第18話 大切な人に、マカロンを

 零華は、光のお腹に袋を押し付けた。


 心臓が、バクバクと鳴っていて。

 とてもではないけれど、光の顔など見れない。


 自分の頬が、おかしいくらいに熱かった。


 光に。

 大切な、大切な人に。

 間接的にとはいえ、「あなたは私の大切な人です」という意思表示をするというのは。


 怖くて。

 恥ずかしくて。

 不安で。

 ドキドキして。

 

 ぐちゃぐちゃになる。


 なにも、言えない。


 今すぐ、この場から逃げ出したい。


 でも、足は動かない。


「……これ、もらっていいの……?」


 うつむいて動かない零華に、光が問う。


 零華は、小さく頷いた。


 受け取って、くれるだろうか。


 不意に、思った。


 重い、よね。

 受け取りたくない、よね。


 もう、後戻りはできない。

 けれど、こんなことなら。

 スナック菓子を渡せばよかったと、そう後悔をした。


 光は、動かない。

 零華も、動かない。


 沈黙が、二人のいる廊下を支配して。


 ……。


 不意に、零華の手が軽くなった。


 思わずパッと、光を見上げる。


 光は袋を零華から受け取って。

 そしてそれに、目を落としていた。


 その頬は、赤い気がするけれど。

 今はそのことを考えている余裕などなかった。


 マカロンを手から取られたせいで居場所をなくした手が、空を彷徨う。


 不安で。

 思わず、こんな時だというのに光の服の裾をつかんでしまう。


 それを見届けて。


 光が。

 袋の口に、手を伸ばす。


 やめて。


 心の中で、叫ぶ。


 でも、今更、それを口に出すことはできない。


 思わず、目を伏せてぎゅっと目を閉じた。


 服の裾を握る力が、強くなる。


 どくん、どくん。


 心臓が、暴れている。


「……え。」


 少しかすれた声。


 その感情には、どんな感情が込められているのだろうか。

 少なくとも、負の感情じゃないといい、けど。


 次にかけられる言葉は何だろうか。


 思って、唇を噛む。


 心臓は、痛いくらいに跳ねている。


「手作り……」


 光の口から、思わずといったふうにこぼれた言葉に。


 ぱっと顔を上げてしまう。

  

 顔が、真っ赤だ。

 というか、多分耳まで……いや、首まで真っ赤だ。


 口を小さく開けて、光の方を見上げて固まってしまう。


 マカロンの意味に気を取られすぎて、忘れかけていたけれど。

 

 光に、手作りのお菓子をあげたんだ。

 手作りの、マカロンをあげたんだ。


 気持ちを込めて作ったマカロンを、あげちゃったんだ。


 思って。


 恥ずかしい。

 嬉しい。

 不安。


 いろんな気持ちが混ざりに混ざり合って、自分も知らない感情へと変化していく。


 何も言えずに、光と見つめ合う。


 光の目は、優しい。

 光の心は、優しい。


 たぶん、鼓動は人生で、一番早い。


 でも、それさえ気にならない。


 光を、見つめる。


 胸を、いっぱいに満たす感情がある。

 でも同時に、胸を切り裂くような、鋭く切ない感情も混在していて。


 光のことで、胸が、心が、一杯になる。


 光のことしか、見えなくなってしまう。


 そんな自分が怖くて、思わず目をそらしてしまう。


 でも。


 やっぱり。


 零華は、光の襟首に手を伸ばして。

 そして、光の上体をぐっと引っ張る。


 光の顔が、肩に当たるのを感じる。


 その耳に、零華は口を寄せた。


 長いこと溜め込んで、すでにいっぱいになっていた感情は、少しの衝撃であふれてしまう。


 痛いのか、心地良いのかもわからない感情に乗せられて。


「いつもありがと、ひかる。」


 光の耳元で、紛れもない本心を。

 熱くて、切ない心の声を乗せて、囁いた。


 無意識に、いや、我慢できずに。

 光の身体を、頭を、ぎゅっと抱きしめる。


 光の、細い……でも、たしかに筋肉を感じる、自分とは違う身体を感じて。


 ハッと我に返った。

 

 え、私、なにを。


 光の背中から、手を、離す。


 光が、力が抜けたように座り込む。


 目が、あった。


 見下ろす零華と、見上げる光。

 

 いつもとは違う、風景。


 どくん、と心臓がなる。


 光の頬は、真っ赤だ。


 その目は、揺れていて。


 困惑と羞恥と、疑問。

 それらのわかりやすい感情に隠れかけていたけれど。


 ……うれしい。

 そんな感情を、その目に見てしまって。

 

 ねだるような目線を見た気がして。


 頭が一瞬、真っ白になって。


 息を吸って。


 ばっと目をそらす。


 これ以上は、零華が持たない。


 どくんどくんと、心臓が暴れている。


 心はなにかに満たされて、ふわふわと浮かれている。

 

 満たさせれているはずなのに、胸が、何かを求めてずきんずきんと痛んでいる。


 そんな、知らない感情が。

 知らない自分が、怖くて。


 零華は、光の家の玄関から飛び出した。

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