第41話 瀕死の王子

 第一王子シャルル殿下は十二歳だけれど、十歳にしか見えないくらい背が小さくて痩せていた。朱殷熱レグアはかなりの勢いで進行し、全身真っ赤に腫れている。王族ならば普段から充分過ぎる栄養を取っているだろうし、衛生管理も行き届いているはず。それなのに、何故このような状態になっているのだろう。


 宮廷に向かう道すがら、使者が色んな話をしてくれた。彼はキャビンに乗りこむと話し好きの気のいいおじさんに様変わりして、俺とジロー相手に宮廷裏話を披露したんだ。


 国王陛下はグレイス様が亡くなった後、心の隙間を埋めるように次々と側室を迎えた。その数、なんと七人。今では八人の王子と十一人の王女がいる。しかしどの側室にも王妃シェリーの地位は与えないと、国王陛下は明言している。


 側室の序列は、迎えられた順番なのだそうだ。シャルル殿下は第二夫人の息子で、王位継承権第一位。シャルル殿下は病弱で、よく身体を壊す。因みに第二夫人にはシャルル殿下しか御子はいない。


 第三夫人の息子はシャルル殿下の一ヶ月後に生まれていて、王位継承権第二位。だがこの王子、未だ片言しか言葉が話せず、三歳児のような振る舞いをする。第三夫人には年子の王子がいてこちらは何ら問題なくご成長なさっている。


 第四婦人の息子もシャルル殿下と半年違いで生まれていて、丈夫で利発。


 第二夫人、第三夫人、第四婦人は互いにめちゃくちゃ仲が悪い。特に第四夫人は狡猾で、何を考えているのか分からない。我が子を国王にしたいと策略を練っているのでは、と噂されている。


 シャルル殿下が命を落とすようなことになれば、王宮の力関係が崩れてかなりややこしい事態に発展しかねないのだそう。俺はレンヴット王国の平和のため、是が非でもシャルル殿下の命を救わなければならない。……って脅された。


 シャルル殿下の傍には宮廷付きのヒーリアンが控えていた。口布を付けているので表情はよく分からないけれど、胡乱な視線を俺に向けている。そりゃ、よそから治療者がやって来たら、面目丸つぶれだよな。


 俺はヒーリアンに一礼し、シャルル殿下の診察をするべく傍に行く。呼吸は浅く苦しげだ。朱殷熱レグアが肺に達している可能性がある。唇は青白く、肌はカサカサだ。脱水が進んでいる。水分補給くらいしろよ、ヒーリアン。


 脈を取る。浅くて早い。脈から意識を内側に向けていく。血流に乗り、身体の内側を具に調べていくのだ。


 朱殷熱レグアの毒は、体中に広がっていた。五臓六腑が、火事を起こしているように赤く腫れ上がっている。


「ん……?」


 腎の臓に、違和感を感じた。手をのばすように探っていくと、左の腎が黒く固まっているのを感じた。俺は思わず顔をしかめる。


 腎の臓は、毒素を身体の外に出す役割を担っている。身体には二つ腎の臓があり、シャルル殿下は生まれつき左の腎が機能していないようだ。だから、朱殷熱レグアの毒を上手に排出できなかったんだな。


 俺は、シャルル殿下から手を離した。身体の状態は分かった。次は、どうやって回復に導くかだ。


 まず、水分を取って脱水状態を改善しなければ。水分が足りなければ治療効果は上がらないし、それ自体が命を脅かすかもしれない。


 次に内臓の火事を消す。体中が燃え広がっているから、かなり強い消火作用のある食品を用いなければ。ああ、プルーロがあればな……。


 腎の臓を補う、排出作用のある食品も必要だ。何だろうな。


「あう!」


 ジローがパタパタと尻尾を振る。俺は頷いてジローに背中を預ける。ここは、ジローの力を借りるのが一番手っ取り早くて確実。ヒーリアンが口をあんぐりと開けたのが見えたけれど、すぐに視界は閉ざされた。


 黄色い光が見える。例の、六角形や五角形の記号。これ、何だろうなぁ。記号がくるくると回り、映像に変わる。


 ルーロが、笑っている。


 続いてまた新たな記号。それもまたくるくると回り、今度はプルーロを咥えたグリフォンに変化した。


「ちょっと待って。今からルーロの所へ行くのは無理だよ。シャルル王子は一刻を争う状態なんだ」


 振り返ると、ジローも困惑の表情を浮かべている。あの映像は、ジローが考えて見せているわけではないのか?


