第38話 ジローが見せたもの

 王女フレイヤの決意は、俺の心を激しく揺さぶった。控えめに言って、痺れた。だって、たった十四歳だぜ。十四歳の女の子が「国を救う」と決意して、力を貸してくれって平民のおっさん達に頭を下げているんだぜ。はっきり言って、魂持ってかれちまった。


 他の皆も少なからず同じ気持ちを抱いたみたいだ。皆目を潤ませて頷き合う。ハイドだけは、いつも通りの笑みを口元に浮かべていたけれど。


「では、作戦会議を続ける。現状が分かったところで、実際どうやって朱殷熱レグアを撲滅するかじゃ」


 フレイヤ様が再び手を上げる。


朱殷熱レグアの毒には、どのような症状があるのか説明して下さい」


 ゴンザは頷き、ジャスパーに視線を向ける。ジャスパーが学校の先生のように、右手を上げながら説明をする。


「毒が身体に入るとまず喉の痛みや鼻水が出て、熱が出ます。感冒と変わらない症状ですね。この時毒は、喉の上側や鼻に取り憑いていると思われます。毒は段々身体の奥に広がり、全身に火事を起こします。同時に身体の表面に赤いあざが生じます」

「火事? 身体が燃えるって事!?」


 フレイヤ様が大きく目を見開いて、口元を手で覆う。ジャスパーは慌てて首を横に振る。


「火事と言っても、実際に炎が上がるわけではなくて、臓器が焼けただれたみたいに赤くなって熱を持ち、本来の機能を果たせなくなるのです。腎の臓や肝の臓、肺がそうなると命に関わります。身体の弱い人ほど火事が広がりやすく、毒が入ってから二晩持ないこともあります。ですが、熱を出しただけで治る人もいますし、痣しか出ない人もいます。痣だけの場合、毒に犯されたことすら気付かないでしょう」


「まったく無症状の人もいるのね。あっという間に亡くなる人もいるのに……」


 ジェスパーは頷いた。


「様々なのですよ。重症化するかどうかは、かかった者の身体の強さによって、もしくは毒の量によって違うようです」

「その毒は、どこからやってくるの?」


 フレイヤ様が首を傾げると、ジェスパーは満足そうに頷いた。


「大変良いご質問です。この毒は、人の身体の中で増え、他の人に乗り移るようです。咳や鼻水に入り込んでいるのでしょう。我々は患者に接するとき口布をし、手をこまめに洗います。今のところその方法で毒の侵入を防ぐことが出来ております」

「っていうことは、全ての患者を隔離してしまえば、新たな患者は生まれないって事よね。なら、療養所を増やして王都中を徹底的に調べ、病気の兆候のある者を皆そこへ収容しましょう」


 ハイドが静かに挙手した。


「収容してどうするんです? 全員死ぬまで待ちますか?」


 フレイヤ様の頬が、カッと赤く染まった。いろり端を力一杯叩く。バン、という乾いた音が、部屋中に響いた。


「そんなわけ無いでしょう! ここにメディシアンがいるのよ! 全員治療します!」


 お、おいおい。何百人とか何千人とか、そんな大勢に治療を施したら、俺が干からびて死んじまうぜ。血の気の引いた俺の横で、ゴンザが両手をひらひらと振った。


「まぁまぁ。王女殿下の仰ることも一理。患者の隔離は必須じゃ。じゃが、それだけでは不十分。毒の広がりは、人から人への伝播だけではない可能性があっての」

「人から人へでだけではない?」


 思わず声を上げると、ゴンザはジャスパーに視線を送る。再びジャスパーが口を開いた。


「先程都市部で突発的に病気が起こり、広がるといいましたが、そんなことがあちこちで起こっているのです。もしかしたら、人以外に感染を広げる要因があるのではと、私と師匠は考えています」


「人以外に、感染を広げるもの……」


 俺の頭に、真っ赤に染まったルーロの乳房が思い浮かんだ。彼女は、ネズミに噛まれてから胸が腫れたと言っていた。ということは、ネズミの毒がうつったのかもしれない。


 ネズミ。都市部はネズミや害虫が走り回っていた。道端に糞尿を捨てる習慣のせいだ。


「あううう!」


 突然ジローが吠え、俺の手を引っ張った。振り返るとらんらんとした視線を俺に向けている。俺は、げんなりと半目を閉じた。


「何か、言いたいことがあるんだな」

「あうあう」


 コクコクと頷く。ハイドがクスクスと笑いをかみ殺している。イヤーな気持ちに襲われたけれど、またジローとの仲が拗れるのはゴメンだしな。俺は半眼を閉じ、腹を括った。


「その前に、皆で手を繋ごう。そうしたら、ジロー君の言いたいことを皆で共有できるよ」


 ハイドが静かに言う。皆は狐につままれたみたいな顔で、顔を見合わせている。そんな反応を気にする素振りは全く見せず、ハイドはジャスパーとゴンザに手を伸ばした。ジローが俺の背後に回る。俺の両側にいるのは、フレイヤ様とゴンザになった。


「いいわ」

 

 フレイヤ様が頷いて、俺の手を握る。ひんやりとして、柔らかい手だ。右手を握ったゴンザの手は、しわしわでガサガサしていた。


「比べるでない」


 ぼそっと囁かれ、俺は首を竦める。


 その背後から、ジローが俺に噛みついた。


 真っ黄色の光が見える。いつもの奴。そこに、王都の市街地が映し出される。夜明け前に婦人が道に一日分の糞尿を捨てる。ネズミや虫が、そこに群がってくる。夫人が家に入っていく。ベッドに横たわる主人は、まだグウグウと鼾をかいている。その腕に、赤い痣が浮んでいる。


 一匹のネズミが走る。向かった先は修道院の食料庫だ。米の袋に穴を開け、中に入り込む。米を食いあさり、フンをする。米を取りに来た人間がネズミに気付き捕まえようとするが、ネズミはその腕を飛び越えて逃げた。


 ネズミの身体から黒い小さな点が跳ね、人間の身体に取り憑く。ノミだ。人間はノミに取り憑かれたとは知らず、食料庫から出て行く。


 向かった先では貧民が列を成している。みんな汚れた服を着ている。肌は薄汚れ、髪はべたついている。みんな欠けた茶碗を手に持っている。修道院が一日に一度行なう炊き出しを待っているのだ。


 ノミに取り憑かれた男は、貧民から茶碗を受け取って粥をよそう。その腕から貧民の身体にノミが飛び移る。


 続いて、のどかな田園風景が広がった。水を張った田んぼは、ぽっかりと浮ぶ雲をうつしだしている。その水辺に焦点が移る。


 小さな黒い点が水面に浮いている。とても小さな点だ。視点がそこにずんずん近付いて行くと、点の中に蠢く白いものが見えるようになる。蚊の幼虫のボウフラだ。幼虫はあっという間に成虫に変わり、空中に飛び立つ。


 成虫は血を求めて人のいる場所へ行く。そこに苦悶の表情で横たわる人がいる。その身体に取り憑いて血を吸い、傍につきそう女の腕めがけて飛び立つ。


 視界を覆っていた黄色い光が消え、頭を覆っていた重たいものが離れる。蘇った視界には、手を繋ぎ、呆けた顔の人々がいた。

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