半人前のメディシアンと破天荒な王女

堀井菖蒲

第1章 卵から孵った犬人間

第1話  黄金の眠り姫

 こんなに美しい人を見たのは、生まれて初めてだ。


 無意識にゴクリと唾を飲み込んでしまう。


 草原を思わせる毛足の長い絨毯を敷いた寝所。天蓋の降ろされたベッドで王女様は眠っている。


 天蓋は透き通るほど細い糸で編まれている。最近王都で流行っている「レース」というものだ。立体的な薔薇のモチーフは、小さな影を作る。散りばめられた影のせいで、光の当たっている糸がきらめいているように見える。


 王女フレイヤは、キラキラ輝く繭に包まれているみたいだ。


 磁器人形のようなきめ細やかな肌。それを包む黄金の髪。ゆったりと閉じた瞼を縁取る睫も、黄金色だ。緩く結ぶ口元からは、静かで規則的な吐息が漏れている。もしそれがなかったら、人形がベッドに横たえられていると信じて疑わなかったかも知れない。


「さぁ、メディシアンよ。診てやっておくれ。我が娘が何故目覚めないのか。その原因を」


 俺の横で国王陛下が言った。背の高い屈強な身体から発する声は太い。厳かな声音だけれど、娘を案じる父親の苦悩が滲んでいる。血液の通った声だ。一国の頂きに立つお方だ。真っ直ぐに正した胸元から圧倒的なオーラを放っている。その隣に並び立つなんてとても恐れ多いことだけれど、病人の前でメディシアンは、国王にも勝る特別な存在となるらしい。


 この世で病を治癒できる、恐らくたった一人の存在だから。


「失礼いたします」

 国王陛下に一礼し、俺は王女フレイヤの枕元に立つ。


 まずは視診。フレイヤ様の状態を観察する。

 

 呼吸は至って規則的で穏やか。呼吸に関する問題は無さそうだ。続いて肌。色は青白く、表面はとてもかさついている。唇は青ざめ、血色を失っている。


 俺は、フレイヤ様の手を取った。フレイヤ様は十四歳。俺の二つ年下だ。少女の面影を微かに残す小さな手。とても滑らかで冷たい。爪の先がとても白い。本来薄紅色であるべきなのだが。


 爪の先を上下につまみ、軽く力を込める。さらに血色を失って、さらし布のように白くなる。そこになかなか血流は戻ってこない。


 手の甲の皮膚をつまんで離す。盛り上がった皮膚はしばらくその形を残し、十秒くらい経ってやっと平らに戻る。


 脈を取る。規則的だがとてもか細い。そこから神経を集中していく。俺の意識は血流に乗り、五臓六腑をくまなく巡っていく。これは、メディシアンにしか出来ないブラドという診察方法だ。


 俺は困惑しながら手を離し、小枝のように細い腕を布団の中に戻す。


「何か……。何か分かったか」

 じれったそうに、国王陛下が言う。俺は振り返り、そこへ跪いた。


「水分と血液の栄養が不足しております。内臓には、特に問題はありませんでした」

「では、こうなった原因は……。朱殷熱レグアの影響はないのか?」


 俺は首を横に振る。


「身体の内側に、病魔の影響は見当たりませんでした。体内の火事は消し止められております。気道に何か所か傷ついた痕跡はありましたが、治癒しておりました」

「ではなぜ、目覚めぬのだ!」


 ダン、と床が大きな音を立てる。国王陛下が床を踏みならしたからだ。俺は思わず身をびくりと震わせた。


「メディシアンの癖に、ヒーリアンと言う事が変わらぬとは。お前もあの翁と一緒に処刑してやろうか」

「ま、待ってください」


 イライラと捲し立てる言葉に焦って顔を上げた。


「このままでは王女殿下は数日で命を落とされるでしょう。足りないものを補う術はございます。命を繋ぎながら、すべき事を探しましょう」

「すべき事。例えばどのような事だ」

「それは……。少々調べに時間がかかります。昏睡されている王女様に、水分と栄養を補給する方法をお伝えいたしますので、お時間をいただけませんでしょうか」


 地面に頭を擦り付けた。「ならぬ」の一言で俺は首を落とされてしまうのかも知れない。そう思うと全身が震えた。


 国王陛下の身体から、怒りがわなわなと空気を揺らして伝わってくる。俺は固く目を閉じる。「ならぬ」の一言で命を奪われる。そんな形で死ぬのは納得がいかない。


 王都に入るや否や大勢の兵士に身柄を拘束され、王宮に連れてこられて、七日間目覚めない王女を目覚めさせろと言われたんだぜ。それが駄目なら処刑って。酷くないか。


 「俺の命」と「国王の怒り」が胸中の天秤にかけられ、どちらかに傾くのを待つ。その間俺は、燃えさかる炎を瞼の裏側に思い描いていた。死ぬのは怖くない。死ねば、みんなの所へ行けるのだから。


 頭上に一つ、溜息が落ちた。


「良かろう。しばし時間をやる。その代わり必ずやフレイヤを目覚めさせるのだ」

「承知いたしました」


 天秤は、「俺の命」に傾いた。いや、そこに乗っていたのはフレイヤ様の命なのかも知れない。


 俺が救えなければ、恐らく誰も王女フレイヤを救えない。それは、紛れもない事実なのだと、国王陛下も分かっているのだ。



 

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