第21話 森の守り神

 森は海のように木が生い茂り、地面に日の光は殆ど差し込まない。獣が付けた自然の道を進んでいたけれど、時折倒木が進路を塞いだ。大抵の倒木は朽ちて苔むし、そこから新たな芽を天に延ばしている。小鳥のさえずりが折り重なって耳に届く。好き勝手に鳴いているはずなのに、何故か美しい音楽に聞こえる。


 重たい荷物を担いでいるのに、ジローの足取りは軽い。口元は綻んでいて、なんだか楽しいピクニックに出かけているみたいだ。


「何嬉しそうにしてんだ」


 思わず声を掛けてしまう。こんな時、ジローが言葉を話せたらなと思う。他愛ない事でいい。おしゃべりをして、笑い合いたい。


「たー」


 ジローがこちらに顔を向け、そんな音を発した。俺は首を傾げ、ジローの顔を見る。ジローはニコニコ無邪気に笑っている。


「たーら-」


 ジローが言った。俺は思わず、足を止める。


「たーらー」


 もう一度、ジローが言う。俺は無邪気に笑うジローを、瞬きするのを忘れて見つめた。


「お前、俺の名前を呼んだのか?」


 うんうんとジローが頷く。そしてもう一度、辿々しく俺の名を呼んだ。


「ジロー、練習してくれたのか? これから言葉を覚えて、話が出来るようになるのか?」

「あう」


 ニーっと口角を横に開いてジローが笑い、尻尾がぐるぐる回った。俺は両手を天に高く上げて飛び跳ねた。


「すっげー! ジローと話が出来るんだ! 最高だ!」

「あうううう!」


 ジローも両手を振り上げる。小鳥が驚いて、枝から空へ飛び立つのが見えた。


『ふふふふふ』


 森の奥から、笑い声が聞こえた。若い女性が、忍び笑いをするような声だ。決して大きな声ではないが、空気を強く振動させて、耳に届く。


『ふふふふふ』


 同じように、もう一度。俺の背に痺れるような怖気が走る。けれど、この声は幽霊みたいなまがまがしいものではないと感じた。俺は両手に拳を握り、大きく深呼吸する。怖がっていたら、前に進めないんだ。


「ドライアドさん、ですか?」


 森の奥に向かって、声を張り上げてみる。


『あはははははは』


 声のトーンが上がる。思わず一歩後退ると、ジローにぶつかった。見上げると、ジローは口をキュッと結んで大きく頷いた。俺は勇気を奮い立たせて、声のする方へ足を踏み出した。


 声に向かっていくには、踏み分け道から外れなければならない。下草は深く、チクチクと太ももを刺す。木々は濃く重なり合い、張り出した枝が行く手を阻む。昼間なのに、森の奥は深緑の闇に覆われている。闇からは無数の視線を感じた。森に生きる獣や魔獣が、侵入者である俺達の動向を用心深く見つめている。そんな気配で皮膚がチクチクと痛んだ。


 森は深い海のようだ。特徴を欠いた海原を進んでいると、方向感覚は完全に失われ、何処へ進んでいいのか分からなくなる。不安を感じるたび、導くように笑い声が森に響いた。


 やがて、ぽっかりと開けた場所に出た。木々を通り抜けたせいで緑色に染まった光が、広場を照らしている。その光を一身に浴び、巨木が天に向かってそそり立っている。俺とジローが手を伸ばしても、一周できないくらい太い幹だ。木肌には深い凹凸が刻まれ、幾股にも別れた枝が空に向かって伸びている。


『ようこそ、坊や』


 樹齢千年というが、ドライアドの声は若くて艶があった。妖艶な女を想像させる声だ。老木の妖精だからお爺さんの姿を想像していたんだけど。


『先入観を持つと、目が濁るんだよ』


 ドライアドはそう言って笑った。俺は、木に向かって頭を下げる。礼を重んじろとサニーが言っていたからだ。


「初めまして、俺はタイラーと言います。こいつはジロー」

『知ってるよ、メディシアンのタイラーだろう?』


 笑いを含んだ声で、ドライアドが言う。俺は思わず鼻の頭を掻いた。


『何を知りたい?』


 そう問われて、狼狽える。今更だけど、具体的な問いを持っていないことに気付いた。俺は何も知らなさすぎて、これから何処へどう進んでいいのかすら分からない。


「何を知るべきなのか、教えて欲しいです」


 誤魔化しても仕方がない。だから率直に答えた。


『あはははは』


 ドライアドが大きな笑い声を上げた。森が振動するような笑い声だ。


『そんなに漠然とした質問には、答えにくいなぁ。困ったね。ジロー、とにかく坊やを連れてこっちにおいで』

「あう」


 ジローは頷き肩から荷物を降ろすと、俺の腕を掴んで幹の傍に連れて行った。根元を踏まないように幹に接近すると、俺の背後に回る。あ、やな予感。


 予感は的中する。


 俺の頭はジローの口にすっぽり覆われることになる。ジローの腕が後ろから俺の身体をしっかりと抱きしめた。


 俺は、緑色の光に包まれた。身体が溶け広がっていくような感覚だ。ドライアドの中に入っているのだと、直感的に理解した。恐怖感は不思議なくらい、わかなかった。


『まず大前提として言っておくよ。私は木だ。長く生きたせいで森の守り神なんて呼ばれているが、基本的にはただの一本の木なのさ。私にとっては、森が健やかであればそれでいい。人間の肩も魔族の肩も、持つ気はないよ』


 言葉に続いて、ふふふふふと、笑い声が響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る