【終わらない夏祭り】

夢咲咲子

第1話

 十月上旬。平均気温二十度前後の過ごしやすい時期。

 秋色のニットやストールで色付く同僚達を尻目に、わたしは薄手の半袖ワンピース一枚で汗ばんでいた。人呼んで“年中真夏女”。それがわたしである。


 対して目の前の上司は年中秋のように、暑くも寒くもない涼しい顔の男だった。理知的な印象のつり目がわたしを見る。


「いつまでも夏気分では困るな」

 部長はいつものポーカーフェイスで、冷血無情にわたしのデザイン案を切り捨てた。パソコンの画面にはわたしの渾身の作品。クリスマスコフレの、SNS販促キャンペーン用の広告バナーが数点並んでいる。

「色使いが夏過ぎる」という指摘は、悔しいが的確だ。青、黄色、ビタミンカラー。無意識の内にわたしは夏色を使いがちである。


「ハワイのサンタクロースは、アロハシャツで波乗りするらしいですよ」

「ここは日本だ」

 眉一つ動かさない部長。わたしは自分の下らない冗談を恥じて視線を落とした。部長のデスクの上には、堅物の三十路男には似合わないお菓子の山が出来ている。栗のチョコレート、サツマイモのキャラメル、カボチャのクッキー……この甘党男は、随分秋を満喫しているらしい。コスメのWEBマーケティング部だというのにお菓子部みたいだ。自分で買って来た物半分、貢ぎ物が半分といったところか。部長のこういうギャップが一部の女性社員の心を掴んでいるらしい。(まあ、言いたいことは分かる)


 わたしの顔が物欲しそうに見えたのか、部長は個包装のキャラメルを一つ差し出した。


「糖分でも補給して、精進しなさい」

「あ、有難うございます」

 別にこの顔は、怒っている訳ではないんだよな。

 わたしはすごすごと席に戻りながらキャラメルを頬張る。まったり濃厚なサツマイモの味は、少しくどすぎた。


 何とか修正案を提出し、他のタスクも進め……今日も一日が終わっていく。オフィスを出ると、まだ十八時台だが外はすっかり夜だった。もう秋なんだなあ、と他人事のように思う。そう、他人事である。年中真夏女のわたしには全く実感がない。


 三百六十五日常時、真夏のように暑がるわたし。子供の頃は周りから揶揄からかわれて悩むことも多かったが……今となっては個性だと受け入れている。

 ちなみにこの真夏体質は、生まれつきではなく後天的なものだ。自覚したのは小学三年生の冬。それまで大好きだった炬燵に寄り付かず、タンクトップで雪遊びをするわたしを、家族は心配して病院に連れて行った。結果、所見なし。健康そのものだった。


 医者も親もさじを投げたこの体質の原因について、実はわたしには、一つだけ思い当たることがある。それはやはり三年生の時の……夏休みの宿題だ。読書感想文も算数ドリルも完璧に終わらせていたわたしが、一つだけ提出できなかったものがある。


『絵日記のページが一枚足りないですよ。このページが破れているのは、どうしてですか?』

 夏休みの絵日記のたった一ページ。八月十六日だけが、何故か消えていた。

 その後再提出を求められるも、どうしても一文字も書くことが出来ず、当時の担任には反抗的な子だと目を付けられてしまった。


 あの一ページを書けなかったことで、わたしは八月を終えられないでいるのだろう。……なんて本気で思っている訳もないが、他に見当もつかない。


 これが漫画や小説だったら、過去の夏に何かやり残した事があり囚われている、なんて設定がありがちだろうか。しかしわたしは夏に、何ら悔いは無い。海やプールで肌をこんがり焼いたし、蝉を虫かごいっぱいに詰め込んだ。かき氷でお腹を壊したし、夏祭りにも沢山――


 ふと、わたしはどこか懐かしい音に足を止めた。微かに聞こえてくるそれは祭囃子である。ドンドン、チャラチャラ、ピーヒョロロ。心躍る楽しさとは少し違うノスタルジーな感覚に、わたしは自然と引き寄せられていった。



 通勤路から逸れ、古びたビルの角を曲がり、見知らぬ狭い道を進んでいくと……人気のない道路に面した空地で、小さな祭りが催されている。近くの電柱には『盆踊り大会』のポスター。日付は八月十六日だ。もう十月だが、別の祭りなのだろうか?


