二月二十九日の誕生日

よし ひろし

二月二十九日の誕生日

「今日は私の誕生日なの」


 その日初めて訪れた彼女の家のリビングでそう告げられた。

 二月二十九日、会社帰りに待ち合わせし、誘われるまま彼女の黒のポルシェでここに来た。年代を感じさせる古い屋敷で、都内の一等地にあるとは思えないほどの豪邸だ。金持ちの娘ではないかとは薄々思っていたが、どうやら予想以上のお嬢様のようだ。


「言ってくれれば、何かプレゼントを用意したのに」

「いいのよ、あなたがいてくれるだけで。それよりも、私、着替えてくるから、その間、これでも飲んで待っていて」

 彼女はそう言うと、テーブルの上にグラスを置き、手に持ったボトルから赤ワインを注いだ。


「今日のために用意した特別な物よ。気に入ったら、一本丸ごと飲んでしまってもいいから」

 そう言い残し、彼女――藤原優子はリビングを後にした。


「特別か……」

 ワイングラスを手に取り、口元に近づける。脳髄を蕩けさせような甘いフルーティな香りが鼻腔から入ってくる。


 たまらない――グラスを傾け、一気に飲み干す。


 口内から喉、食道を通り胃へと、魅惑的な味わいの液体が落ちていく。

 ほろ苦く甘酸っぱいフレーバーの奥に別の何か知っている味を感じる。

 知っている味…、でも思い出せない…


「なんだ……」


 気になり確かめるべくボトルに手を伸ばし、グラスに注ぐ。

 そして、もう一杯――


 ああ、美味しい。

 でも、思い出せない。いや、もうどうでもいいか。

 本当に美味しいワインだ。


 再びグラスの中の赤い液体をすべて口に含みながら、彼女との出会いを思い起こしていた。



 二ヶ月ほど前、年末に友人数人とスキー場へと遊びにいった先で彼女とは出会った。一目惚れだった。オーバーではなく出会った瞬間に運命を感じ、恋に落ちた。

 白い肌に漆黒の長い髪、切れ長の双眸に紅い小ぶりな唇。すらりとしたスタイルだが、はっきりとした女性らいいふくらみもあり、魅惑的と言っていい身体つきをしている。

 全てが俺の好みだった。

 出会ったその日に付きあって欲しいと告白した。彼女の名前もどこに住んでいるのかも知らないままにだ。

 彼女は驚き、その神秘的な瞳でこちらをじいっと見つめていたが、

「とりあえず、お友達からなら」

 そう言ってくれた。その答えを聞いた瞬間、嬉しさのあまり意識が飛び、世界が真っ白になったのを覚えている。


 偶然にも二人とも東京住まいで、翌日帰る彼女と連絡先の交換をし、年明け、東京で会おうとの約束だけをして別れた。

 スキー場から帰り、すぐに彼女に連絡を取った。だが、彼女からは、海外にいるとのメッセージ。しばらく連絡も取れないという無情な返事。


 それから半月、仕事をしていてもつい彼女のことを考えてしまい、単純なミスを何度したことか。もしかしたらあのスキー場での出来事はすべて夢で、藤原優子などという女性は、この世に存在してないのではないかと思いだしたころ、彼女は再び俺の前に現れた。

 連絡を貰い、待ち合わせた喫茶店で彼女の姿を見た時、俺はまた夢を見ているのではないかと疑ったほどだ。


 それから週に一度、二度と会う頻度が増えていき、ここ最近では短い時間ではあるが毎日のように会っていた。


 それでも、二人の間柄は”友達”のままだ。


 好きで好きでたまらない。でも、だからこそ、一歩、次の一歩が踏み出せなかった。

 だが、今日、誕生日という特別な日に、家へと招いてくれた。これは、その一歩を踏み出すチャンスなのではないか――



 気づくと、ワインのボトルが空になっていた。

(少し酔ったか……)

 ピッチが速すぎたのか、それともこれから彼女に再び愛の告白をしようと緊張していたせいか、アルコールが早くも回ってきてしまったようだ。頭が少しボーとしてきた。

 いけない、これからが本番だというのに……

 頭を振り、こめかみを押さえて意識をはっきりさせる。

 そこへ――


「気に入っていただけたようですね、そのワイン」


 彼女が戻ってきた。

 髪色と同じ漆黒のイブニングドレス姿だ。美しい。彼女の白い肌が際立ち、妙に艶めかしい。


「……すみません、あまりにも美味しくて、一本空けてしまいました」


「ふふふ、それは私の生まれた年のワインですのよ。それに少し特別な味付けをしたものなのです。喜んでもらって嬉しいわ」


 生まれた年――そういえば、彼女の年齢を聞いたことがない。いや、いつも自分のことを話すばかりで、彼女自身のことをほとんど知らないのだ。こんなお屋敷に住んでいることも今日初めて知ったくらいだ。


「何歳になるのですか?」


「今日で二十五回目の誕生日になります」


「二十五歳……」


 自分よりも五歳年下か――確かに外見的にはそれくらいか、二十歳ぐらいと言われても納得する。だが、普段の落ち着いた物腰や、時折感じる妖艶な色気――自分よりも年上の女性なのではないかと思っていたので、少し意外だった。

 こちらに微笑みを向ける女性の顔をしみじみと見てしまう。と、


「う、ううん……」


 眩暈に突然襲われた。視界がぐるりと回り、思わずテーブルに両手をつく。

 酔いが酷くなったのか――

 いや、何かが違う。顔が、体が異様に火照っている。まるで熱があるようだ。


「はぁはぁ……」


「ワインが効いてきたようですね」


 ワイン――?

