第4話 半獣の卵

 レンヴット王国七代目の国王フロンド二世は、十八歳で王位を継いですぐ、百年にわたり続いていた戦争を終わらせた。兵力で敵国を制したのではなく、近隣各国と調停を結び停戦にこぎ着けたのだ。


 一端戦争が終結すれば、島国であるレンヴット王国は速やかに平和を取り戻した。


 戦争へ向けられていた力は内需拡大へと向かう。戦争の功績者に辺境の領地と爵位を与え、開拓地を増やし産業を発展させる。


 国は豊かになり、人口は増えた。辺境と王都を結ぶ街道は急速に整備が進み、人の往来が増え、それに従って地方へも国王の目が行き届くようになった。


「賢者のように賢く偉大な国王だと思います」

「……そうかい?」


 ハイドの口が、微かに歪んだ。わずかに右側の口角が高く持ち上がったのだ。たったそれだけの事なのに、特別な皮肉を並べたてたように見える。


「確かに国は豊かになったし、戦争に脅かされることはなくなった。でもね、毎年戦死者の倍以上、魔獣との戦いと流行病で人が死んでいるんだよ」

「え……。そんなに?」


 俺は息を飲んだ。俺の生まれる前の事だけど、戦争のことは父さんから耳にタコができるくらい聞いた。父さんにとっては武勇伝だから、酒を飲めば仲間達とその話をする。横で母さんが、「何万人もの人が亡くなったのにね」と溜息をついていた。


「街を見たかい? あんなに貧富の差が大きくて、朱殷熱レグアのような致死率の高い病が流行っているのに、全く関心を示さない。朱殷熱レグアに対して動いたのは、ついこの間宮殿内でも感染が広がって、フレイヤ様も病にかかった、あの時だけだ。あの時は大騒ぎだったね。感染者はフレイヤ様の命を脅かした罪で火あぶりにされたんだ。フレイヤ様の乳母も含めてね。王族みたいに普段からタップリ栄養を取っている人々は、大して重症化しないのに。国王陛下だって、平民しか死なないと分かっているから放置してるんだろうにね」

「ハイドさん、それくらいにした方が……」

 

 厨房から店主がこちらを睨んでいる。国王陛下の悪口を言ったら、反逆者として通報されかねないのだ。ハイドは悪戯を見つけられた子供のようにペロリと舌を出した。


「勿論これは、最近起こった出来事を客観的に話したに過ぎない。それから、随分話がそれたので修正しよう。僕が言いたいのは、国が豊かになって人が増えると、その分人の住む場所を増やさなければならないし、領地同士を繋ぐ街道も作らなければならない。その時何がおこるかって事なんだ」

「何が起こるって……。そりゃ、魔族と戦うことになる」


 俺が育ったのも開拓して出来た領地だ。戦時中領主様は騎士団長だったんだけど、戦後その功績を認められて、ダイヤモンドの鉱山を与えられ、辺境伯の地位を得た。


 領主様は、与えられた土地を切り開いて従者達の住む町を作り、鉱山を開いてダイヤモンドの採掘をしなければならなかった。森にも山にも、人の住んでいない土地には魔獣がいる。その魔獣退治は、父さん達元従士の仕事だった。


「魔獣と戦うようになってからだよね、こんなに流行り病が人々を襲うようになったのは。戦争中は、なかったことなんだよ。きっと、魔獣と人間の争いと、流行病には、何らかの関係がある。そこで、さっきの話になるんだけどね」

「さっきの話?」


 色んな話をしていて、「さっきの話」が何か忘れてしまった。ハイドは人差し指を立てる。


「魔人の役割について、だよ。木こりやスパの主人に神から与えられた役割があるのかという話。木こりは、切るべき木であれば触れただけで木を倒せる。そうだろう?」


 倒した木を前に、腰に手を当てていたおじさんの得意げな顔を思い浮かべて、俺は頷いた。


「木はどうしても必要だからね、開拓し終わった町では、どこからか切り倒した木を運んでこなければならない。だからって、むやみやたらに切り倒したら森はめちゃくちゃになるんだ。日当たりや木の年齢などを考えて、切るべき木を選んでやれば、森は日当たりが良くなって土壌が豊かになり、土砂崩れみたいな災害を起こしにくくなる。人間の管理が入っている森には魔獣は寄りつかないから、衝突も起きにくい。木こりの魔人は、実は人間と魔獣の緩衝材になり、森を守っているんだよ」


