第31話 ジローの処刑
「嘘だ……。嘘だろ、ジロー。悪かったよ。すねんなよ。俺が悪かったんだ。ゴメン、謝るからさ、出て来てくれよ、ジロー」
俺は卵に触れた。冷たく硬い感触が手の平に伝わる。あれ、ジローが生まれる前、卵は温かかった。そこに命があるって分かる、はっきりした温もりがあったはず。
『お前達はあれを卵だと思っているけれど、違うんだよ。あれは召喚の器なんだ』
ドライアドの言葉を思い出していた。召喚の器。それだけがあって、ジローの姿が消えた。一体どういう事なんだろう。ジローは、召喚の器から元いた世界に戻ってしまったのだろうか。
元いた世界。俺の背筋を冷たいものが走った。
あれは。寝ている間に見た夢の数々は、もしかしたら本当のこと? だとしたら、ジローは生まれる時にお母さんの腹を割いてしまった? そして、ジローを呑み込もうとしていた巨大な狼は……。
『フェンリルは赤子を食い殺さず、なんと育ててやったのさ。赤子は娘に成長したが、自分の事を狼だと思い込んでいた。やがてフェンリルの子を宿したが、子供が大きく育ちすぎて、子宮が破けて死んでしまった』
ジローの父親の、フェンリル? そんなところへ戻ったら、食い殺されてしまうんじゃ……。
俺は召喚の器に取りすがり、手の平でバンバン叩いた。
「ジロー! 帰ってこい! ジロー!」
呼びかけるけれど、召喚の器は静かにそこにあるだけだ。俺は冷たい石畳に膝をついた。
石畳を踏む足音が聞こえてきた。何人かの足音は不協和音のように低い天井や石壁に反響する。やがて黒い人影が現われた。それは、ゆらゆらとうごめいている。
鉄格子の前に、鎧を纏った三人の男が現われた。一番前に立っていた男は松明を持っている。影が、炎の揺らぎに合わせてゆらゆらと揺れる。揺れる影の中に、鉄格子を掴んでこちらを眺めているゴンザの姿が見えた。
「これより半獣を処刑する。……半獣は、何処へ行った……?」
鎧を着ているが兜は被っていない、口ひげを生やした男が首を捻る。俺は咄嗟に召喚の器を背に庇った。
***
広場に、召喚の器が運ばれていった。処刑を見に来た人々は、ザワザワと困惑の声をさざ波のように揺らしている。厚い雲が空を灰色に覆っていて、そこかしこから烏の群れが斑点を描くように集まってくる。
広場は円形で、観客席が階段状に取り囲んでいる。ここでは祭りや観劇、処刑などの行事が執り行われる。処刑の種類は様々で、もっとも重い罪は火あぶり。継いで手足に馬を繋いで引かせる八つ裂きの刑。斧による打ち首は良心的な方だが、執行人の腕が悪いと長く苦しみを味わうことになる。
そんな様々な苦痛が染み込んだように、広場の土はまだら模様を描いている。
まだら模様の中央に、召喚の器が置かれる。召喚の器は場違いなほど白く輝いている。人々の目には、巨大な卵にしか見えないだろう。
「卵? なんで卵?」
「半獣の卵らしいぜ」
「なんだよ、卵を割るところなんか見たって、何にも面白くねぇな」
ざわめきの中に、明瞭な声が時折聞き取れた。俺は最前列に座らされている。後ろ手に腕を縛られ、猿ぐつわを噛まされている。猿ぐつわは、ジローを助けてと叫び続けていたら「うるさい」と噛まされたのだ。
黒い頭巾を被り、ねずみ色の衣装を纏った二人の死刑執行人が登場した。一人は、大きな斧を持っている。
やめろと、俺は叫ぼうとする。しかしうめき声にしかならず、猿ぐつわを唾液で濡らすだけだ。
斧を持っていない死刑執行人は丸まった羊皮紙を持っていた。彼はその紙を広げて高らかに翳す。
「今から、半獣ジローの処刑を執り行う。半獣ジローは聖木シェリーグレイスを傷つけた。シェリーグレイスは亡き王妃様の生まれ変わりの木とされており、ジローの行いは王妃殿下に危害を与えたに相当する」
俺はゴクリと唾を飲んだ。薄紅色の薔薇の木。あれは、聖木だったのか。
夢の内容と、合致している。グレイス様は亡くなる少し前にその薔薇の木を乳母ユリアと共に植え、命を移すと誓ったのだ。
あれは、夢ではなかった?
俺の思考は、すぐに途切れた。死刑執行人の斧が高く振り上げられたからだ。群衆は、どこかしらけたような歓声を上げる。卵は死刑執行人の胸辺りまである。小柄なこの男なら、膝を抱えればすっぽり中に入れるくらい、大きな卵だ。
その卵に向かって、斧が振り下ろされる。声にならない声が喉からほとばしった。だが次の瞬間には、死刑執行人は地面に尻餅をついていた。
渾身の力で振り下ろされた斧は、召喚の器に跳ね返されてしまったのだ。召喚の器はピクリとも動かなかったし、亀裂も走っていない。
会場がどよめく。
死刑執行人が慌てて立ち上がり再び斧を振り上げたが、結果は同じだった。
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