第19話 零華の不安と、光のメッセージ

 チュンチュンという小鳥のさえずりに、零華の意識は回想から引き戻された。


 仰向けにベッドに寝転がりつつ、頭だけ動かして窓の外を眺める。

 先程は半分くらい隠れていた太陽も、その姿を完全に現していた。


 あまり眠れなかったせいで、頭痛がする。


 本当に、やりすぎちゃって。


 再びそう思って、不安と羞恥に布団をぎゅっと抱きしめる。


 ……光は、どう思っているのだろうか。


 差し込む朝日に、眩しそうに目を細めつつ零華は思う。


 昨日渡したマカロンのことを。

 マカロンを渡した零華のことを。


 本当に、どう思っているのだろうか。


 寝返りを打って、窓に背を向けた。


 勉強机においた時計に目をやる。


 7時45分。


 昨日のことを考えているうちに、だいぶ時間が経っていたようだ。


 かち、かちと時を刻む音が部屋に響く。


 いつでも変わらず一定のリズムで鳴っているその音を聞いていると、不思議と心が癒やされるような感じがした。


 息を吐き、そして手を伸ばしてスマホに手を伸ばす。


 もしかしたら、もしかしたら光から何か連絡が来ているかもしれない。

 思って、スマホに触れて。


 それを持ち上げようとして、零華は少しためらった。


 連絡が来る、ということは。

 光から零華に、なにか伝えたいことがあるということで。


 それは果たして、良いことなのだろうか。


 ”マカロンおいしかったよ”とかだったら、いいけれど。


 拒絶の言葉を、投げかけられている……。

 そんな、嫌な妄想が頭をよぎって。


 零華は、ため息を付いた。


 光は、そんなことしない。


 わかっている。

 流石に、わかっている。


 でも、そんな妄想が脳裏をよぎるくらいには不安で。

 

 それくらい、どう思われたか心配で。


 ……正直、見たくない。

 スマホを、開きたくない。

 

 しかし、不安なまま、今日1日を過ごすわけにもいかない。


 だから、零華は目をつぶって。


 スマホを手にとって、顔の正面に持ってきて。

 そして電源ボタンを押して。


 恐る恐る、薄目で通知を確認する。

 

 ある。


 光から、なにか連絡が来ている。


 少し震えている指で、その通知をタップして。

 そして、光とのトーク画面を開いて。


 目を、開けた。

 

「え。」


 目を開けて、声を漏らした。


 ”マカロンおいしかった”


 ”ありがとう”


 ”しあわせだ〜”


 トーク画面を、光からのメッセージを、まじまじと見つめる。


 恐れていたような、否定的な言葉は、感情は。

 そこには、欠片も見当たらなくて。


 それどころか。

 

 ”しあわせだ〜”


 吹き出しに表示されているメッセージを見て。


 その横に表示されている、2:52という数字を見て。


 零華は、ふふと微笑んだ。


 寝返りを打って、うつ伏せになって。

 枕に顎を乗せて、光からのメッセージを眺めた。


 普段、光は夜ふかしをするタイプではない。

 少なくとも、3時前まで起きているようなタイプではないから。


 いつもよりも、なんとなくふわふわとした口調のメッセージ。


 寝ぼけてたんだろうな。


 思って、安堵のため息をつく。


 眠いながら送ってくれたであろうこのメッセージは。

 光の性格的に、たぶん偽りのない言葉で。


 光は、昨日の出来事を、マイナスに捉えていない。

 それどころか、昨日送ったマカロンは、光を幸せにできたらしい。


 心に刺さっていた大きなトゲが、すっと取れたような感覚がする。

 安堵と嬉しさで、口角が下がってくれない。


「よかった。」


 小さくつぶやいて、零華はほっと息をついた。




 



 零華は今、光の家の扉の目の前にいた。

 その手には、扉の鍵が握られている。


 準備万端、今すぐお邪魔できる……そんな格好で、しかし。


「かえろうかな……。」


 零華は、つぶやいていた。


 腕時計を見て、深くため息をつく。


 8時15分。


 ……いくらなんでも早すぎる。

 

 たぶん、光はまだ起きてない。

 なんなら、おじさんとおばさんもまだ家に居るかもしれない。


 邪魔、だろうし。

 

 自分の服に目を落として。


 ため息をつく。


 明らかに、気合が入りすぎている。

 

 外着。……しかも、お気に入りの外着だ。

 なんなら、光に見せて”これお気に入り”と紹介したことすらある。


 光の家では、いつもくつろぎやすいラフな格好をしているのに。

 こんな服を着てきたら、絶対に、浮かれてるってバレる。


 恥ずかしすぎる。


 や、やっぱりだめだ。


 帰って、ご飯を食べて、着替えて。


 それから、ゆっくり出てくるべきだ。


 思って、踵を返そうとした……のだけれど。


 現実は、そう甘くはなかった。


 ガチャガチャ、と鍵が開く音がして。


 あ、と思う間もなく、扉が開いて。


「あら?零華ちゃん?」


 中から、目を丸くした女性が出てきた。

 

「お、おはようございます、おばさん……。」


 今だけは。

 今だけは、会いたくなかったんだけど。


 そう心のなかで思うけれど、おばさんは悪くない。


 笑顔が引きつっているのが、バレないといいけれど。


 おばさんこと光の母、光子は零華をまじまじと見つめている。

 

「もしかして今日、光と出かける予定だったりする?」


 唐突にそう言われて、しばし固まって。

 この服装を見てそう思ったんだろうな、と気付いて。


「い、いや、そういうわけじゃなくて!!」


 思わず、ちょっと大きすぎる声で否定した。


「ただ、ちょっと……き、昨日買った服を見せてみようと思って!」


 もちろん、嘘だ。

 真っ赤すぎるほどの嘘だ。


 けれど、流石に”浮かれて気合い入れ過ぎちゃいました”とは言えなくて。

 かといって、お出かけ……デートとも言えるそれに行くと思われるのは、恥ずかしすぎて。

 

 零華は信じて……と半ば祈るように、光子を見つめた。


「そうだったの。……ごめんねえ、でもあの子今寝てるのよ。」


 あっさり信じてくれた……のは良かったけれど。

 申し訳無さそうな顔で言われて、零華は焦る。


「私が早く来すぎちゃっただけだから、一旦……」


 一旦帰ります。また後で来ます。


 そう言って、回れ右しよう。

 テンパりつつ、思ったその計画は。


「あら、ちょうどいいじゃない。光を起こしてくれないかしら。私もパパも、もう仕事に行かなくちゃいけないし。零華ちゃんが起こせば、あの子もきっと素直に起きるわよ」


 そんな光子の言葉に、あっさりと砕かれた。


 ”名案だ”といわんばかりの光子の様子に。

 仕事に出かけようとしていたところを、引き止めてしまっていたらしいことに。


 恥ずかしい、とか言ってられなくなって。


 もう、どうにでもなれ。


 なかばやけになって、零華はその提案を引き受けたのだった。

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