第2話 エメラルドの髪とルビーの瞳
王宮を出た俺は、とぼとぼと城下町の道を町外れに向かって歩いていた。夏の終わりの熱が空気に充満しているけれど、フードをすっぽりを被って、きつく前を握りしめる。
とにかく、今日の宿を探さなくちゃ。懐がとても頼りないから、安宿を探さないといけない。王都は人の出入りが多いから、宿は沢山ありそうだ。王宮に近いほど立派な建物が多く、郊外に行くほどさびれているのは、連行される馬車の窓から見ていたから知ってる。
キラキラ光る宝飾品を売る宝石店、よその国から運ばれてきたような骨董品を並べている雑貨屋、珍しい花を飾っている花屋、天井からハムやソーセージをぶら下げている肉屋、香辛料と調味料を香ばしく匂わせている食堂。軒先で客を引く威勢の良い声。買い物を楽しむ身なりの良い人々。
王宮の周りは活気に溢れていた。けれど街には奇妙な臭いが立ちこめている。
王都の人々は排泄物を道に捨てる習慣があると聞いていた。俺が暮らしていた辺境地は、全て発酵させ肥やしにしていたので、まさかとは思っていたけれど。捨てられた糞尿は賤民が集めて捨てに行くらしいが、完璧な仕事では無いらしい。お陰で臭いは残り、虫やネズミを招いていた。臭いを消すためだろうか、どの店も強い匂いの香を焚いていたし、料理も香辛料を多く使っている。
まだら模様のような匂いに吐き気をもよおし、急ぎ足で郊外に向かう。
ある筋をさかいに、道の舗装はとぎれた。むき出しの地面を挟み、土壁の家が並ぶようになる。人の姿はまばらになり、すり切れたシャツに年期の入ったズボンのような簡素な服装に替わる。同時に、においは発酵した悪臭に変わった。
喧噪の代わりに聞こえてくるのは、鉄を打つ音や薪を割る音。王都の中心が物を売る場所ならば、ここはそれを作る場所みたいだ。
さらに歩を進める。町の一角に人々が集まっていた。大きな樫の木の下に建つ、とても小さな家の玄関先だ。彼らは四人がかりで何かを運びだしていた。それが、板に乗せられた人であるとしばらくして分かる。腕が板からだらりと垂れ下がっている。もう、骸になっているらしい。
俺は、眉をしかめる。その腕が赤黒く染まっていたからだ。
運ばれていく人を見送るように、家の中から若い親子が出て来た。子供はまだ小さく、前掛けを付けている母親の腕にしがみついていた。病で命を落としたのはこの家の祖父か祖母みたいだ。子供にうつらなければ良いのだけれど。そう思いながら、俺は顔を伏せて通り過ぎた。
やっと町外れにさびれた宿を見付けたのは、日が傾きかけた頃だった。宿の一階は食堂になっている。悪臭に胸を悪くしていたけれど、焼けた肉の香ばしい匂いを嗅いだら腹の虫がなった。食堂の隅の席に座る。まずは腹ごしらえをしよう。
「骨付き肉のシチューを下さい」
注文を取りに来たのは、かっぷくの良い店主だ。使用人のゴブリンもいるけれど、宿付き食堂では、最初の接客を店主がするという暗黙の了解がある。
宿を求めるのは当然よそ者。安宿ほど客層が悪い。来訪者がならず者でないかどうか見定めるのも、店主の役目だ。領土に害のある者を通報すれば、役人から金を貰える。安宿は街の治安システムの一つだ。
「米は?」
「ください。できれば大盛りで」
「飲み物は? エールはどうだい?」
「水でいいです」
店主が顔を覗き込んでくる。マントで顔を隠しているとかえって怪しまれるかも知れない。俺は周囲を見回し、二組の客しかいないのを確認してからフードを外した。途端に店主は目を丸くする。
「魔人!」
店主が声を上げる。
「本当だ! 魔人だ! 初めて見るぜ。マジで緑の髪なんだな」
「目も、真っ赤だ。エメラルドの髪とルビーの瞳とは、よく言ったもんだ」
窓際に座っていた二人の男が走り寄ってきて、無遠慮に俺を見る。旅の商人といった風情だが、着ている服は安物で、高価な物を扱っているようには見えない。
勘弁してくれよ。俺は顔を伏せ、口をつぐむ。こういう時は反応を返さず、相手の好奇心が満たされるのを待つしかない。
「これも縁だ。エールでもおごるぜ?」
「だめだよ、よく見ろ。こいつまだガキじゃん」
ガキで悪かったな。
この国で成人と認定されるのは十八歳。ガキだと言われたら反論できないけれどもさ。
店主がポンと手を打った。
「国王陛下が探しているメディシアンは、お前さんか」
「え、メディシアン!? あの、どんな病でも癒やせるっていう……」
「こんな、若い子にそんな力が!?」
途端に店内が色めき立つ。関心を示していなかった別の二人連れも、こちらに集まってきた。
マジで勘弁してくれ……。
そう思った時、ドアがギィッときしみながら開いた。一陣の風が店内に吹き込んでくる。俺は目を細めてそちらに視線を向けた。
長身の男が立っていた。頭に黒い尖った帽子を被り、細身の身体を灰色のタップリとした衣装で覆っている。肩から、とても大きな黒いずだ袋を提げている。
すっと鼻筋の通った端正な顔をしていた。年齢はまったく分からない。二十代の青年に見えなくもないし、年老いた老人に見えなくもない。両目は固く閉じられている。それなのに、彼からの視線を強く感じた。
彼は、目を閉じたまま真っ直ぐに俺に向かって歩いてくる。そして正面に立つと、口元に笑みを浮かべてこう言った。
「やぁ、メディシアンのタイラー君。会いたかったよ」
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