第24話 国王の嘆き

 王女フレイヤは目を覚ました。国王陛下は愛娘をしっかりと抱きしめ、むせび泣く。良かった。これでフレイヤ様は命を取り留めるだろう。俺は役目を果たすことが出来た。


 メディシアンとしての、初めての仕事だ。俺は天井を仰ぎ、母さんの顔を思い浮かべる。母さんはいつも忙しくしていて、病人のことばかり考えていたから、俺はいつも少し寂しかった。だから修道院に入り浸って、シスター達に甘えていたんだ。


 でも今は分かるよ、母さんの気持ちが。


 人の命に関わることだから、常に全身全霊で立ち向かわなければならなかったんだよね。


 シャンデリアの向こうに見えた母さんの面影に一つ頷いて、フレイヤ様と国王陛下に視線を戻す。国王陛下は抱いていた腕をほどき、フレイヤ様の両肩に手を置いて、顔を覗き込んでいる。


「フレイヤ……?」


 国王陛下の声が震える。俺も異変に気付いた。


 フレイヤ様はベッドの上で身体を起こし、両目をしっかりと見開いている。けれど、その瞳は何も映していない。表情にはどんな感情も浮んでいない。まるで人間そっくりに作り上げた人形みたいに、身じろぎ一つしない。


「フレイヤ。私を見ておくれ、フレイヤ」


 国王陛下に揺さぶられ、フレイヤ様の身体が揺れ、豊かな金髪が波打つ。けれど、国王陛下が手を止めると身体も動きを止め、そのままピクリとも動かなかった。揺さぶられる前よりも少し前屈みになって顎先を下げた状態を、固定されたように続けている。


 国王陛下が俺を振り返る。俺は慌てて粥の器を持った。


「まだ一口しか召し上がっていません」

「私が食べさせる!」


 国王陛下は俺から器を奪い、スプーンを握る。一匙掬って粥を口元に運んだ。


「さあ、もっと食べるのだ。フレイヤ」


 フレイヤ様は小さく口を開ける。微かな動きで咀嚼した後、呑み込む。焦るように国王陛下は次の一匙を口元に運ぶ。


 一口ごとに粥は身体の中で光を放ち、胸の辺りに広がっていった。


 やがて器は空になる。しかし、フレイヤ様の様子は何一つ変わらない。俺は側に跪き、脈を取る。意識を集中し、身体の中をくまなく診る。


 体内のどこにも、悪いところが見つからない。ただ一つ違和感があるとすれば、「気」のエネルギーがとても弱いと言う事だけだ。


 「気」は心のエネルギーのようなものだ。身体は健康そのものだけれど、心が動いていない?


「何が起こっているんだ? メディシアン、答えよ」

 

 威圧的な国王陛下の声に、俺はただ黙って首を横に振る。


「わかりません」


 ようやくそれだけを口に出した。


「たーら」


 ジローが俺の腕を引く。何か言いたいことがあるようだ。その目を見て、例の伝達をしようとしているのが分かった。思わず眉をしかめる。


「国王陛下の前だぞ! やめろ!」


 尖った声音に自分自身が驚いてしまう。ジローはひるんだみたいにギュッと目を閉じ、身体を後ろに引いた。キューンと鼻を鳴らして上目遣いに俺を見る。その視線から、フイッと首を逸らす。視界の端でジローが拳を握った。


 次の瞬間、ジローは走り出した。


「ジロー! 何処へ行くんだ! ここは王宮だぞ! 勝手にうろうろして良い場所じゃないんだ!」


 俺は慌てて後を追う。


 部屋を出ると、中庭に面した回廊がある。回廊には所々ドアがついていて、中庭の小路にでることが出来た。ジローは一番近くのドアを開け、中庭に身を躍らせた。


「ジロー! 止まれ!」


 ジローを追う俺の後ろを従者達が追いかけてくる。勝手なことをしたら捕まって罰を受けるぞ。ただでさえ国王陛下は気が立っておられるのだから。


 ジローは迷い無く前に進んでいく。小路の両脇には色とりどりの薔薇が咲き乱れている。中庭の薔薇園は「シェリー・グレイスの庭」と呼ばれている。その美しさは国中の噂になっているのだ。


 グレイスは、王妃様の名前だ。そして、シェリーは「王妃」の称号。残念ながらグレイス様は、フレイヤ様出産の折、亡くなってしまった。


 グレイス様はそれほど身分の高い令嬢ではなかったし、身体がとても弱かった。国王陛下はグレイス様に一目惚れし、求婚した。グレイス様は、子供を産めば死んでしまうかも知れないと分かっていたから、結婚の条件として側室を迎えることを要求した。けれど国王陛下はグレイス様を溺愛する余り、なかなか側室を迎えようとはしなかった。


 仕方なくグレイス様は、命がけで子供を産んだ。そして、女の子であったことを無念に思いながら命を閉じたという。


 この中庭は、グレイス様が生前丹精込めて手入れをしていた。


 ジローが立ち止まる。一番奥の、大輪の薔薇の前だ。薄紅色のスプレー咲きの薔薇は、紅茶のような甘い香りを放っている。赤みがかった葉の陰には、レルリアンブルーのローズヒップが宝石を散りばめるように生っている。ジローがそこに手を伸ばし、房ごともぎ取る。


「無礼者!」


 俺の背後から従者達がなだれ込み、ジローを取り囲んだ。ジローはローズヒップを両手で握り、庇うように身体を丸める。


「グレイスが娘のためにと育てたローズヒップをちぎるとは! このものを引っ捕らえよ!」


 国王の声を合図に従者達がジローの身体に手を伸ばす。ジローは顔を歪め、太い唸り声を発した。歯をむき出しにし、腕を掴んだ従者を蹴飛ばす。従者の身体は宙を舞い、薔薇の茂みに消えた。


 両手でローズヒップを握りながら、足だけで次々と従者を倒していく。ゴブリンが石を投げても、グリフォンに襲いかかれれても、ジローは一切攻撃しなかったのに。


「駄目だ! ジロー! 人間に危害を加えてはいけないんだ!」


 俺は叫んだ。ジローの動きがピタリと止る。振り返ったジローは、悲しそうに耳を下げた。

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