 折角だからビー玉入りのラムネでも買って行こうと、わたしは軽い気持ちで立ち入った。


 祭りの会場には、見知らぬ異国のような新鮮さと、田舎の村社会のような閉鎖的な雰囲気があった。動物のお面を被った子供達が、遠巻きにわたしを見ている。その視線は警戒なのか、牽制なのか、好奇なのか。集会所のテントの下では、酔っぱらって真っ赤になった大人達がガハハハと吠えていた。

 別に近隣住人以外立ち入り禁止ということは無いだろう。少し躊躇ったがここで戻るのも逆に恥ずかしく思えて、そのまま歩みを進めた。


 ぐう。屋台から漂う良い匂いに、夕食前の空腹が刺激される。……何か食べようかな? 五百円しか持たせてもらえなかった子供の頃と違い、今は大人なのだから、何だって食べ放題だ。チョコバナナ、かき氷、焼きそば……あ、リンゴ飴。大人になった今なら、一個食べきれるかもしれない。


 リンゴ飴の屋台に近付くと、おかめのお面を被った大将が「らっしゃい!」と威勢良く迎えてくれた。随分お面の人が多いが、この祭りには仮面舞踏会のようなルールでもあるのだろうか?


「一本下さいな」と声を掛けると、何故かおかめも「一本下さいな」と復唱した。


 首を傾げるわたし。


 おかめは屋台の向こうから身を乗り出し……わたしの腕に手を伸ばす。



 が、わたしを掴んだのは別の手だった。



「何してるの。いい年して迷子なんて、笑えないよ」

 あどけない声に振り返ると、そこには戦隊ヒーローのお面を被ったパジャマ姿の少年の姿。小学校高学年くらいだろうか? 少し汗ばんだ小さな手が、わたしの手を握る。


(な、なに……?)

「ほら、行こう」

 少年に手を引かれるまま、わたしは屋台から離れた。振り返ると、そこには穏やかな顔で、悔しそうに震えるおかめ。屋台の内側に隠されていたその腕は真っ赤で、人間の足程も太かった。……あのままだったらわたしは、何を“一本頂戴”されていたのだろう。嫌な想像が膨らんだ。汗が気味悪く背中を伝うが、恐怖に思考が追いつかない。


 この少年は、お面通りヒーローなのだろうか。「ねえ」と声を掛けようとした時、彼の手が突然するりと抜けていく。わたしはあっという間に、人混みの中にその背中を見失ってしまった。


 ワイワイ、ガヤガヤ。小さなお祭りとは思えない人の数。……本当に人、なのだろうか。お面の群れに取り残されて、わたしは迷子の子供のように途方に暮れる。突然右も左も分からなくなる。ぐるぐる眩暈がして、わたしは俯いた。

 知らない誰かの和気あいあい、香ばしいソースの香りが、わたしの孤独を煽る。何だか、以前にもこんなことがあった気がした。


 ――砂利を踏む音。目の前で立ち止まった二つの運動靴に、わたしは顔を上げる。そこには先程の少年が居た。


「はい、これ」

 少年はそう言って、わたしに何かを差し出す。チープなプラスチック製の、ウサギだかネコだかよく分からないキャラクターのお面だ。これを取りに行っていたのだろうか?


「なに、これ」

「お姉さんの分のお面。とりあえず被って」

「なんで?」

「顔を隠している方が、目立たないから」

「別に、目立つ顔じゃないと思うけど」

 と言うわたしの耳に、少年は顔を寄せてこそっと言った。


「ここでは“人間”は目立つんだよ」


 わたしは少年の不思議な発言に、ポカンとする。しかし心のどこかでは“ああやっぱり”と納得してしまっていた。急いで、ウサギネコになる。



 空地の端、人混みから離れた場所で、少年はわたしにこの祭りのことを教えてくれた。嘘のような話だが……ここはあの世とこの世の狭間。人ならざる者達の、常夏トコナツの祭り会場であるらしい。お盆に戻ってきて、あの世に帰りたくない霊達が、永遠の夏を楽しんでいるのだという。


 確かに、そう言われて見るとここに居る誰もが、はっきり人間だとは言い切れなかった。まず、殆どはお面を被っており顔が見えない。顔の見える者は赤ら顔の酔っ払いばかり……と思っていたが、見れば見るほど赤過ぎて、人間の皮膚の色ではない気がした。ガハハと笑う口から覗くのは、鋭い歯。額には短い角が生えている。


