第27話 シェリー・グレイスの夢

 薔薇の咲き残る庭に立っている。花壇の一番奥に植えられていた深紅の薔薇の根を丁寧に抜き取り、汗を拭う。呼吸がとても苦しい。胸が圧迫されて、思い通りに息を吸い込むことが出来ない。


 お腹が締め付けられるみたいにギューッと傷み、思わず蹲る。無意識に腹に手を置いて、それが大きく膨らんでいることに気付く。膨らんだ腹は淡い紫の絹に包まれている。


『ああ、怒らないで。この苗をどうしても植えたいのよ』


 自分とは違う意識が流れ込んでくる。その心の動きを俺はとても客観的に眺めていた。視線は思考の主と同じだけれど、全てを少し高いところから眺めているような、そんな感覚だ。胸にあるのは、焦りや無念の気持ちと、お腹の子供への深い愛。


「グレイス様! 何をなさっていらっしゃるのです!?」


 背後から声を掛けられて振り返る。紺色のワンピースを着た若い女が駈けてくる。悪戯を見つかったような後ろめたい気持ちが込み上げてくる。


「もうすぐ出産を控えた方が、庭仕事などなさってはなりません!」

「ごめんなさい、ユリア。少し見逃して。どうしてもこの苗だけは植えてしまいたいの」


 女性の声が身体の中で反響する。とても澄んだ美しい声だ。確か目の前の女性はこの人のことを「グレイス様」と呼んだ。と言うことは、これはグレイス王妃様の身体だと言う事?


 ユリアと呼ばれた女性は、困ったように眉を寄せる。


「ならば、私に頼めば良いではありませんか」


 グレイス様は首を横に振る。どうしようも無い悲しみが、込み上げてくる。それでも、悲しみを表に出さないようにして、口元に無理矢理笑みを作った。


「これは、私がしなければならないことなの。どうしても」

「何故です。庭仕事なら庭師に任せてください。私が王都で一番腕の良い庭師を探して参ります」

「どうしても」


 グレイス様は首を振る。横向きに、きっぱりと。そして、ユリアを困らせていることに強い罪悪感を抱く。ユリアは大きな溜息をついた。


「では、せめてお手伝いをさせてくださいまし。グレイス様の言う通りのことを私がいたしましょう。どうしてもグレイス様自身がされたいことだけ、するようにしてください」


 深い深い感謝の念が胸を満たし、涙が込み上げてくる。いがらいような感触が喉を締め付ける。


「では、この植え穴に元肥を施してちょうだい。苗を植えて、土を被せるのは私がしたいの」

「承知いたしました」


 ユリアは地面にしゃがみ込み、深紅の薔薇が植わっていた穴に腐葉土を入れ、少し土を足して混ぜた。グレイス様は頷く。ユリアは植え穴のすぐ近くまで、小さな苗木を持ってくる。


 その苗木を手にしたとたん、胸に激しい想いが湧きあがってくる。


『愛しい我が子。私はきっとあなたを抱くことは出来ないでしょう。私が死んだら、必ずこの木に命を移します。あなたが悲しい時、病んだ時、この身を挺してあなたを守ります』


 そして、木に願いを込める。


『どうか、あなたの命を私に委ねてください。一緒に、私の子供を守って……』


 願いを込めながら苗を植え、丁寧に、丁寧に土をかけて固める。ユリアがそっと、手を添えてくれる。ユリアの手は、あかぎれで傷んでいる。けれど傷の一つ一つがとてつもなく尊いものに見えて、そこに手を重ねる。


「ユリア、お願いがあるの」


グレイス様は意を決し、ユリアに告げた。


「あなたはこの子の乳母になって。そして、この子に何か良くないことが起こったら、今植えた薔薇の実を煎じて飲ませてあげて。きっと、心や身体を癒やしてくれるはずだから」

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