第5話 半獣の卵、孵る

 店主が案内してくれたのは、ベッドが一つあるだけの簡素な部屋だった。安ければどんな部屋でも良いと言ったので、文句は言えない。しばらく野宿生活だったので、雨風を防げるだけでもありがたい。そう思いながら、黒いずだ袋を床に置いた。


 耳元で羽虫の音がした。プアーンという不快な音だ。俺はマッチを擦って除虫菊の線香に火を付ける。苔みたいな深い緑色の、渦巻き状の線香だ。煙が喉を刺激するけれど、蚊に刺されるよりましだ。王都は本当に蚊が多くて困る。


 それよりも、半獣の卵というものが気になる。俺はずだ袋からそれを取り出し,

床に置いた。卵はずっしりと重たくて、しかも俺の半分くらいの大きさ。ハイドは軽々と背負っていたけれど、二階のこの部屋に運ぶのは大変だった。俺は背は低いしそんなに力がある方でもない。


 緑の髪と赤い瞳がなければ、ただの貧相なガキなのだ。


 半獣の卵は、鶏の卵を巨大化したみたいな、ごく平凡な形をしている。表面はとてもつるつるで硬質な手触りだ。磨きたてのダイヤモンドとよく似ている。


 半獣はその名の通り、魔獣と人間の特徴を併せ持つ。その割合は半々とは限らない。そして、卵からどんなものが生まれるのかは、ハイドにも分からないらしい。


 つまり、限りなく魔獣に近かい個体ならへたすりゃ食われるかも知れないし、殆ど人間と変わらないかも知れない。ベロだけ蛇の蛇女とかさ。わ、そんなのだったら嫌だな。


 いずれにしても卵から孵る半獣は「刷り込み」の特性が強く、初めて見た者を主人と認定して命の限り尽くしてくれるのだそうだ。鳥が初めて見た生き物を母親だと信じて後を追うみたいに。


「猫耳の女の子だったら最高だな」


 ふさふさの耳を付けたフレイヤ様をもわーんと思い浮かべる。だって俺、男の子だもん。


 でもあれかぁ。猫耳の女の子だったら、か弱くて神様の使命を果たすのには不適正かぁ。でもなぁ。可愛い女の子が命をかけて俺に尽くしてくれるんだったら、それこそ魔人として生きるのやめても良くない? 可愛い子が一緒にいてくれる。それだけで最高の人生じゃん。もう、寂しい思いは一生しなくて良いんだし。


「猫耳の可愛い女の子で、お願いします!」


 手を合わせてそう言ってから、だめじゃんと自分に突っ込みを入れる。猫耳の可愛い女の子だったら、神様の使命を果たさないでばっくれると決めたのに、神様にお願いしたら駄目じゃんね。


 つやつやの殻を撫でる。かすかに温かい。これは中に入っている命が発する熱なんだろうか。


 命の熱を感じるなんて、久しぶりだな。


 思わず目を閉じる。母さんや修道院のシスター達の柔らかい手。父さんのゴツゴツした手。そんなものが思い浮かんで喉の奥が痛くなる。


 ゴトンと音がした。驚いて目を開ける。床がガタガタと揺れている。地震かと身構えたが、音の割に振動は小さい。よく見ると、音を出しているのは卵だ。


「卵が、揺れてる」


 気付いた事が口をついた。そうだ、巨大な卵がぐらぐらと揺れているのだ。床はその揺れを受けて振動している。


 殻に亀裂が入り、ポロッと欠片が落ちた。そこから閃光が走る。余りの眩しさに腕を翳した。亀裂は横に広がっていき、光はどんどんと強くなる。やがて部屋が光で満ちた。爆発的な光と熱は俺の身体を溶かしたかと思った。しかし、波が引くように一瞬で光は去る。


 恐る恐る目を開けた俺は、ただ口を開けて眼前の光景を見ていた。


 最初に目に入ったのは、濃いすね毛だった。すね毛は、腓腹筋の双丘と張り出したヒラメ筋を深く覆っていた。


 褐色の、筋肉の塊。そう、全裸の男がそこに立っていた。


「え、ええ……?」


 困惑の声を上げると、男は身体をこちらに向けた。見事に割れた腹筋の下に、プラーンと一物がぶら下がっている。うん、男の子に間違いは無さそうだ。生まれたばかりなのに、既に立派なお兄さんなんだけど。


 だって、背なんて見上げるくらい大きいんだぜ。俺の鼻先には甲冑の肩当てがはいってんじゃないのかってくらい盛り上がった三角筋がある。ごっつい身体だなぁ。二の腕、女子のウエストくらいあるんじゃね? 俺の顔くらい大きな大胸筋が二つもっこり並んでて、その下にくっきり六つに割れた腹筋。


 生まれたばっかなのに、いつ鍛えたんだよ……。


 顔もちょっと厳つい。エラの張った顔は凹凸がくっきりとしていて、筋の通った鼻は存在感タップリ。でんと濃い眉。その下の眼差しが俺に向けられた。余りの鋭さに、刺し貫かれたように動けなくなる。


 刹那、その瞳がうるうると揺れた。男の頭上で三角形の黒い耳がピンと立った。……って、耳? 尻には豊かな毛量の尻尾が生えていて、ふさふさと空気を揺らしている。


「だあああああ」

 次の瞬間男はそう叫びながら、俺に抱きついてきた。

 

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