を付いて。

 

 つい、欲を出して光の指に触れる。


 よく手を繋いでいた頃とは違う、その指。

 少し骨ばっている、男性の指だ。


 ……。 


 指から、手を離す。

 ついでに光から目をそらす。


 ……あぶない。


 再び、ため息をつく。


 どくどくと鳴る心臓を、無視して。


 ……そろそろ起こさないと。


 この部屋に来た目的をやっと思い出して。


「ひかる。」


 気を紛らわせるように、そう声をかけた。


「うぅん」


 光が、寝言なのか……それとも返事なのかよくわからない声を発する。


「光。」


 優しく、呼ぶ。


 いつも、なんだかんだ頼りがいがあって。

 零華のことを一人の少女として見てくれる、その目は、その顔は、今は無防備で。


 ふふ、と笑みが漏れる。


「だめでしょ、こんなところで寝たら。」


 最近心の中に渦巻いていた、痛いような満たされるような感情も、いまは鳴りを潜めていて。


 代わりに、穏やかで、幸せな感情が胸を占める。


 ……愛おしい。


 思わず、その頭に手を乗せて。

 心の中の優しい感情のまま、ゆっくりと撫でる。


 うぅん、と。

 光が再び、言う。


 その様子が、どうしようもなく愛おしくて。

 その顔をもっとよく見ようと、少しかがむようにして覗き込む。


 その頬が、安心しきったように緩んでいるのを見て。


「れいか……」


 寝言だろうか。

 それとも、私を呼んだのだろうか。

 それすらわからないような声で、名前を呼ばれて。


 どくん、と心臓が鳴る。


「え。」


 その心臓の高鳴りを、無視しようとして。


「なに?光」

 

 光に問い返した。

 

 そしたら。


 光の瞼が、ピクリと動いて薄く開けられたから。


 あ、私のこと、呼んでたんだ。

 零華は、そう気付く。


 光は眩しそうに目を細めている。

 ……もはや、目が開いているのかすら怪しい。


 だけど、寝ているわけではないらしい。


 急に、光が身体を起こした。


 え、と思う暇もなかった。


 光の手が、伸びてきて。


「ひ、ひかる!?」


 慌てて、声を上げる。


 光が、先程よりもちゃんと目を開ける。


 ……でも、その目はやはりとろんとしていて。


 寝ぼけてる。

 直感的にそう思うけれど、どうすることもできなくて。


 ただただ、近い。


 至近距離で、優しい目で見られて。

 自分の頬が真っ赤になるのを感じる。


 光が、そんな零華を見てふふと笑った。


 その無防備で純粋な笑顔に、見惚れる。


 どくどくと自分の心臓が鳴っているのが、不思議と遠くで聞こえた。


「今日もかわいい」


 だから、一瞬、何を言われたか理解できなくて。


 背中に手を回されて。

 そして、肩に頭をあずけられて。


 ぎゅっと抱きしめられて。


 露出した首元に、光が頬ずりするように動いて。


「え、え、」


 困惑と羞恥と、その他諸々の感情に揺さぶられて。


 動揺しきった声が出る。


 ”今日もかわいい”


 その一言が、零華の心臓をおかしくさせる。


 確かに、かわいいと、言われた。


 いや。


 今日”も”かわいい。


 つまり。


 いつも、かわいいと、思われていた。


 感情が忙しすぎて。


「あんしんする……」


 すっかり安心しきった、なんなら蕩けた声で言われて。


 1分も経たないうちに、すぅすぅという息が聞こえだして。


 ね、寝ないでよ!

 

 心のなかで叫ぶ。


 どうすればいいの、私。

 

 心臓が、うるさいくらいに鳴っている。


 光の息が首筋にかかって、くすぐったい。


 ぎゅっと抱きしめられて、安心する。


 さっきかけられた言葉の意味を考えて、分からなくなっている。


 ぐちゃぐちゃで。


 でも、やっぱり。


 ぎゅっと、光を抱きしめ返す。


 その身体は、やっぱり成長した男性のもので。


 でも、抱きしめたときに感じる安心感は、初めて会った時と変わっていなくて。


 零華がなにか抱えているときは、抱きしめてくれるところも。

 いつも、包み込むような優しさを向けてくれるところも。


 寝起きが無防備なのも。


 雷が、……隠そうとしているけれど実は苦手なのも。


 変わっていなくて。


「大好き。」


 頑張って抑えていた。


 光に気取られないようにしていて、でも最近は隠しきれていなかった。


 ずっと、前から抱いていて。

 時が経つにつれて大きくなっていく、その気持ちが。


 目をそらし続けていた、その感情が。


 言葉となって零れ出る。


 ぎゅっと、抱きしめる力を強くする。


 心臓は痛いくらいに暴れている。


 でも、心は不思議と、安心していて。


 光は、やはり規則正しい寝息を立てている。


 動揺のかけらもない。

 寝ているんだから、当たり前だけど。


 零華は息をついて、光の肩に顔を埋めた。


 しばらく、こうしていたい気分だった。

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