03. いよいよ出産
ぼくたちの暮らすソル王国王都は、比較的寒暖差のゆるやかな地域なのだが、母さんが産気づいた日は、珍しくひどく寒く、大雪が降っていた。
ソル王国は鉱石と鉱石の加工品が主な産業で、王都には掘り出された鉱石が国内の各地から集まってくる。
そして、王都で職人に加工され、その加工品を商会がまた各国に売りに行くのだ。
そのため、王都は生産エリアと商業エリアが明確に分かれていた。
主道路は馬車が行き交いしやすいように、道幅はかなり広い設計になっていた。
そんな道で、馬車が大雪に難儀しているのを尻目に、治療院に産婆を呼びにいく。
長靴・かっぱ・傘、綿入りの温かい防寒具など、もしものことを考えて準備しておいて本当によかった。ちなみに、これも後日ダミアン商会から発売されることとなる。
唯一、生まれてくる弟妹の名前だけは、最後まで決められなかった。
ぼんやりしている母さんは当てにならなくて、僕は一人でうんうんと悩んでいた。
赤ちゃんにとって名前は最初の贈り物なのだ。
生まれてきてありがとう、という気持ちをこめて、考え抜いた名前をつけてあげたかった。
名前以外はできる限りの準備はしたし、産婆さんはベテランだ。最近雇ったシッターのエミリーさんも、母さんに付き添ってくれている。
けれど、ぼくは前世を含めても出産の立ち会いは初めてで、身体を動かしていないとそわそわして落ちつかなかった。
(出産に立ち会う父親も、こんな気分なのかなぁ)
今世では父親は出産に立ち会わないのが当たり前だったが、「ぼくは父じゃなくて兄です」とか「生活魔法を使えるから手伝いとして重宝しますよ」など、色々理由をつけて立ち会う許可をもぎ取っていた。
というのもこの世界、生活魔法のクリーンがあるにも関わらず、いまいち衛生観念が安心できないのだ。
ポリーヌさんや出産経験のある母親たちの話によると、残念ながら出産後に亡くなってしまう赤ちゃんや、産褥熱で苦しむ母親は毎年一定数いるとのことだった。
ただでさえ出産は母子への負担が大きい。母さんも心配だが、まだ見ぬ弟妹にはなるべく健やかに元気に育って欲しかった。
ぼくは前世の知識と今世のスキルを生かして、できることはなんでもやった。
産室やお産に使う器具類、産室内に立ち入る人などは徹底的にクリーンをかけて回ったし、井戸水は煮沸しても心配だったので、精製水をイメージしたウォーターで用意した。
お湯が欲しいと言われれば、ヒートもかけた。
そうして産気づいてから数時間。ぼくが血の匂いに気分が悪くなり始めていたころ、母さんが一層大きくいきみ、叫んだ瞬間──
「ほぎゃーほぎゃー」
「!!!!生まれたっ!!」
「おめでとう、男の子じゃよ」
小さく、けれどしっかり響いた産声に、感動で胸が詰まった。
産婆さんが処置をして赤ちゃんを綺麗にした後、まずは母さんに抱かせた。ぼくはその次に抱かせてもらった。
顔をくしゃくしゃにして、ほにゃほにゃと泣いている小さな弟。赤というより紫がかった赤ちゃんはとても温かくて、ぼくはこの世の全ての幸せをもらったような気持ちだった。
だから、あんなに悩んでいた名前も、これしかないと思った。
「君の名前は
その日、ぼくはこの小さな弟を、絶対に守ろうと誓ったのだ。
新生児のいる生活は、覚悟していたことだが、やっぱり大変だった。
昼夜を問わず、数時間おきのおむつ替えと授乳。
夜泣きがひどい時や、なかなか眠ってくれない日もあった。
リュカは誰かが抱っこしていないと、いつまでもぐずってしまう赤ちゃんだった。
ぼくはまだ10歳で夜は寝ない訳にはいかなかったので、夜はシッターのエミリーさんが、日中はエミリーさんと交代してぼくがリュカの面倒をみるという役割分担だった。
複数人でお世話をしていると、いつおむつを替えて、いつミルクを飲ませたのかわからなくなってしまうので、木板への記録を導入した。
母さんは産後の回復を優先して、授乳時以外は静養してもらっている。
家事はエミリーさんかぼくのどちらか手が空いている方が育児の合間に行い、食事は近くの食堂や主婦に頼んで有料で数食分まとめて作ってもらったりして、外注できるところはうまく外注した。
そうでもしないと、生活が回らなかった。
この時になって、粉ミルク・哺乳瓶・おむつのスライムシートを開発しておいたことを、ぼくは心の底から自画自賛した。
便利グッズがあっても大変なのに、なかったらどれだけ手間も時間もかかったことかわからない。
開発期間は実質1ヶ月もなかったのだが、哺乳瓶・おむつのスライムシートは比較的簡単に製作できた。
一番、時間がかかったのは粉ミルクの成分調整だ。
ヤギ乳をフリーズドライしただけでは栄養が足りなかったので、鑑定の結果を元に薬師が少しずつ薬草などの配合を調整して、ポリーヌから「納得いくサンプル品ができたよ」と受け取ったのが、出産予定日の1週間前だった。
「鑑定」
名前:粉ミルク
状態:良
説明:食用可。ヤギ乳を主原料に、いくつかの薬草が配合されている。乳幼児の成長に必要な栄養が豊富。薬草の効果でミルクアレルギーは起こらない。直射日光・高温多湿を避ければ約1ヶ月ほど保存可能。
「おおー!思った以上の出来です!!すごい!」
「それならよかったよ。薬師もずいぶん調整に苦労したみたいだからねぇ。きっと喜ぶよ」
「本当にありがとうございます、と伝えてください」
「わかったよ。それより、早くこれを売りに出したいから、契約について話をしようじゃないか」
「もちろんです!」
ダミアン商会とは商会ギルドに仲介に入ってもらい、製造・販売の専売契約を結んだ。
多くの親の助けになるよう、できるだけ安価にすることを条件に、通常3割が相場のロイヤリティーを1割で契約した。
初回は注意書きや保存期間、使用方法を書いた木簡もセットにして、試しに1週間分の量で売り出した。
販売が始まってまだ数日だが、かなりの評判で売れ行きは好調とのことだ。
そうして苦労して開発してもらった粉ミルクはあるものの、リュカの授乳は日中はできる限り母さんにしてもらっている。
母乳の栄養や免疫力アップなどの効果は、やっぱり無視できない。
けれど、なかなか母乳がでないことがあり、母乳の後に粉ミルクを飲ませることも多かった。
クリーンで殺菌した哺乳瓶の半量に対して、粉ミルクはさじ1杯分。
お湯や温度調整はこれまた生活魔法が大活躍で、ぼく1人でも簡単に準備することができた。
リュカは哺乳瓶も粉ミルクも特に嫌がることなく、ごきゅごきゅ飲んでくれる。
飲みすぎを心配するくらいなので、きっと将来は大食いになる予感がしている。
飲み終わって満足そうにけぷっとゲップする姿も、ふんわり漂うミルクの甘い匂いも、赤ちゃんらしくてぼくはかわいくてしょうがなかった。
そうして育児に奮闘しているとあっという間に春になり、気がつくとぼくの11歳の誕生日を過ぎていた。
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