第6話 雷の日に、いじらしい君と

 項垂れる零華をみて、頭を巡らせる。


 なんだ。

 なんなんだ。


 急にどうしちゃったんだ。


 わからない。


 わからないけれど、取り敢えず謝るのも不誠実だし、どう声をかけていいか分からない。


 零華の表情を探ろうにも、零華が項垂れているので顔が見えない。


 もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。


 それとも……もしかしたら、光の視線と態度があまりにも気持ち悪かったのかもしれない。


 わからない、けど。

 

「れ、零華……俺、何か嫌なことしちゃったかな。」


 恐る恐るたずねると、零下がパッと顔を上げた。

 不安、そして罪悪感……そのようなものは表情から読み取れるが、怒りなどは見えなくて。


 ますます訳が分からなくなる。


 光が悪かった、という可能性をつぶすと、もうそれは零華が何かを気に病んでいるということで。

 罪悪感がありありとうかんだその表情を見て、光は確信する。


 ……が、零華に何かをされた覚えは1つもなくて。


 わからない……。


 心の中でつぶやいた。


 不安げな光に気づいたのだろうか。

 

 零華が目線を落ち着かなさげに動かして……斜め下の床に目をそらした。


「ごめん……。」


 口を開いた零華が口にしたのは、やはりといえばいいのだろうか。

 謝罪だった。


 でも……。

 

「ごめん、その、何の話……?」


 本当に見当がつかなくて、途方に暮れてたずねる。

 謝られるようなことをされた覚えはかけらもなかった。

 

 しばらく沈黙していた零華だったが。


 不意に顔を上げて。


 その目に涙がたまっていることにぎょっとする光。


 零華が口をきゅっと結んだあと、開けて。

 

「ひかるぅ、ごめぇん」


 ぽろぽろ涙を流しながら言うから。


 光は本当に動転して。

 何が何だか分からないけれど、ただ零華が心配で。

 泣いている顔を見るのは嫌で。


 何が何だか分からないけれど、泣き止んでもらいたい一心で。


 動転した心が導き出した最適解を実行した。

 まあ、つまり……幼いころ、零華が泣いている時によくしていたように、ぎゅっと零華を抱きしめた。


 混乱しつつ、零華の頭をポンポンと優しくなでる。


「私、最初から、光の家に、泊まりたくて……。」


 しばらくそうしたのち、零華の口から出てきたのはそんな言葉だった。

 

 最初から、というのは。

 大雨が降り始める前からということだろうか。


「それは雨が降り始める前からってこと?」


 できる限り優しい口調で、責めている印象を与えないように光が問いかけると。

 零華は小さく頷いた。

 しばらくして、零華はぽつぽつと語り出した。

 

 零華がいうことには。


 1週間前から、零華の母……静香が出張に出かけているらしい。

 出張の機関は3週間だそうだ。

 

 零下の父は12年前に亡くなっている。

 

 そんなことがあり、しばらく零華は一人暮らしをするような形になったのだが。

 家で一人ぼっちと言うのは、割と甘えん坊な零華にはつらかったようで。


「それで、昔光の家に泊まったのを思い出しちゃったの」


 零華の言葉に、あぁと光は頷いた。

 昔、……小学校高学年のころだろうか。


 今回と同じように、静香は出張で家を空けることとなった。

 当時はまだ零華も小さく、静香にお願いされたこともあって、光の家で数週間預かったことがあったのだ。


 いつも入り浸っているとはいえ、夜遅くまで零華がいるのは新鮮で。

 二人で夜遅くにひそひそ話したり、寝坊している零華を起こしたり、毎日楽しかった覚えがある。


 零華は独り寂しい夜に、このことを思い出したらしく。


「泊まりたいな、って、その……思っちゃったんだ。」

 

「そういうことなら言ってくれれば……。」


 言いかけて、光は言いよどむ。

 さすがにこればっかりは光の一存では決められない。


 食事だけならば食費を割ればいいし(実際今はそうしている)、1日泊まるくらいならばまだいいのだが。

 長期間泊まるとなると、また別問題である。


 まあ、普段から半分泊っているようなものだし、光の両親だって子供同然に接している。

 静香が家にいるときは零華も自分の家で時間を過ごすことが多いが、静香が家を空けている休日なんかは、光の家族と零華で出かけることもよくあった。

 

 そんな光の両親が泊りを断るとは思えないが、それにしたって了承は取らないといけないだろう。


 黙り込んだ光に、零下が言う。


「何週間も泊まるわけにはいかないし、平日は迷惑だろうなって思って。だから休日に一日、泊めてもらえないかな、って……思ってたんだけど……。」


 言葉がしりすぼみに小さくなる。


「そ、の……勇気、が、無くて……。迷惑かな、とか。断られたらどうしよう、とか。せっかくの休日なのに私が泊まっちゃっていいのかなとか……思ってたら、気づいたらもう当日で……。」


 項垂れる零華。

 

 思わず目の前の頭をなでてしまう。

 さらさらな髪を掌で感じつつ、光は零華を眺めた。


 本当に、なんというか……。


 今回はまあ、遠慮するのもわかるが。

 

 いつもの行動から見ても、優しい、いや、優しすぎるんだと思う。

 いつも人のことを考えて、期待に応えて、人が嫌な思いをしないように我慢して。

 

