第4章 朱殷熱との戦い
第36話 役者は揃った
「お帰り、タイラー。長旅直後に投獄なんて、ひどい目にあったねぇ。お疲れ様」
召喚の器を抱えてゴンザの診療所に辿り着いたら、ゴザに座ってハイドが茶を啜っていた。黒いとんがり帽子は床に置いてあり、形の良い頭が窓からの陽光を受けてつるりと光っている。相変わらず両目は閉じたまま、しっかりとこちらに顔を向けて片手を上げる。隣で灰色の割烹着を着た短髪の男が、口をへの字に曲げている。この人、療養所の入り口でフレイヤ様を止めようしていた人だ。
「ハイド、久しぶり。ってか、ハイドってここに住んでるの?」
「いやいや。王都に来た時に世話になっているだけだよ。私は一応、国外追放の身なのでね。王都に住処は持っていない」
片手を振りながら、ハイドは言った。俺はぽかんと口を開ける。
「国外追放!? の割には堂々とバルでお酒飲んでたじゃん」
ハイドは軽い笑い声を立てた。
「最近じゃ捕まえてもくれないね。捕まえてもするっと逃げちゃうものだから、連中も諦めたんだろう」
「そ、そうなんだ……。国外追放なんて、何やらかしたのさ」
「国王陛下ご成婚の折、頼まれて二人の未来を占ったんだ。それで、グレイス様が二十歳で亡くなるって伝えたらめっちゃくちゃ怒られてね。もう少しで打ち首だったんだけど、誰かが『予言者を殺したら祟られる』って進言してくれて、国外追放処分に落ち着いたんだ」
肩を竦め、笑い話でもしたような顔をする。俺は呆れて、そのちょっと得意げな顔を見た。
「師匠、ご無事で何よりです」
「うむ。留守番ご苦労じゃった。土産にメディシアンを連れてきたぞ」
男が恭しく頭を下げ、ゴンザが笑って俺を指差した。男は驚いた顔でまじまじと俺を見る。俺よりも少し年上かな。すっきりした面差しの、真面目そうな人だ。彼は俺に右手を差し出した。
「ハイドさんが『もうすぐメディシアンが来る』というので、半信半疑でお待ちしておりました。噂には聞いておりましたが、まことににエメラルドの髪とルビーの瞳なのですね。私はゴンザ師匠の弟子、ジャスパーと申します。南西にあるスタックリンという田舎町の出身です」
「どうも。タイラーと言います。スパインピークって辺境の鉱山都市出身で……。メディシアンって言っても、まだまだ半人前です」
敬意を払われているけれど、医術の知識では俺の遙か上を行く存在なんだろうな。居心地悪いなぁと思いながら右手を握り返した。
ピリッと、電気のようなものが走る。瞼の裏にチカチカと禍々しい影がかすめて消えた。
「ジャスパーさん、
問いかけに、ジャスパーは軽く首を傾けて苦笑いを浮かべる。
「かかったことなどありませんよ。療養所では口布を付けているし、頻繁に手を洗っていますから」
「で、ですよね……」
俺は頭をボリボリと掻く。失礼だったよな。常に沢山の患者さんに治療を施しているから、毒の気配を纏っているのかも知れない。気を悪くしないといいんだけど。
ゴンザの診療所に病人はいない。今は
ゴンザは海の向こうの遙か東にある国から来たらしい。その故郷の生活スタイルを貫いているのだそう。靴を履いたまま家に入るのは、病気を土産に持って帰るのと同じだと、玄関で教えてくれた。
ゴザは六枚並んでいて、湯呑みも六個。ほかほかと湯気を立てている。ゴンザ、ハイド、ジャスパー、俺。もてなしの準備は二人分多い。
「来たよ」
不思議に思ってハイドを見たら、彼は口角をキュッと持ち上げた。同時に蹄の音が外から聞こえてきた。蹄の音はこちらに近付き、診療所の前で止った。音の主は躊躇無く中へ入ってくる。
程なくして、居間のドアが開いた。
「フ、フレイヤ様……」
入ってきた人物をみて、俺はあんぐりと口を開けた。豊かな金髪を両耳の上でお団子のように纏めている。三つ編みを作って、くるくる巻いているようだ。それに、ふんわりとしてはいるけれどズボンを履いている。ズボンを履く女性なんて、見たのは初めてだ。ウエストはコルセットで細くしぼられていて、ふんわりとしたズボンの布は両足首のところでしっかりと纏められていた。こんなこと言ったら叱られるかも知れないけど、海賊の着るズボンにちょっとだけ似ている。
「フレイヤ様、何故ここに……」
「何故? なに悠長なことを言っているの。作戦会議に決まっているでしょう」
「作戦会議……? な、何の……」
フレイヤ様はキッと俺を睨み付けた。
「
「
「許すわけ無いでしょ。もとよりお伺いなど立てないわ。あの人の事なんてどうだっていいのよ」
尖った顎をツンと明後日の方へ向ける。可憐な見かけに寄らず、破天荒なお姫様だな。
「ハイド殿。もう一人客人が来るのですか?」
ジャスパーが問うと、ハイドは小首を傾げる。
「もう、いるよ」
ハイドの言葉に合わせるように、召喚の器がゴトリと揺れた。同時に、眩しい光を放つ。
「た、卵が!」
ジャスパーが驚愕の声を上げ、フレイヤ様が眩しそうに手を額に翳し、口を半開きにして召喚の器を見つめる。細められた青い瞳が、召喚の器から放たれる光を受けてキラキラ光った。
「ジロー!!」
腕で目を隠しながら、俺は光源へ駆け寄った。程なくして光は消え、黒い耳を生やした筋肉質の男が現われる。俺はその身体に飛びついた。
「ジロー! 良かった! もう会えないかと思った!」
「たーらー!」
ジローは俺の身体を受け止め、ぎゅうっと抱きしめる。
「キャー! 無礼者!」
フレイヤ様が悲鳴を上げる。その声でハッと我に返った。俺を抱きしめているのは、むき出しの太い腕だ。俺は慌ててジローの身体を離し、両腕を横に広げた。
「服着ろ! 取りあえず服!」
俺の声はかき消される。ジローが俺に覆い被さってきたからだ。全裸の筋肉ムキムキ犬人間に押し倒されて顔をペロペロ舐められている。そんな俺をみんながぽかんと眺めている。
フレイヤ様は背中を向けているけれど、肩がプルプルと震えていた。
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