第33話 眠り姫はなぜ眠る

 俺は激しく混乱していた。


 愛情は心の中で湧きあがるものだ。「愛が伝わる」という現象はあると思う。けれどそれが病を癒やすなんてこと、あり得るんだろうか。


「成る程成る程」


 鉄格子の向こうでゴンザは腕を組み、何度も頷く。俺は鉄格子を握り、顔を押しつけた。こめかみに冷たい感触が伝わる。


「愛情に癒やしの効果など、あるのでしょうか」

「何を言っておる。あるに決まっているだろう」


 丸く目を見開いて、ゴンザが言う。


「何においても、この世で最強の癒やしは愛情である。人の健康が『気』に根ざすのと同じ事。精神の健康は身体の健康の源であり、それを最も直接的に癒やすのが、愛情じゃ」


「人の健康が『気』に根ざす……」


 俺は愕然とし、さらに強く鉄格子に額を押しつける。フレイヤ様の診察で俺が見落としたもの。それが健康の根幹だというのか?


「フレイヤ様を癒やしていたのはグレイス様の母性愛。ユリア殿も、グレイス様から強い信頼を得ていたと聞く。シェリーグレイスの実の恩恵を受けたとしてもおかしくはない。……はて、では何故今回はシェリーグレイスの実の効力が発揮されなかったのであろう?」

「フレイヤ様の眠りに……、ですね」

「そうじゃ」


 ゴンザは深く頷き、空中に視線を投げて自分の考えに入り込んでいく。俺はハタと思い当たった。


 フレイヤ様を完全に眠りから冷ますことが出来たなら、明日の処刑を回避できるかも知れない。フレイヤ様が目覚めれば、国王陛下は小躍りして喜ぶはずだ。そこへ、ジローとゴンザの恩赦を懇願すれば、きっと聞き入れて貰えるだろう。


 では、どうやって?


 鉄格子から身体を離し、俺は目を閉じる。


『原因を探りなさい。全ての物事に原因があるように、病にも必ず原因がある。その原因に働きかける成分を身体に足して、毒を弱め打ち勝つ力を強めるのです。何らかの結果が出たら必ず検証しなさい。原因究明、実行、検証。これを繰り返して、医術は発展するのです』


 母さんの言葉が、頭に蘇ってきた。


 原因を探る。


 ――フレイヤ様は、なぜ、眠っている?


 身体に異常をきたしたわけではない。脱水と栄養失調は、昏睡が続いて二次的に起こった現象だ。


 「気」は、弱っていた。俺が察知できないほど、弱くなっていた。このせいで、フレイヤ様は昏睡に陥っているのだろうか?


 では、「気」が弱まった原因は?


 俺は夢の内容を思い出していた。いや、あれは夢ではない。現実にあった出来事を俺は見た。見せたのは多分、ジローなんだろうな。


 ならば必ず、意味がある。ジローは俺に欠けているものを補ってくれる存在なのだから。


 俺は召喚の器に跪き、それに触れた。召喚の器は変わらず、冷たくて硬い感触を手の平に伝える。


 フレイヤ様はユリアをとても信頼していたし、ユリアもまた、フレイヤ様に深い愛情を注いでいた。ユリアは朱殷熱レグアにかかり、フレイヤ様にうつしてしまった。そのせいで、ユリアは火あぶりの刑に処された。


 ユリアが自分のせいで火あぶりにされたと知ったフレイヤ様は、強いショックを受けられた。


「ユリアさんが自分のせいで火あぶりにされたと知ったフレイヤ様は、自分をとても強く責めたのでは無いでしょうか」


 鉄格子に駆け寄り、俺はゴンザに問いかける。思索に耽っていたゴンザは、驚いたように顔を上げた。


「もう、生きていたくないと思うほどに……」

「確かに、生きる希望をなくせば『気』の力は弱くなる。長年連れ添った妻を失った夫が『気』の力を失い、弱い病の毒で命を落としてしまうということがよくあるの」

「フレイヤ様にとって、ユリアさんはお母さんのような存在だったのではないでしょうか。療養所へ駆け込むことに、なんの迷いも無かったんです。自分の命に替えても惜しくないくらい、愛していた。その人を、自分のせいであんなむごい目に遭わせてしまったとしたら……」

「まぁ、自責の念に駆られて生を放棄してもおかしくはない。フレイヤ様は直情的な方と聞くしの」


 俺は、頷いた。


 原因は、ユリアさんの処刑でショックを受けたことにより『気』の力を自ら弱めてしまった、としよう。


 俺は原因が分からないままフレイヤ様に治療を施した。その結果、フレイヤ様の身体は回復し、『気』の力は僅かに回復した。


 その検証だ。


 身体が回復したのはミノタウロスの乳やプルーロ、その成分を高めるコクロのお陰だ。この食材は滋養強壮に強い効果を発揮する。


 『気』が回復したのは……。プルーロの癒やし効果?

 ジローが指定したのは、コクロとプルーロ、そしてミノタウロスの乳。どれも何か必ず意味がある。もしかしたら、ミノタウロスの乳にも、癒やしの効果があるのだろうか?


 ああ、手元にないから判断できないなぁ。食材は、王宮の厨房に置きっぱなし。勝手に食べられたりしてないだろうな。


 俺は溜息をつき、手に持っていたシェリーグレイスの実をくるりと回した。そして、気付く。


 ジローはあの時、何かに気付いて俺にそれを伝えようとした。俺が拒んだら、庭に駈けて行ってこれを摘んだんだ。と言うことは、これも必要な食材、と言うことか?


 なんで後から、これを追加したんだろうな。


『なりはでかいがね。物は知らない。知るのは出会った人の知識だけ』


 ドライアドの言葉が耳に蘇り、俺はハッと顔を上げる。


 最初に食材を指定した時点で、ジローが出会っていたのは俺一人だった。だから、ジローが持っていたのは俺の乏しい知識だけだ。あの時王宮で、ジローは国王陛下に出会いシェリーグレイスの実の存在を知った。そして、それがフレイヤ様を目覚めさせる効果があると認定したんだ。


 全ての食材には、きっと癒やしの効果がある。それを最大限に引き出すことが出来れば、フレイヤ様の『気』を高めることが出来るかも知れない。


 俺は鉄格子を掴み、ゴンザに問いかけた。


「ジュールで、食材の中でも特定の効果を強く高める事って、出来るんですか」

「できるとも。師匠は常に、そうやって少しの材料で出来るだけ多くの効果を引き出そうとしていた。その方が、多くの人に薬効をとどけることが出来るからの」

「やり方は、知っていますか」

「簡単じゃ。全ては、意識の集中じゃ。狙いを定めた成分に意識を集中させ、引き出す。釣りと感覚が良く似ているそうじゃ」


 ゴンザは片目を閉じてそう言った。それから、ポンと手を打ち合わせる。


「食材の効果を引き出すのは、ジュールだけとは限らん。成分は切り方一つで増えたり減ったり変化する。特に、熱の加え方には注意が必要じゃ。何をするのが最適かは、サーチをすれば分かるそうじゃ」


 俺は頷いた。深く考えず、飲み込みやすい食形態というだけで粥にしたけれど、もしかしたらそれも間違っていたのかも知れない。


 とにかくもう一度、厨房へ行かなければ。

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