「あれはもしかして……鬼?」

「そう。死んでから彷徨さまよう期間が長いと、霊は少しずつ自分を見失って、生者を羨む邪悪な怨霊になるみたい。そして、いずれは鬼になる」

 子供のくせに、随分と難しい事を言うのだなと思った。


「鬼になるとどうなるの?」

「人間を食べるよ」

「ど、どうやって」

「各自の好みで。丸呑みだったり、指一本ずつだったり」

「まさかあ」

 性質たちの悪い冗談だと思い、わたしは下手くそに笑った。その時くじ引き屋で、カランカランとベルが鳴る。「おめでとう! 二等は“柔らかい子供のおへそ”だよ!」……マジか。では先程のおかめも……。


「お面を被っているのは、みんな鬼なの?」

「遊びで被っている鬼も居るし“鬼になりかけ”も居る。なりかけは、鬼に変化中の顔を見られたくないらしいよ」

 

 わたしは、急に不安になった。怯える様子もなく平然と鬼を語る少年。彼は一体何者なのだろう。少年はわたしの心中を察したのか、ごく小さな声で言う。


「あとは僕達みたいに、迷い込んで正体を隠している人間もいるかもね」

「つまり、君も生きている人間ってこと? 何で色々知ってるの?」


「……はあ。ねえ、いつまで忘れたフリしてるの? お姉さんは僕に会いに来たんでしょ?」


「えっ」

 まるでナンパ男の口説き文句の様だが、少年の言葉はどこか真実味を帯びていた。困惑するわたしに、少年は華奢な肩を竦めて、ポケットの中から何かを取り出す。


「これを取り戻しに来たんじゃないの?」


 色付いた紅葉のように、よく熟れた柿のように、真っ赤な色の丸い玉。……わたしは一目でそれが、失ってしまった自分のものだと気付いた。




 *




『お兄ちゃんも迷子なの?』

『ううん。僕は好きでここに居るんだ。ずっと夏がいいから』

『どうして? 秋が嫌いなの?』

『そうだよ。秋は、痛いし苦しいし怖いんだ』

『えー! そんなことないよ。秋って良いことばっかだよ。焼き芋でしょ、栗ご飯でしょ、あとモンブラン!』

『食べ物ばっかりだね。……そんなに言うなら、君の秋を僕に貸してよ』

『えー?』

『その代わり、ちゃんとお母さんの元に連れて行ってあげるから』

『うーん……いいよ。でも、ちゃんと返してね?』



 遠い昔。とある少年と少女の会話。少年は目の前の彼と寸分違わぬ姿をしていたが、少女の姿は見えない。それは少女が“わたし自身”だからだ。


「思い、出した……」

 わたしは子供の頃にも、この祭りに迷い込んでしまったことがある。そして少年に出会い、彼に“秋”を貸した。秋を失ったわたしはそれ以降、年中真夏女になったという訳である。どうして今まで忘れていたのだろう。


「君はあれから、ずっとここに居たの?」

「ここには時間が無いから。ずっととも言えるし、ついさっき来たばかりでもあるよ」

「大人になったわたしのこと、よく分かったね」

「そんなに変わって無いからね」

 それは流石に嘘だと思った。あれからもう二十年近く経っているのだから。


 ……何はともあれ、この機会を逃す訳にはいかない。


「それ、わたしの秋だよね。返してくれる?」

「どうしようかな?」

 少年は玉を再びポケットにしまって、意地悪な口調で言った。彼はやっぱり悪者なのかもしれない。無邪気な小悪魔だ。


「僕に金魚すくいで勝てたらいいよ」

 そう言ってわたしの手を引く少年に、わたしは先が思いやられるような……ちょっぴりワクワクもしていた。以前迷い込んだ時の、楽し気な記憶が蘇ったからだろう。先程までゾッとしていた恐怖が、肝試し感覚のドキドキに変わっていく。


 向かった金魚すくいの屋台は、わたしが苦手な“最中タイプ”だった。どうやらお金は必要ないらしい。一人一つずつカップと最中を手渡され「せーの!」で開始。フォトジェニックに揺れる、赤、黒、赤。どの子にしよう。あの子にしよう。あ、待って――フナリと最中が溶けて崩れ、わたしは秒で敗北した。