 それで自分の首を絞めるくらいなら、ちょっとくらいわがままになってもいいのに。

 そしたら俺も全力で願いを叶えるんだけどなあ、と光は思う。


 ……我ながら、何様なんだろうとか、過保護とか、そういうことを思わなくもないし、こっぱずかしいことを考えている自覚もあるが。

 でも、そう思ってしまうのも仕方がないと思う。


 光はひっそりとため息をつき、零華に話の続きを促した。


「それじゃ、着替えを持ってたのは……。」


 零華が一層項垂れるので、光は慌てた。


「い、いや、別に責めてるとか怒ってるとかじゃなくてさ。ただ、……。」


 いいながら、あることに気が付く。

 外ではまだ、雷がゴロゴロとなっている。

 先ほどよりはましとはいえ、その音は光の耳にも入ってきて。


「あ、今日が大雨の予報だったから?」


 そういうと、零華が小さくうなずいた。

 ……え、でも。


「それ、俺が天気予報見てたら……。」


 たぶん、光がもしいつも通り天気予報を見ていたのなら、零華は雨が降り出す前に帰らされていただろう。

 

 なにか事情がない限りは、泊りは光にとってできれば避けたいイベントである。

 ……いや、うれしいのだけれど、避けなければいけないというか……。


 とにかく、大雨が降ることを光が知っていれば、光は零華を3時くらいに帰らせたはずだ。

 

 ……ということは。


「もしかしたら、って……光が天気予報見てなかったらいいなって……。」


 ……つまり。

  

 一縷の望みにかけて着替えを準備してきた、ということか。


 ……いじらしすぎる……。

 光は頭を抱えた。

 

 そもそも、光が天気予報を見ないことなどほとんどない。

 

 そして仮に天気予報を見なかったとしても、零華が期待したような展開になる可能性は限りなく低い。

 というのも、大雨が降るとなれば大抵はニュースやネットで気付くからだ。

 

 光が朝に天気予報を見ず、かつテレビ、スマホ等にさわらない……そうならなければ、零華は泊れないといっていい訳で。


 今日がそんな日だったのはただの偶然……と思いかけて、光は思い出す。


「あぁ~……なんかやたらゲームに誘ってくると思ったら……。」


 日中、零華と光はゲームに熱中していた。

 謎にぐいぐい来る零華に押されて、朝から夕方まで二人で家にあるゲームを片っ端から遊んだのだ。


 ”ほ、ほら、もうすぐ梅雨だからさ。梅雨になったら気分も落ち込むし、満足にゲームも楽しめないんじゃない?”

 有無を言わせない笑みを貼り付けて、目を泳がせながら……冷静に考えると意味の分からないことを言う零華。


 零華のゲームの腕は決してうまくない……というかむしろ酷い程で、光と比べるとかなり悲惨なのだが。

 それでも零華とゲームをするのはとても楽しいので。


 何が何だかよく分からないながらも、光もその提案に乗ったのだった。

 

「光が何も疑わずにゲームに熱中してくれたから……」


 何か勘違いしているらしい零華に、一応事実を伝えておく。


「いや、なんか隠してそうとは思ったけど。楽しいからいいかって流しただけで。」


「え。」


 何か隠していたことがバレていたと知って、びっくりしたようにこちらを見上げる零華を見て、思わず吹き出した。


「いや、だってさ、梅雨になったら外出できないんだし、ゲームする機会は増えるでしょ。さ、流石に分かりやすすぎて。」


「え。」


 さっきから”え”しか言わない零華の様子がおかしくて。

 ついツボに入ってしまって、光は涙を拭いた。


 零華がほっぺを膨らませているのをみて、流石に笑いすぎたかと思うものの、笑みが消えない。


 泊りたくてああしているとは思わなかったが、何か企んでるんだろうな、というのはバレバレで。

 それなのに隠しおおせたと思っていた零華が。

 本当に。


「ほんとに可愛い……」


 思わず、呟きとして口から漏れ出した言葉。


 言ってしまって。

 

 数秒固まって、ハッとする。


「あ、いや、ちが、その」


 とっさにそう言って。

 バッと零華をみる。


 ……が、零華は首をかしげていた。


「?光、どうしたの?」


 急に慌てだした光に戸惑うように、零華が言って。

 

 その顔はどうみても、誤魔化している風には見えない。 


 ……聞こえてなかったのか。

 光は半分浮かせていた腰をのろのろと下ろして、腕で顔を隠した。


 ……顔は、たぶん真っ赤だ。


 「あぶな……。」

 

 熱を吐き出すように、呟く。

 この数時間で、軽く1年分は赤面している気がする。


 これも全部零華のせいだ。

 

 八つ当たり気味にそう思うが、当の本人は光の様子がおかしいことに困惑しているみたいで。


「え、どうしたの。真っ赤だよ?」


 零華が急に近づいてきて、光のおでこに手を当てた。


 ほっそりとした指に髪をかき上げられる。


「熱……あるのかな、手じゃわかんないな……。」


 つぶやく零華。


 手を当てた結果何も分からないところも含めて、零華らしくて。


 光は顔を零華と反対側に向けて、零華から見えないように頬をつねる。

 自分の鼓動がうるさい。


 ……だから泊りとか無理だって……。


 本当に今更過ぎる後悔をする。


「ね、ね、光、体温計持ってきたよ。一回測ってみなよ。」


 背後で言っている零華には悪いが、いったん無視させてほしい。

 返事がないことに困惑している気配がするが、今は返事なんてできそうにない。

 

 やばいなぁ……。

 本格的にやばいよ……。

 いったん避難しなきゃ……。


 そう思って。

 真っ赤な顔を零華からそらしつつ。


「ちょっとトイレ行かせて」


 立ち上がってリビングをでようとドアを開け……。


 !?!?!?


「うわ!?」


 悲鳴に近い声を上げて光はしりもちをついた。


ーーーーーー

【あとがき】


切実に、光の家の壁になりたいと思っている作者のキタカワ。です。

心行くまでいちゃつきを眺めたい……。

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