第3話 同じ空気を食む君(ショーンSide)

 私は、この婚活に乗り気ではない。家の事情で送り出されただけで、決して自ら進んでこの場に向かったわけではない。権力が欲しい、といった単純な理由で放り込まれたのならば良いが……箔がつくから、という理由で放り込まれたのだから察してほしい。

 両親は、私が王子に見初められることを期待していない。期待されていないから、やる気になれない。そもそも、私は王配になれるような教育を受けていない。

 本は好きだ。だが、それだけだ。王配に必要な他者との交流に関してはまったく駄目なのだ。そんな私だが、密かに交流を楽しみにしている相手がいる。


「ヒューイ、どうした? こそこそして」

「……しーっ」


 人差し指を唇に当て、声量を抑えるようにと示してくる彼が、その私が唯一接触することを楽しみにしている人物である。

 柔らかな色の混ざった金糸を揺らし、私が使っているテーブルの下に隠れた。もぞもぞと動く気配がした後、私の膝元にぬうっと顔を出してきた。


「…………変質者か?」

「ちょっと……事情があるんだって」


 ひそひそと囁く彼は誰かから逃げているようだ。悪さをしたのか、はたはまた別の理由か、いずれにしろ私にはきっと理解できない何かだろう。

 聞くだけ無駄だ。それに聞かずとも勝手に話し出す。いつも通りの流れだ。私は彼の頭をぽん、と撫でて読書に戻った。


 いつの間にか、ヒューイは私の膝に頭を乗せて眠っていた。相変わらず身を隠して、である。私の膝の位置は、彼が床に座るとちょうどいい高さになるのだろうか。

 それにしてもよく、そんな器用な真似ができるものだ。彼のつむじを見つめて苦笑する。

 そんな時、珍しい客が現れた。


「やあ、ショーン」

「アルバート殿下」

「ここでは呼び捨てで良いって言っているのに、相変わらず真面目だな」


 ヒューイのそれと違って眩しく光る金糸が現れた。もしかして、ヒューイが逃げていたのは彼からだろうか。


「あなた様の伴侶にはなり得ないと理解しているからこそ、適切に、臣下として距離を保っているだけです」

「……へぇ? 臣下、ね。私は忠実な人間は好きだ」


 意味深ともとれる言葉に、私は小さく息を飲む。


「まあ良い。ところでヒューイを知らないか? あのいたずらっ子をブライアンと共に探しているのだが、なかなか見つからなくてな」


 あぁ、ヒューイ。やはり何かやらかしたのか。


「彼、今度は何をしたんですか?」

「それは、説明しがたいな」


 いったい何をしたのだろうか。問題の張本人は、すやすやと安らかな寝息を立てている。


「そうですか。見かけたら、あなたのところへすぐに向かうよう説得します」


 膝の上に頭を乗せている存在は、ある意味今、ここにはいない。夢の世界に旅立ったままだ。つまり、嘘ではない。


「……頼んだ」

「はい、頼まれました。とりあえず、私はこのイベントが終わってからの対策勉強を続けます」


 じっと私のことを探るように見つめた末、彼は頷いた。私のことは、真面目で融通のきかない人間だと思っているのだろう。ちょうどいい誤解だからそのままにしておこう。


「くれぐれも、頼んだ」

「お任せください」

 ちゃんと、ヒューイが起きたら伝言します。私は心の中で付け足した。




「んん……」

「……起きたか」


 膝の上が賑やかになってきた気配に、私は視線を下げた。ぐいぐいと顔を太ももに押しつけて眠たそうにするヒューイは、まるでごねる猫のようだ。

 可愛らしい動作に笑いそうになった。


「ねぼすけさん。我らが王子様が探しにきていたぞ」

「はぇ……?」


 まだ状況が分かっていないらしいヒューイが驚いて頭をぶつけないよう、そっと彼の頭に手を添えた。


「今度は何をしでかしたんだ? アルバート王子がお前のことを“いたずらっ子”と呼んでいたぞ」

「あっ!!」


 やっぱり。反射的に頭を上げようとしたヒューイの頭を押さえつける。


「頭、ぶつけるって……」

「ごめん、ありがとう」


 落ち着いたから大丈夫、そう言うかのように押さえている手をぽんぽんと撫でてくる。いちいち仕草が可愛いな、と思いながら手をどかした。

 頭をぶつけないように慎重に体を起こしたヒューイは、隣の椅子に座る。


「――で? 何をした?」

「え?」

「私には言えないと、あの方は仰ったが」


 私の言葉にヒューイは視線をさまよわせて言った。


「……あれは、俺のせいじゃない」

「ん?」


 事故、ということだろうか。いくつものパターンが頭をよぎるが、そのどれもが違う気がする。


「具体的には?」

「変に言い寄ってくるから、ふざけて“アルはブライアンとキスしてれば良いだろ”って言っちゃって……」

「……は?」


 どうしたらそんな思考になるのか。まったく理解できない。


「そしたら……本当にキス、しちゃったんだ。しかも、なんか逆鱗が反応しちゃって…………」


 なんということだ。確かに、これは王子も口にできないだろう。


「で? 反応したのは王子の逆鱗か? 護衛の逆鱗か?」

「わ、分かんない……っ! 俺、びっくりして逃げちゃった……」


 事情が思ったよりも複雑そうだ。ヒューイの気持ちはどうであれ、私が言うことは決まっている。


「まぁ、がんばれ。とりあえず急いで王子に謝罪しつつ、状況を確認することだ」

「う……っ」


 気まずいだろうが、自分がまいた種だ。私にはどうしてやることもできない。だが、一つだけやれることがなくもない。


「そうだな……素直になれるおまじないをしてあげようか」

「おまじない……?」


 私はヒューイを引き寄せ、その唇に触れた。重ねるだけの、ただ触れるだけのキス。逆鱗が輝いたりといった特別なことなど、何も起こらない。

 少しだけ残念に思うが、私たちは所詮その程度の関係なのだ。


「何すんだよ」

「何も起きなかっただろ?」

「へ?」


 察しの悪いヒューイに、丁寧に教えてやる。


「私はお前のことを気に入っているが、キスをした程度で逆鱗が輝いたりはしない。つまり、その時に逆鱗が反応したのだとしたら、それはもう、自分の気持ちを受け入れるべき段階まで、相手のことを愛してしまっているということだ」


 私の解説に、ヒューイは瞬きを繰り返す。


「つまり、どうってことのないことで逆鱗が反応するのも時間の問題だったわけだ。むしろ時短できて良かったんじゃないか?」

「……な、なるほど……?」

「だから、お前の冗談じみた言葉が発端だったかもしれないが、いずれはそうなっていたのだから、気にするだけ無駄だ。だからさっさと話をしに行ってこい」

「う……」


 まだ行きたくなさそうにしていうヒューイに、私はわざと微笑んだ。


「もう一度、逆鱗の件を確かめるか?」

「いいっ! 大丈夫! 行ってくる!!」

「はは、面白いやつ」


 急に反応しなくとも、じわじわと逆鱗は染まる。私はヒューイの色に染まりかけた逆鱗をそっと撫で、これ以上染まってくれるなと言い聞かせるのだった。

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