 少年は器用に、一匹、二匹と捕まえていく。五匹を超えたあたりから、何故かわたしは少年を応援してしまっていた。


「頑張れ頑張れ! あ! あー……」

 八匹目を捕まえたところで、遂に少年の最中も崩れる。残念そうな声を上げるわたしに、少年は「一匹あげようか?」なんて言うが、別に欲しくはない。少年も飼う気はないのか、全て生けに戻して立ち上がった。人間は勝手だな。


「僕の勝ちだね」

「三回勝負じゃなかったっけ?」

「ふうん。いいよ。じゃあ次は輪投げね」


 ……次も惨敗だった。一つも入らなかった。少年は高得点を出し、景品の光るヨーヨーで遊んでいる。わたしは参加賞の吹き戻しをヒョローッと吹いた。


「さあ、最後は何にする? 射的? 型抜き?」

「もうわたしに勝ち目ないじゃん」

「次で勝てたら、お姉さんの勝ちでいいよ」

「今までの勝負は一体……。じゃあ、えっと……かき氷勝負!」

「え?」

「わたしの舌の色で、何味のかき氷か当てられたら君の勝ちね!」


 そう言って、わたしはかき氷の屋台まで走っていく。少年に隠れて、かけ放題のシロップをたっぷり氷の山に染み込ませると、ガツガツ頬張った。少年は律儀にもこちらを見ないように待ってくれている。


「さ、当ててごらん!」

 と言って、お面を少しだけずらし舌を突き出すわたし。子供に舌を見せつけるなんて、何だか変態みたいである。少年は「どれどれ」と余裕そうに覗き込んできたが……


「え、なにその色、気持ち悪い」

 わたしはその言葉に、企みが成功して喜ぶべきか、ショックを受けるべきか悩んだ。


「分からない?」

「分かんない。黒っぽい……コーラ?」

「ブブー! 正解は、いちごレモンメロンブルーハワイでした!」

 つまり全部である。ごちゃまぜになったシロップは、わたしの舌を何色でもない色に染めていた。少年は「ずるい」と言いながら、全然悔しくなさそうに笑った。



「あーあ、負けちゃったか。はい、返すよ」

 少年がわたしの手の平に赤い玉を乗せる。あまりにあっさりした様子に、わたしは拍子抜けした。


「い、いいの?」

「いいよ。楽しかったから。もう夏に思い残すことは無いくらい」

 どこか覚悟を決めた様な口ぶりに、わたしはドキリとする。


「思い残すことって……君は生きているんでしょ?」

「一応ね。でも、どうなるか分からない」


 それから少年は、弱弱しい声で、ゆっくりと自分の事を教えてくれた。わたしは消えかけの線香花火を見守るように、少年の言葉に耳を澄ます。


 少年は難しい病気を患っており、ずっと入院生活を送っているらしい。秋に手術を控えているが、確実に成功するわけではない。失敗すればそのまま目覚めないかもしれないというのだ。


「そんな……」

 だからこの少年は、夏を終えたくなかったのか。


「ここに迷い込んだ時は、正直助かったって思ったよ。ここに居れば怖い秋が来ないからね。でも君に借りた秋を眺めていたら……何だか秋も良いなって思えて来たんだ。夏にも満足出来たし、僕もここを出るよ」


 わたしは何と言うべきか考えて「そっか」とだけ答えた。少年が自分で導き出した答えなら、それが正解なのだろう。


「手術が成功したら、モンブランを食べたいな」

「じゃあ、わたしがご馳走してあげるよ」


 と、すっかり大団円の雰囲気を醸し出すが……そういえば、どうやってここを抜け出せばいいのだろう? 普通に出口から?


 その時、わたしの背中に何か大きくて固いものがぶつかった。振り返るとそこには、鬼の形相の……鬼そのもの。元から気性が激しいのか、酒に酔っているのか、鬼は興奮した様子で「人間だ! 人間だ!」と叫んだ。わたしはぶつかった衝撃で自分のお面が落ちていることに気付く。


「逃げよう!」

 少年がわたしの手を引いて走り出した。鬼は大きな体でドスドス地面を鳴らし、追いかけて来る。

 少年はやぐらの周りを囲む盆踊りの輪に向かって突進し、踊る人と人の隙間に潜り込んだ。鬼がわたし達を見失ってくれればいいが、そう上手くはいかない。どんどん近付いてくる足音から逃れるように、わたし達はやぐらに登った。太鼓を叩くひょっとこは夢中な様子で、わたし達に気付いていない。


「まだ追いかけて来る! どうしよう!」

「――だ」

「え? なに? 聞こえない!」

 ドンドンと太鼓の爆音が少年の声を掻き消す。ただでさえお面でくぐもっていて聞き取りにくいのだ。すると、少年は戦隊ヒーローの仮面を取り払った。現れたのは、色白な少年の素顔。輪郭は幼いが、涼しげなつり目が大人っぽい。少年はまっすぐわたしを見て言った。


「もう逃げられない! こうなったら早く夏を終わらせるんだ!」

「夏を終わらせる? どうやって!?」

「分からないよ!」


 なんだそれは!