 まさか、何か仕込まれていたのか――

 目前にあったワインのボトルに目を向ける。

 そこで、気づく。ラベルに期された収穫年に――


 1924


 百年前の年号……

 確か、生まれた年だと先程言っていたが――


「あなたは、一体――」

 何歳なんだ。


 言葉が続かなかった。

 呼吸が苦しい。彼女の顔を見たとたんに、心臓が張り裂けそうなほど動悸が高まる。


「ちょうど百年前の二月二十九日、私は生まれましたの。四年に一度しか来ないうるう日――もちろん、その日が誕生日だからと言って、四年に一歳しか歳をとらないわけではありませんわ」

 どこか遠いところを見るような目で、彼女が語り始める。


「私もきちんと成長しましたの、初潮を迎えるころまでは。あれは、三度目の誕生日を迎えたころですかね、大人の女へと体が変わった頃から、成長が鈍くなってきました」

 彼女の声を聴きながら、懸命に今の事態を理解しようと試みる。が、ダメだ。頭が回らない。


「それと同時に、体力や気力が落ち始めました。病気でもないのに、すぐに寝込むようになりまして、四度目の誕生日の寸前、動けなくなり、入院することになりました。植物状態と似ていましたが、意識ははっきりあったのです。体が動かせず、話すこともまともにできませんでしたが、周囲の状態はすべてわかっていました。原因は不明のまま、治療も行われず、ただベッドに横たわるだけ。そして、四度目の誕生日を迎えた日――」


 彼女が視線を俺へと合わせる。

 吸い込まれそうな漆黒の瞳。目が離せない。


「私は犯されました。担当していた医師に」


 強い言葉と共に、彼女のドレスがストンと床に落ちる。


「――!?」


 一糸まとわぬ白い裸体が、俺の網膜に焼き付く。


「動けない私の体を、あの男は乱暴に弄びました。この胸を――」

 彼女が右手で自らの豊かな胸を強く揉む。

「こう、激しく、痛いほどに揉みしだき、この敏感な突起をつまみ上げ、口に含み、舐り回しました」


 話しながら自らを嬲る彼女の姿に、全身の血が沸騰する。

 熱い、我慢ができない。


「はぁはぁ…」

 シャツのボタンに手を伸ばし、一気に外す。そのまま乱暴にシャツを脱ぎ捨て、下着も脱いで上半身裸になる。


医師せんせいは全身へと舌を這わせながら、まだ誰も触れたことのなかったこの繁みに――」

 艶めかしく話す女の左手が自らの股間へと伸びる。


「はぁはぁ……」

 ベルトのバックルに手を掛ける。


「私、初めてでしたのに――感じてしまいました。男の唾液と自らの体液で濡れそぼる割れ目に男の固いものがあてがわれた時、受け入れる準備は万端に整っているようでした。軽い痛みがあるだけで、すんなりと男根を受け入れ――激しく、ただ激しく、狂ったように男は腰を振り続けました」

 彼女の指先が股間へと飲み込まれていく。ゆっくりと、徐々に激しく動される左手。


 ダメだ、もう我慢ができない。


 ソファーから立ち上がり、ズボンもパンツも脱ぎ捨てる。

 そして、彼女に跳びかかった。


 白い肢体に抱き着くと、その勢いのまま床へと倒し、太腿を左右に大きく押し開く。

 両足の付け根に体を押し当てると、一気に腰を突き出した。


「あああぁっ……」


 彼女の口から漏れ出る歓喜の吐息。

 甘い、感応的な香り。


 腰の動きが激しくなる。


「あの男もそんな顔をしてました――。ただただ私の肉体をむさぼる野獣の瞳……」


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 脳髄がしびれる。何も考えず、ただ腰を女へと打ち付け続ける。


「そう、激しく、そして、出して、私の中に、あなたの精液を――命の素を!」


 彼女の叫びと共に快感が背筋を走る。

 腰が痙攣する。

 女の中に欲望の塊を放出した。


 ドクッ、ドクドクドク……


 止まらない、射精が止まらない。


「あ、あぁっ、なんだ、この感じは――」


「もっともっと、すべてを頂戴。あなたの全てを!」


 だめだ、だめだ、だめだ……

 吸われていく。命が、吸われていく――


「私には必要なの、四年分のエネルギーが。次の誕生日まで生きるための生命の素が!」


 ああ、だめだ、力が抜ける……


 彼女の体に覆いかぶさるように倒れ込む。

 だめだ、もっと感じていた、この快感を、彼女の体温を、この肉体を……


 ガブっ!


 顔前にあった白い乳房に思わずかぶりついた。

 皮膚が裂け、口の中に血が流れ込む。

 

 とろり……


「この味――」


 思い出した、この味だ。ワインの奥に隠れていた、あの味は――


「美味しいですか、私の血肉は。ワイン、すべて飲みましたものね。私の血がたっぷり混じった特製のワイン――狂わせますのよ、男の方を。私の血肉は口にした男性を私の虜にいたしますの」


 ふふふふふ……


 悪魔の微笑み。いや、いまの俺にとっては女神の微笑み。


 もう止まらない。


 俺の全ては彼女のものだ。


 すべて、命の全て――


 あ、もう……


 ……


 …


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