第18話 グリフォンの真意
犬化したジローの腹に身体を埋めて月を眺めていた。青白い三日月を飾るように、大きな星が一つ瞬いている。風は穏やかに吹いていて、目を閉じると淡い緑を連想させる香りが鼻孔をくすぐった。
身体はとても疲れているのに、頭が冴えて上手く眠りに落ちることが出来なかった。身体の内側にまだ熱が残っている。夜風に当たれば冷めるだろうかと思って、できるだけ音を立てないように外に出たのに、池の畔に腰を下ろしたら真後ろにジローが座り込んだのだ。俺を抱きとめるみたいに。
ジローの温もりに包まれていたら、自分が如何に空洞のような存在なのか分かる。きっと、焼け落ちる故郷と一緒に身体以外の全部が焼けてしまったのだろう。俺は身体と命だけを持って、父さんの言葉に突き動かされるようにして王都にやって来た。王都に辿り着くまで二年。その間のことは、よく覚えていない。
「眠れないのかい」
ルーロが俺の横に座る。足音も気配も全く感じなかったので少し驚き、身体を起こした。ジローも身体を起こし、俺の横に行儀良く座る。ジローはミノタウロスの夫婦に常に敬意を払った振る舞いをしている。半獣の世界では、ジローの方が格下なのかな。
「ルーロさん、よく眠った方がいいですよ。その方が良く回復します」
ルーロは目を細め、胸元に手をやった。
「さっきまでとても良く眠っていたんだよ。沢山汗をかいていたから、熱を外に出してしまったのかも知れない。身体がとても軽くなって、頭がすっきり冴えている」
「俺が起こしてしまったでしょうか」
ルーロはゆっくり首を横に振る。
「そういうタイミングだったんだよ」
「そうですか」
俺は頷き、自分の膝を抱える。
「娘の命は半分諦めていた。君はとても良いタイミングで現われてくれた。感謝してもしきれない」
「神様の思し召しです」
俺がそう言うと、ルーロは小さな笑い声を立てた。
「お前達人間の神など我々は信仰していない。もしこれが本当に神の思し召しとやらだったら、半獣を救ってくれるなどたいそう太っ腹だな」
「魔族に神は、いないのですか」
俺はルーロを見た。神様はこの世界をお創りになり、全てに心を注いでくださっている。不条理なことばかり起こってきたけれど、それも全て神様のご意志だ。
「魔族は悪魔のもの。人間は神のもの。半獣は悪魔のものでも神のものでもない」
「じゃあ、魔族は悪魔を信仰しているんですか? ゴブリンも?」
「信仰とは少し違うかも知れないね。……ゴブリンか。あいつらはその内、淘汰されるだろうな」
首肯してから放たれた言葉に、俺は眉を寄せる。
「淘汰?」
「そうだ。あいつらは弱いし頭が悪い。何より進化しようとしない。人間の奴隷にならなければ生き延びる術はもうないだろうね。そんな存在に魔族として生きる価値はない。人間に迎合しない者達は、狭く貧しい土地に追いやられて命をすり減らしていくだけだ。せめて牙でも生やして動物をかればいいのに」
ナシ達のことを思い浮かべていた。確かに彼らの暮らしは貧しく、洞窟の先に行けるようになったとしても、先細りした未来しか想像できない。
「人間が、そうした。と言うことですよね」
「そうだ。人間は嫌いだね。浅はかで強欲だ。そして繁殖力が強すぎる。森を壊して住む場所を作らねばならないくらい増えてどうする。結局の所、お前達は自分の首を自分で締め上げてるんだ」
酷い悪戯をしている子供を傍観しているような声音で、ルーロは言った。俺は森を切り開いて出来た街道や、一見華やかだけど汚物で汚れた王都を思い浮かべる。そしたら、なんだか人間であることが恥ずかしく思えてきた。
ふと、ゴブリン達から聞いた事の真偽を、確かめてみたいと思った。身体ごとルーロの方を向き、慎重に言葉を選ぶ。
「人間は魔族を殺します。それは良いことだとは思わないけど、命を守るために仕方がないんです。出会った魔族を殺さなければ、人間の方が殺されてしまうので……。人間の世界には今、沢山の病が蔓延しています。それが、殺された魔族の祟りだというのは、本当ですか?」
「誰から聞いた? その話は」
「ゴブリンです」
ルーロは声を上げて笑い出した。腹に手を当て、身体を折り曲げて笑う。余り大きな声で笑うので、サニーが起きてこないか心配になった。
「馬鹿なゴブリンの考えそうなことだ。祟りなんて単純なことではないのにさ」
「祟りでは、ない?」
「そうだ」
ルーロは首を縦に振る。
