第5話 雷の日の、君と着替えの話

 光の口角が戻り、零下の機嫌が直った頃には時刻も8時半を過ぎようとしていた。


 そしてその頃、光は試練に立たされていた。


 ……なんて言えばいいんだ……。


 ソファから上体を起こして、悩まし気に眉間を触る。

 

 ちらりと零華に目をやった。

 光の弁解で機嫌を戻した零華は今、ソファの前でクッションに座ってゲームに興じている。


 零華の操作する車が、コースを飛び出して引き戻されている。


 相変わらず下手だが、それは今どうでもよくて。

 

 う~ん……。


 光は零華から視線をそらして、ひっそりとため息をついた。

 

 ”泊っていけば”なんて気軽に言ったはいいものの。

 準備をしていないためいろいろな問題があるわけで。


 布団どうするかな、とか。

 歯磨き……は置いてあるからいいが。

 空き部屋は掃除もしていないし、すぐに泊まれるような状態ではない。


 ”私はソファで寝るからいいよ”とか言いそうだが、流石にそういうわけにもいかないだろう。


 ……それに。

 着替え、はどうするつもりなのだろうか。


 光たちはまだお風呂に入っていない。

 もう9時近いため、そろそろ入った方がいいと思うのだが。

 

 お風呂に入るとなると、着替えが必要になるわけで。


 着替え、無いよね。

 光は頭を抱えた。


 いや、部屋着がないだけなら最悪光のを貸せばいいのだ。

 多少大きいが、なんとかなる。


 ただ。


 その……下着、はどうにもならないだろうから。


 変えない、というわけにもいかないだろうし。


 いや、普通に”着替えあるの?”と聞けばいいのだが、なんだか……うん。

 変なことを考えてしまったせいで言いづらくて。


 母さんが帰ってくるのって何時だっけ。

 思わず親に助けを求めたくなって。

 でもまだ帰ってこないよなぁと思わずため息をついた。


「どうしたの光。」


 光のため息に気づいた零華が言って。

 

 ……はあ、と先ほどよりも深いため息が出た。

 

「え、わ、私!?私が悪いの!?」


 ゲームそっちのけで振り向いた零華に、首を振って違うよと知らせる。

 

「いや、そういうことじゃなくてさ。」


 若干愚痴っぽい口調になって、いけないと咳払いする。


 零華の車が次々抜かれていって、最下位になるのを見届けてから、光は口を開いた。


「えっと、その……もうすぐお風呂に入った方がいいかなと思って。」


 何と言えばいいか……考えすぎた光は、そんな遠回しすぎる切り出し方をした。


 ただ、光にはそれが遠回しすぎるという自覚はなく。

 こういえば零華も気づいてくれるのではないかと淡い期待を抱いていたのだが……。

 

 零華は時計を見て、びっくりしたように眉を動かして。


「本当だ、もう9時じゃん。」


 そう言って、こちらを向いて。


「どっちが先に入る?」


 何事もないようにそういうのだから。


 予想と違う展開に光は若干慌てる。


 着替えないつもりだろうか。

 零華がそのつもりなら光は別にいいのだが。

 

 光的には全然気にしないのだけれど。

 零華が気にしないとは思えなくて。

 

 もしかして、着替えがないのを忘れているのだろうか。

 そんな結論に至った。

 

 零華のことだから、あり得るかもしれない。


 もしそうだとしたら……光は混乱する頭で考える。

 

 もし忘れているとしたら、光が先に入って”着替えが必要なこと”をアピールすればいいのではないか。

 そう、光がお風呂から部屋着で上がってくれば、零華だって部屋着がないことに気づくだろう……。


 ……そんな、支離滅裂な遠回りすぎる理論を組み立てたてて。


「あ、俺先に入るよ」


 そう言って部屋を出た。




 

 ……よく考えれば。

 

 いや、よく考えなくても。

 

 普通に考えて。

 

 ”着替えあるの?”って聞けばすべてが丸く収まったのでは?

