第32話 シェリーグレイスの実
「明日、そこのヒーリアンとともに火あぶりに処す」
憤慨した衛兵が、召喚の器と俺を牢獄に押し込んでそう言った。思った通り召喚の器には、傷一つついていない。俺は安堵の息を吐く。召喚の器が無事であれば、もう一度ジローがそこから現われるかもしれない。縋るように、そんな希望を抱いている。
俺は向かいの牢獄を見た。ゴンザは面白い寸劇でも見るようにこのやり取りを眺め、イライラした足取りで戻っていく衛兵を見送る。
「ゴンザさん、明日……」
俺は言葉を最後まで紡ぐことが出来なかった。ゴンザは人ごとのように薄ら笑いを浮かべた。
「死ぬのは構わんが、わしが死んだら誰が
鉄格子の向こうで、ゴンザが肩を竦める。俺はハッと息を付いた。
夢に出て来た、療養所。目を閉じてその映像を思い返す。苦しむ人々が折り重なるように横たわる。手当てをしていたのは、たった一人だった。
その人は、目の前にいるゴンザではないか。
「あの療養所を開いていたのは、ゴンザさん……?」
「あの療養所? どの療養所かは知らんが、王都で
俺は、ポケットをまさぐった。そして、中にあった物を鉄格子の外に翳した。
「これを、ご存じですか」
ゴンザは目を細め、俺の手元を凝視した。目が悪いのか、時間を掛けて見つめた後、パッと目を見開いた。
「シェリーグレイスの実だな」
「ええ、そうです! ご覧になったことは……」
「ある」
ゴンザは頷いた。
「フレイヤ様が、ユリア殿のために持参された」
俺は、ゴクリと唾を飲み、夢の中にいたフレイヤ様を思い浮かべた。
「その時フレイヤ様は、青いドレスをお召しになっていましたか?」
「……ああ、そうだ。その、シェリーグレイスの実をもう少し濃くしたような、鮮やかな青いドレスじゃった」
あれは、夢ではなかった。実際にあったことを、それぞれの視点で俺は追体験したんだ。身体がビリビリと震えるような、不思議な感覚が沸き起こる。ゴンザがまじまじと俺を見つめた後、目を細めた。
「不思議な実じゃった。それを煎じて飲んだユリア殿は、見る見る回復された。毒が肺までまわり、明日にも命を落とすかというような状態じゃった。あの状態になって助かった者は、それまで一人もおらんじゃった。だが、他の者に試しても、何の効力も発揮せなんだ」
「では、効いたのはユリアさんだけ……?」
ゴンザが首肯する。
「聞くところによると、フレイヤ様がどんな病にかかられてもシェリーグレイスの煎じ薬で治るそうな。
鉄格子に身体を押しつける。ゴンザの目に、少年のような好奇心が浮んでいる。俺は、聞いたことの無い言葉に首を傾げた。
「サーチ?」
ゴンザが眉をしかめる。
「サーチを知らんか。食品の持つ力を見定めるのが、サーチ。メディシアンの持つ力の一つじゃ」
「え……? そうなの?」
呆れたようにゴンザが頷く。
「わしは若い頃、メディシアンに師事して医術を覚えた。師匠はありとあらゆる食品をサーチし、その力を書き記した。師匠の残した書物は、ヒーリアンにとっては聖書と同等の価値がある」
「え、ええ!? あのヒーリアンの教科書が……?」
母さんがとても大切にしていた、とても分厚い書物がある。厚みは拳ひとつぶんもあり、表紙は牛の皮で出来ている。貴重な紙をふんだんに使っている凄い高価なもので、ヒーリアンだったじいちゃんが、財産をなげうって手に入れたらしい。
そこには色んな植物や動物の絵が描かれていて、細かい字でどんな成分がありどんな病に効くのか書いてあった。十二歳の俺にはとても難しい本だったし、子供が勝手に手にして良いようなものでもなかった。母さんが調べ物をする時に一緒に眺め、解説して貰った。俺にあるのは、その断片的な知識だけだ。その本も、残念ながら燃えてしまっただろう。
「サーチとはすなわち、植物や動物に宿る力を読み取ることだ。メディシアンなら、できるだろう。ほれ、やってみ」
ゴンザが顎をしゃくる。俺は困惑し、シェリーグレイスの実を見つめる。うっすらと緑かかった、薄青の小さな実。
「自分にも出来るのではなかろうかと、師匠にやり方を教わった事がある。若い頃は努力すれば何でも出来ると思い込むものだからの。……ほれ、ジュールの時のように手を翳し、意識を内側に向けるのじゃ」
珠に手をかざすような仕草をゴンザがしてみせる。俺はそれを真似、シェリーグレイスの実を左手にのせ、右手をその上にかざした。
意識を、シェリーグレイスの実に向ける。
「形の内側に入っていくのじゃ。内側に、内側に。形を構成する粒が見える。その、もっと内側を見るのじゃ。そして、それが何かを感じるのじゃ」
シェリーグレイスの実の、内側。
俺はそこへ意識を集中する。小さな実を包む皮は意外と固く、内側もナッツのように硬質だ。実は表皮より色が薄い。
その、内側。
清流のようなエネルギーを感じる。トメリにもあった。これは、細胞を蘇らせる力。僅かに固い手応えがある。骨に力を与えるものだと、感じ取る。
チラリと、何かのイメージが過ぎる。晴れた空を小鳥が横切った時のような、微かな光の揺らぎ。微かなものだけれど、とても大切なものだと思った。その揺らぎを追ってさらに内側に潜る。
シェリーグレイスの実。そのエネルギーの根幹に向かっている。そんな確信がある。細い管を進むように、意識は真っ直ぐ奥へ向かって行く。
突然、意識は強い衝撃を受けた。圧倒的な力だ。
フレイヤ様の姿が鮮烈に浮ぶ。その像に、熱のようなものが注ぎ込まれている。
これは……。
これは、グレイス様の愛だ。
我が子へ、一心に向けられている愛。
俺は顔を上げた。激しい消耗を感じ、肩で息をする。向かい側の鉄格子が音を立てる。期待を身体からほとばしらせて、ゴンザがこちらを注視している。
「……愛です」
息を切らし、俺は何とか言葉を押し出した。
「グレイス様が、フレイヤ様に注いでいる愛が、病を癒やしているんです」
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