「もっと実現可能な奴を考えてくれよ。もう……。取り敢えず、火事を落ち着かせるのはトメリかな……」


 自力で考えるしか無いと諦めた時だった。がん、がん、と何かをぶつけるようなけたたましい音が、王宮に響いた。それと時を同じくして、外で悲鳴が上がる。俺は、窓に駆け寄った。


「グリフォン!」


 思わず叫ぶ。澄みきった青空に、グリフォンが翼を広げていた。


「魔獣だ! 魔獣が出た! 騎士を集めろ!」

 誰かが叫んでいる。


「駄目だ! むやみに魔獣を傷つけたら駄目だ!」


 窓の外に向かって叫んだけれど、誰も俺の言葉に聞き耳を立てようとはしない。背後で閃光が走り、振り返るとジローが犬に変化していた。あ、犬じゃないんだ。狼だった。


 ジローは背中に乗れというように首を後ろに捻る。身を翻して背に乗ると、ジローは床を強く蹴った。閉じていた窓を突き破り、空を舞う。グリフォンの姿が間近に見えた。首から、何やら樽のような物を提げている。しおれた赤い花の首飾りも。


 あのグリフォンだ。


 そう思った時にはジローの身体は下降し、バルコニーに着地していた。


「タイラー!」


 名を呼ばれて振り返ると、フレイヤ様がこちらに走ってくるところだった。俺の傍に辿り着くと、身体を折り曲げて荒い息をする。乱れた金髪に、白銀のティアラが乗っていた。フレイヤ様は、白い額に流れる汗を手の甲で拭った。


「ごめんなさい。あの話、すぐにお父様に進言したの。そしたら、一人で城外に出たことに怒ってしまって、部屋に監禁されちゃったの。昨夜ハイドさんがやって来たわ。壁を伝って窓の外まで来たのよ。目が見えないのに凄いわね、あの方」


 息を切らしながら一気にそう言って、身体を起こす。


「ドレッサーの椅子をぶつければ部屋の鍵は壊せるよ、ですって。あの椅子、凄く重いのよ。レディーにそんなこと、させる?」


 ふふふ、と目を細めて笑う。それから、髪を飾っていたティアラを外した。大粒のダイヤが散りばめられている、美しいティアラだ。


「私が持っている中で一番高価なアクセサリーを持って、バルコニーへ行きなさいって言ってたわ」

「一番高価なアクセサリー……。もしかして、そのティアラ……」


 フレイヤ様は、片目を閉じた。


「王女の証として、正装した時に付けるティアラよ。でもいいの。こんなもの無くても、私が王女だって事に変わりは無いんだから」


 バルコニーの柵にグリフォンが止った。王女フレイヤは、臆することなくグリフォンに近付いて行く。グリフォンの身体は王女と同じくらいあり、おまけに獅子だ。その爪で引っかかれれば一撃で命を失うのに。


 フレイヤ様は微笑んでティアラを献げ持った。グリフォンは鷲のくちばしを下げる。その頭に、ティアラが飾られた。


 顔を上げたグリフォンは得意げに俺に視線を向けた。俺は、グリフォンの首に掛かっていた樽を受け取る。


「フレイヤ様!」

「フレイヤ様を助けろ!」


 口々に叫びながら騎士達が走ってくる。面倒だと言わんばかりにグリフォンは目を細め、翼を広げた。


 羽ばたきが強い風を起こし、目を瞑る。


『こんなもの無くても私が王女だって事に変わりは無いんだから』


 フレイヤ様の声が耳に蘇る。その声は、俺の心を震わせたんだ。とても、激しく。


 緑の髪と赤い瞳。


 俺にはこんなにはっきりとした目印がある。それなのに、いつまでたっても俺は運命を受け入れられないでいた。でも、俺はメディシアンなんだ。どう足掻いたって。


メディシアン。


 ただ一つだけ名前を付けられた、魔人の能力。名前を持つのは「命」を扱う特別な力だからだ。それを持って生まれてきた以上、運命を受け入れないわけにはいかない。


 俺も、腹を括ろう。


 次に目を開けた時には、グリフォンの姿は青空に浮ぶ一つの点になっていた。後に残された木の樽には、蓋付きの籠と手紙が括り付けられていた。俺は、その手紙を手に取る。


『タイラー、お陰様でサニエルは元気だよ。さっき伝書鳩がハイドの手紙を持ってきた。結構大変な事になってるみたいだね。人間達がどうなろうと私には関係ないけど、友人であるタイラーとジローが困っているなら、一肌脱がなきゃね』


 丸っこい字を読んだとき、片目を瞑って微笑むルーロの顔が見えた気がした。


 

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