「もっと複雑で、やっかいだ。人間の王が住む都では、おかしな病が流行っているだろう」
「ええ。それを我々は
ルーロはもう一度首を縦に振った。
「人間はゴブリンと組成がよく似ているから、ゴブリンの病を貰ったんだ。そういうことは、よくある。私の胸も、似たようなものだ」
「似たようなもの?」
ルーロは苦いものを食べたみたいに顔を歪める。
「ちょっと前にちょろちょろしているネズミを捕まえて食ったのだが、一回落としてしまってね、その時胸を噛まれた。それからどんどん胸が腫れた。我々にはそういうことは良く起こる。生き物は身体の中にいろんな毒を持っていて、傷口から身体の中に入り込んで暴れ狂うんだ。呆気なく死んでしまうこともあれば、かゆみくらいで落ち着くこともある。病という形に変化して、生き物から生き物へ広がることもある。人間は魔族を殺す時、多かれ少なかれ怪我を負うだろう。そこから魔族の毒を取り入れて、持ち帰ってしまうのさ。呪詛の類いではない」
「成る程……」
ルーロの言葉は、マールやナシの話よりもすっと腹に落ち着いた。呪詛の類いよりも毒のほうが、対処が出来るとも思う。毒素の形が分かれば、処方するべき食材をみつけられる。
俺なら、魔族から持ち込んでしまった毒を打ち消して、人間を救うことが出来る。
そんな言葉が思い浮かび、背中に重たい岩が落ちてきたみたいな痛みが走る。胸が圧迫されて、息苦しくなる。
「しかしお前も難儀な宿命を背負ったものだな」
ルーロの手が、俺の髪に触れた。胸にじわりと熱いものが流れる。消化しきれない固まりに吐き気を覚えながら、俺は答えた。
「仕方ない、みたいですね。俺は緑の髪と赤い瞳を持って生まれてしまったから。これは、魔人の印みたいなものなんです」
「ふうん」
急にルーロは俺の頭をくしゃくしゃと撫で、笑い出した。突然のことに俺は驚き、ルーロを見る。ルーロの唇はとても赤いけど、それは化粧の類いではなく天然のものみたいだ。
「あのグリフォンはお前の髪と目をいたく気に入ってね。今朝私の所に、お前を殺してくれないかと頼みに来たんだ。死骸から髪と目を取り外して自分に分けてくれだと」
「え、ええ!?」
「ワウッ」
驚いて俺は身体を仰け反らせた。ジローが俺を庇うようにルーロの間に鼻先を入れる。ルーロは更に笑い声を高くして、ジローの鼻先を押した。
「恩人の命を奪ったりしないから、安心しな。そんなことを思われていると知らずに『心が触れあった』なんていうから、おかしくておかしくて」
ガリガリと頭を掻く。グリフォンめ、今度会ったら剣で爪を切り落としてやろうか。
「グリフォンの習性には地域差があるんですか? 俺は前にプルーロを採ったことがあるんですけど、その時グリフォンは黙って見ているだけでした」
「ふうん? それは、どこの話だい?」
ルーロは片方の眉をグッと持ち上げた。俺は切り立った鉱山を思い描きながら言う。
「ずっと北にある、スパインピークという鉱山の近くです」
「ああ!」
ルーロはパチンと手を叩いた。それから眉尻を下げ、俺の頭に手を置いた。
「グリフォンは噂好きだからね、話を聞いたことがある。ダイヤモンドの鉱山だろう? あの時グリフォンは、人間が自らに火を放ち、滅びゆこうとしているのを知っていたんだよ。火が消えた後、残ったダイヤモンドを手に入れてご満悦だったらしいよ。そのプルーロは、ダイヤモンドの対価だったのさ」
「え……」
俺は言葉を失った。
皆を助けようと必死で収穫したプルーロ。それは、その命の対価だった……。
口を両手で覆う。うまく形になりきれない色んなものが溢れて、思い切りわめき散らしたかった。衝動を必死で堪える。喉が熱く焼け、涙が頬を伝う。
「魔族はそういう生き物なのさ。心が通い合うなんて幻想は、抱かない方がいいね」
ルーロの指が俺の涙を拭き取り、そのまま池の畔を指差した。
「あそこに、赤い花が咲いている。とても美しい緑の葉と、鮮やかな赤い花弁の花だ。それで首飾りを作っておやり。そろそろお前に貰った花もしおれる頃だろうから。明日、そのグリフォンがプルーロを持ってくる。その礼として、渡してやるといい。くれぐれも爪を切り落としたりしないようにな」
そう言って笑ってから、ジローの頭を撫でる。
「お前、この子をちゃんと導いてやるんだよ」
「あう」
ジローは小さく鳴き、頭を垂れる。
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