「へえ! そうなんだ!」


 俺は椅子の背もたれに背を預け、大きな口を開ける。そこにゴブリンがやって来て、料理をテーブルに並べた。テーブルの中央に、頼んでいない魚料理が置かれる。手の平ほどの大きさの、こんがりと焼き目のついた魚だ。


「これは、本日のサービス品でございます」


 ゴブリンは大きな鷲鼻を揺らして笑った。耳が尖り、背が低くて手足が長く筋肉質、というのがゴブリンの特徴だけど、町で働くゴブリンは、筋肉が落ちて骨に皮を被せたみたいに痩せている。彼らは奴隷として生きていて、大抵貧相な服を着て貧しい暮らしをしている。


「魚だ。珍しい。王都は海から随分離れているのに」

「海に面している辺境地から運ばれてきたのです。そちらの商人様から買い上げたのですが、魚を食べる習慣がないせいかあまり注文が入りませんで……」


 そう言って背中を丸めてそそくさと厨房へ戻る。俺はフォークで突いて一口食べてみた。生臭さが鼻をついた。生魚を運べるくらい海と王都は近くなったのかも知れないけれど、まだ実用的とは言いがたいみたいだ。口直しに骨付き肉の煮込みに米を浸して食べる。ハイドもソーセージを囓った。目を閉じたままなのに、的確にフォークを手に取り、細いソーセージを刺して口に運ぶ。


「スパの話だけどね」


 ソーセージを呑み込んでから、ハイドが言った。俺は食べながら頷く。


「スパは無料開放されているから、修道院から食料を分けて貰っているような貧乏人でも、身体を清潔に出来る。残り湯は洗濯場に提供しているから、衣服も清潔だ。そのせいか、スパの周りでは病が流行らないんだよ」

「皮膚の病気だけでなく、朱殷熱レグア見たいな流行病も?」

「そうだよ」


 料理を食べながら俺は考える。肉汁が滲みた米は美味しいけれど、できればパンに浸して食べたい。王都は米が主食で麦は輸入品だから、パンは高いらしい。


 魔獣の衝突を避ける木こりの魔人。病の流行を防ぐスパの魔人。病を癒やすメディシアンの俺。


「神様は、魔族との戦いや病で人間が死ぬのを、避けたいと思っているの?」

「そうかも知れない」


 首を傾げてから、ハイドはエールをぐいっと飲んだ。


「実のところ、僕は正確に未来を予見できるという力を持っているだけで、神の声が聞こえるわけではない」


 俺は肉を丸呑みしてしまった。


「え、どういう事?」


 咳き込みながら何とか言葉を押し出す。ハイドはばつが悪そうに眉を下げる。


「なんだけど、今回はどうしても君に会わなければならないと感じたんだ。会って君にこれを手渡さなければならない」


 ハイドは身を屈め、床に置いていた黒いずだ袋を持ち上げた。


「これは?」

「半獣の卵。山の中でそれを見付けた時、君の事が頭に浮んでこれを手渡さなければならないと思った。どうやら、僕に神様から与えられたのは、君を導くという役割らしい」

「導く? 僕をどこに、導いてくれるの?」


 ハイドは首を横に振った。


「申し訳ないのだけれど、行き先はまだ見えていない。分かっているのは、君はこの卵を孵して、生まれた半獣と一緒にお姫様を救わなければならないと言う事。半獣は君の足りないところを補って、すべきことを教えてくれると思う。多分」

「予言者の癖に、急に頼りない言い方になったね」


 俺が口を尖らせると、ハイドは口元を緩ませた。ああ、これがハイドの本当の笑顔なんだなと、俺は思った。


「じゃあ、予言者らしいことを一つ。旅に出るときは、鏡を忘れずに持っていくように」


 ハイドはそう言って、目尻に皺を作った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る