第19話 森へ行け

 ルーロの娘サニエルが、母の乳房に手を置いてゴキュゴキュ喉を鳴らし乳を飲む。


「痛みはありませんか」

「全く」


 問いかけにルーロは微笑んだ。サニーは角を摩りながら、気まずそうに俺に頭を下げる。


「その、無礼な真似を許して欲しい。妻と娘を助けてくれて、ありがとうな」

「いえ。本当に良いタイミングでお邪魔することができて良かったです」


 俺は頭を下げ返す。ジローは足を揃え、行儀良く椅子に座っていた。


「礼といってはなんだが、ちょっと良いことを教えてやる。お前、地図は持っているか?」


 俺は頷き、鞄から羊皮紙を取り出して広げる。サニーは顎に手をやって首を傾げた。サニー達の使う地図と人間の使う地図は、少し違うのかも知れない。俺は切り立った山の一つを指差した。


「ここが現在地です。プルーロのなっているのがここです。日はこっちから昇ってこっちに沈みます」

「ほうほう」


 サニーは頷き、人差し指で森をつついた。


「じゃあ、ここだな。この森の真ん中に樹齢千年の大木がある。大木にはドライアドという精霊が宿っているんだが、そいつがえらい物知りでな。どうせ山深い場所まで来たんだし、寄ってみたらいいと思う。お前が知らなければならないことを、教えてくれるかも知れない」

「知らなければならないこと?」

「ああ、そうさ」


 サニーは頷き、金色の前髪を整える。


「命あるものには宿命がある。どんな小さな虫けらにでも。お前はどうやら人間の中でも大きな業をを背負っているようだ。誰しも運命を辿る中で知るべき事に出会っていくんだが、出会えないこともある。出会い損なうと選択を誤って、困難な道を進んでしまう可能性が高くなる。知識は人生の道しるべなのさ。その道しるべの幾つかを、ドライアドは教えてくれるかも知れない。気難しい奴だから、礼儀をわきまえて機嫌を損ねないように気を付けてな」

「そうだね。私はドライアドとは気が合わない」


 ルーロは娘を肩に乗せ、トントンと背中を叩く。サニエルは小さなゲップをした。


「沢山飲んだよ。三日分は飲んだ」


 サニエルを抱き直し、小さく揺らす。満腹になったサニエルは、口を縦に開けてあくびをし、目を閉じた。サニーがサニエルの顔を覗き込み、丸い頬をそっとなでた。


 サニーはルーロの腕からサニエルを受け取り、温かそうな寝具に横たえた。目が覚めたのか、元気の良い泣き声が上がる。サニーは鼻歌を歌いながら布団をポンポンと叩いた。


「さてと」


 目を細めて二人を見つめていたルーロは、娘の泣き声が途絶えたのを確認してから立ち上がる。


「搾乳をしてくるよ。お姫様に献上する分」

「え、でも。今母乳を飲ませたばっかりだし」


 躊躇する俺の鼻先でルーロはちっちと人差し指を揺らした。


「ミノタウロスを舐めるんじゃないよ。まだまだ乳はでる。お前を溺れさせるくらい、余裕だね」

 

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