第22話 ジローの秘密と俺の役割

 誰かが俺達のことを見ていたら、巨木に吸い込まれていくのを確認できただろう。俺は自己というものを失って、ドライアドの一部になっている。それは紛れもない事実だ。恐怖もなく、疑問すらも感じない。


『普通は、こんなことは出来ないんだよ。魔族であってもね。この子がいるから、出来るんだよ』


 この子がジローであるのは明白だった。俺の存在は曖昧になっているけれど、ジローが俺を抱いているのははっきりと感じ取ることが出来る。


 俺は、ジローの存在を初めて不思議に思った。ハイドに押しつけられた半獣の卵。そこから産まれた犬系統の半獣。疑うことなくそう思い込んでいたけれど、今何故か、それは違うのだと悟っていた。


『お前達はあれを卵だと思っているけれど、違うんだよ。あれは召喚の器なんだ』


――召喚の器? 


『お前に必要な力を持つものを呼び寄せる器だ。人間は皆、勘違いしているけれどね』


――じゃあ、ジローは偶然俺の所に来たんじゃなくて……。


『必然的に、やってきたんだよ』


――それは、どういう必然なんだろう。


『欠けたものを補い合う存在なんだよ。お互いにね』


 黒々とした夜の森のイメージが、俺の内側に流れ込んできた。暗闇の中に、二対の光が浮んでいる。


――あれは。あれは、獣の目だ。闇夜にギラギラと光る……。狼の目? ジローは犬ではなくて、狼?


『フェンリルという魔獣。余りにも凶暴だから、天空に鎖で繋がれていたんだけど、だれかが鎖を解いてしまったんだよ。地上に辿り着いたフェンリルは、山に捨てられた赤子を見付けた。フェンリルは赤子を食い殺さず、なんと育ててやったのさ。赤子は娘に成長したが、自分の事を狼だと思い込んでいた。やがてフェンリルの子を宿したが、子供が大きく育ちすぎて、子宮が破けて死んでしまった』


――その子供が、ジロー?


『そうだよ。召喚の器に呼び出されてお前の所へ行かなければ、山に一人残されて死んでいたかも知れないね』


――じゃ、やっぱ生まれたばかりってこと?


『そうだ。なりはでかいがね、ものは知らない。知るのは出会った人の知識だけ。だけど必要を嗅ぎ分ける力がある』


――必要を嗅ぎ分ける?


『お前に欠けているのは、知識と経験だ。学びを怠ってきたからね。それを補うまで、待っていられない。だからジローはお前に呼ばれてやって来た。その時に必要な事は何か見定めて伝える、賢い狼なのだよ』


 初めて出会った日、ジローはフレイヤ様に必要な食材を教えてくれた。知識のない俺だけだったら、そこに辿り着くのにどれくらい時間を掛けなければならなかっただろう。


『だが、一つ心配な事がある』


 ドライアドが言う。


『フェンリルがなぜ鎖に繋がれていたか、だよ。フェンリルはねぇ、人間を滅ぼすために存在している』


――に、人間を滅ぼす……?


『そうだ。人間はいつか暴走を始めるだろう。その時神はフェンリルを放ち、人間を回収する。その凶暴さを、ジローはどこかに持っている。内側に隠れた凶暴な要素を押さえ込むには、愛情が必要だ』


――愛情……。ってことは、俺がその愛情を注がなければいけないの?


『その通り。お前も家族を失って寂しい思いをしているだろう? お前達はお互いに、丁度良い相手なんだよ』


 身体と命だけ残されて、空っぽな俺。その内側を、ジローが満たしてくれると言う事なんだろうか。そして俺も、ジローに愛情を注いで優しい半獣に育てなければならないのだろうか。


『ま、色々と経験を積みながらだけどね』


 ふふふふふ、とドライアドが笑う。


『さてさて。では今お前が真っ先にしなければならないことを、教えてあげよう』


 ドライアドが言う。


――真っ先にしなければならないこと……。フレイヤ様を、起こすこと?


 ドライアドは笑った。


『あのお姫様が死のうと生きようと、世界は特に変わらない。だがお前の立場上、王様の命令に従わなければいけないのは分かる。だからそれは、好きにおし』


――えっと。じゃあ、フレイヤ様を助けます。それ以外に俺がしなくちゃいけないことって……。


朱殷熱レグアを消滅させるんだよ』


――だ、だってさ、伝染病だよ。あんなに大勢病人がいるんだ。全員を救うためにジュールをやってたら、俺が死んでしまう。


『なにも魔術を使えとは言ってない。もっと真っ当な方法でやればいい。朱殷熱レグアを放置していたら、お前の国は弱体化し、また戦争が起こるだろう。そうしたら、森が焼かれてしまう』


 確かに、かかった人が死ぬって事は人口がそれだけ減ると言う事で。税収は減るし、働く人の人数も減るし、そしたら社会の機能が成り立たなくなる。子供の死亡率が高いから、長い目で見たら人口が減少してしまうことにもなる。


 ああ、メディシアンでありながら、そんなことに考えが及ばなかったなんて……。


『落ち込んでいる暇はないんだよ。これから君は、沢山の病から人々を救い、人間の世界を守らなければならない』


――沢山の病から人々を救い、人間の世界を守る……。そんな大それた事……。

 

『それが、君に与えられた役割なんだよ。ひるんでいる場合じゃない』


 そう言って、ドライアドは笑った。その笑い声に俺はゆさゆさと揺さぶられているように感じる。


『ついでに一つ、忠告しておこう』


 笑い声が収まり、突き放すような口調でドライアドが言う。


『我々精霊は本来中立だ。精霊は、森や、山や、海、この世界のありとあらゆる所にいる。人間は我々の生きる場所を荒らしすぎる。あんまり酷い事をすると、我々は魔族に味方しちゃうかも知れないよ。……ま、君に言っても仕方ないことかも知れないけどね』


 最後の声は消えかけの波紋のように頼りなく揺らいだ。


 身体が熱を持つ。溶け広がった身体が再合成され、成り立ちを取り戻していく感覚だ。


 風が頬を撫でる。目を開けると、俺は大木の前に佇んでいた。ジローはまだ俺の身体をしっかりと抱きしめているけれど、ドライアドの声はもう聞こえなかった。

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