 

 風呂で冷静になった光は、そんな今更すぎることに気が付いて。

 頭を洗いつつ深いため息をついた。

 

 なにが”自分の部屋着を見せれば”だよ……。

 普通に聞けよ……。

 

 がっくりと肩を落とす。

 

 いったい何だったんだ。

 あの無駄に緊迫した十数分は。


 はあ、と再度ため息をつく。


 空回りしてしまったのが恥ずかしい。

 

 ……零華がうちに泊まるのなんて数年ぶりだから。

 すこし、……浮かれてしまっているかもしれない。


 この日何度目か分からないため息をつく。


 本当に……。


 少々乱暴に自分の髪を洗う。


 頬が熱い。

 零華はおそらく、何も気づいていないのだろうが。


 一人で浮かれて空回りした羞恥に、光は小さくうめいた。



 

 

 結局、零華は着替えのことに何も触れないままお風呂に入った。

 お風呂から上がった時に”着替えどうするの”と聞く予定だったのだが、零華が光と入れ違うように風呂に入ったせいでタイミングを見失ってしまい。


 遠くから聞こえるシャワーの音。

 思わず体を洗う零華の姿を想像してしまい、慌てて耳をふさぐ。


 頬が熱を持っているのを感じる。


「やばいなぁ」


 小さく、言葉にならない何かを吐き出すように言ってみる。


 零華が家に泊まるのは予想外すぎて。

 ……調子が狂う。


 自分の腕に顔をうずめる。


 多忙とは言え、夜遅くにではあるが両親も帰ってくる。

 

 だから真夜中に男女が二人きり……みたいなシチュエーションにはならないのだが。


 それはそれとして。


 1週間前の土曜日を思い出して頬がさらに熱を帯びるのを感じる。


「本当にっ…………っ」


 羞恥に襲われて、言葉にならないうめき声を発した。

 

 零華に抱きしめられた感覚を思い出してしまって。

 そして零華にねだるように手を伸ばした自分を思い出してしまって。


 これ以上ないほど真っ赤になる。


 もうだめだ。

 本当に。


 頬をつねる。


 止めていた息を吐き出す。


「やばいなぁ。」


 またそう零して光は深く息をついた。


 頬の熱が取れない。

 しばらくはこうして腕に顔をうずめとくしか……。


「あれ、光?どうしたの?」


 頭上から零華の声が降ってきて。


「えぁっ!?」


 変な声を上げて、跳ねるように顔を上げた。


 かがんでいた零華と至近距離で目が合い、ばっと目をそらして……。


「あれ。」


 思わずぽつりと言葉をこぼした。


「着替え、あったんだ。」


 零華は青色の部屋着に身を包んでいる。

 

 ……なんだよ、あるのかよ。


 というかなんで持ってるんだよ。


 本当に空回りしてたんだな、と羞恥に襲われて、心の中で半ば八つ当たり気味にツッコんだ。


 ああもう、本当に……。

 そう、思って。

 ふと、反応がないのが気になって上を見る。


 見て、固まる。


 零華は分かりやすい程に目をそらしていて。

 その頬は、風呂上がりで上気しているとはいっても、どう見てもそれだけじゃないほど赤味を帯びており。

 かがんでいるのとゆったりとした服を着ているせいで胸元が危ういことになっていて。

 目をそらすも綺麗な足に目が行ってしまい……。


 「な、なんか、……ええと、その……お、おばさんが!置いとけって言ってたから、さ。」


 零華の声にハッと正気に戻って……。


 そして、首を傾げた。

 

 おばさんというのは光の母だ。

 ……?

 母が寝巻きを置いていけといったとは……どういうことだろうか。


 というか、全体的に挙動が怪しすぎて。


 問うような目で零華をみるが、零華は目を合わせてくれなくて。

 

 二人して沈黙したまま1分ほどが経って……。

 

 そして。

 

 あろうことか。

 

 零華が急に土下座した。

 

 光は一瞬固まって。

 

「え、え、ええ!?」


 思わず声を上げる。

 

 あまりにも突然のことで、光の脳が付いていけない。


 ど、どうしたんだ。

 

 混乱していて、頭が回らない。


 回らない頭で考えた末、もしかしたら光が悪いのかもしれないという可能性に気づいて。


 もしかして聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。


 いや、しかし……。


 どう、すれば……。

 

 しばらく動けずに零華を見ていたが、ハッと我に返ってしゃがみ込む。


「ど、どうしたの?零華。と、とりあえず座ろうよ」


 項垂れる零華をソファに座らせて、自分も横に座った。


 零華はどうも、とても落ち込んでいるようで。

 さっきまでの不純な気持ちを忘れて、光は心配の面持ちで零華をみつめた。




ーーーーーー

【あとがき】


風呂上がりの零華を赤面させたくて書きました。

書き始めたら、頭の中のイマジナリー零華&光がしゃべり始めて、気が付いたらなんかめっちゃ長くなっていました。

で、なぜか土下座し始めました。

現場からは以上です。

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