 わたしは焦燥感と苛々を押さえつけるように拳を握り締める。と、手の中に硬い何かがあった。それは先程戻って来たばかりの秋玉だ。

 わたしは何故かそれが万能の魔法の玉のように思えて、縋る思いで願う。夏を終わらせて下さい、夏を終わらせて下さい……その時、忌々しい呪いの言葉が蘇った。


『絵日記のページが一枚足りないですよ』


 赤い玉は、気付けば一枚の紙と鉛筆に変わっている。


 そうか。わたしは八月十六日にやるべきことを残していたから、その日を終えられなかった。絵日記を書けなかったのだ。しかし今なら書ける。わたしは弾かれたように殴り書いた。

 八月十六日、夏祭りで不思議な少年と出会い、わたしは――


 “彼と夏を終える”


 その文字を書き終えた瞬間、目の前が秋色に輝いた。




 *




 気付けばわたしは、何もない路地裏に佇んでいた。祭囃子も鬼も少年も、全てが夜闇と静寂に消えている。夢でも見ていた気分……にはならない。少年の声も手の感触もしっかりと残っていた。

 あの少年は無事に夏を終えられたのだろうか? わたしより随分落ち着いていて賢い少年だ。きっと大丈夫だろう。

 その夜の帰り道は不思議と肌寒く、くしゃみが出た。



 ――その日から、わたしの万年真夏体質は嘘みたいに治った。夏服以外持っていなかった為、秋服の購入に出費が痛かったが、お洒落の楽しみに比べたらどうってことない。


 そしてあっという間に一週間が経ち……わたしは再びあの路地裏を訪れていた。手に約束のモンブランを携えて。

 少年がどこに居るか分からない以上、ここに置いておくしかないが……それではお供え物のようになって、縁起でもない気がした。

 どうしようかと迷うわたしの背に、誰かが声を掛けてくる。


「君」

「はい? ……あ、部長」

 振り返るとそこには、秋の似合う男ナンバーワン上司。テーラードジャケットがやけに決まっていた。気軽に雑談をするような間柄でもなく、気まずさを隠しもしないわたしに、部長が言う。


「やっぱり君だったのか」

「え?」


「……手術は、成功したよ」


 その時わたしは、初めて部長が笑うのを見た。キツイ印象の狐目がきゅっと細められる。そこにはあの少年の面影があった。


 驚くことに、パジャマヒーローのあの少年は、当時小学六年生の部長だったらしい。入院中の部長は夜にこっそり病院を抜け出し、不思議な祭りに迷い込んだ。そして子供と大人のわたしに出会ったという訳だ。部長は最近になって、ようやくその時のことを思い出したらしい。

 わたしはタイムスリップでもしたのだろうか? いや、あの場所に、時間という概念は無いのだったか。


「無事に帰って来れたんですね」

「君が帰ったのを見届けたら、本当に心残りが無くなったみたいでね。気付いたら病院に戻っていた」

「そうですか。あ! ……あの、これ」

「ん。何だ?」

「約束の、モンブランです」

 わたしはケーキ屋のこじゃれた箱を恭しく掲げる。甘党の彼は先程よりもっと、ニコリとした。


 それから近くの公園のベンチに腰掛けて、フォークも無しにモンブランに齧りつくわたし達。部長はペロリと食べ終え満足そうに「ふう」と息を吐くと、少しの沈黙の後で、言い難そうに切り出した。


「君は、その」

「はい?」


 しょ、食事の誘いとかだったらどうしよう。夏が戻って来たみたいに、顔が火照った。しかしそこに続く言葉は、全く予想外のものだった。


「もしかすると、秋の抜け出し方も知っていたりしないか?」

「えっ?」


「実は僕……ハロウィンの祭りで、カボチャ頭に冬を奪われてしまってね」

 万年秋男の部長は、涼しい顔の下で色々悩んでいたらしい。


「マジですか」

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