もし燃えるゴミの日に、うっかり間違えて燃えないゴミを出してしまったなら、それは私が悪いと思います。

 じゃあ、燃えるゴミの日に間違いなく燃えるゴミを出したつもりだったのに、いつの間にか中身が燃えないゴミにすり変わっていたとしたら?

 それも、やっぱり気付かなかった私が悪いんですか?


 気持ちの悪い姉を燃やそうって、そう決めたのは中学二年生の冬休み、十四歳の誕生日を迎える一週間前くらいです。

 もう、限界だったんで。


 私には、四つ年の離れた姉がいたんです。いや、結局燃えて死んだのは別人だったから、たぶん今もどっかにいるんだと思いますけど。

 でも私はあれを、もはや姉だとは思えませんでした。

 小さな家の二階、そこの一番奥が姉の部屋でした。

 もう聞いたと思いますけど、姉は二年ちょっとくらい、部屋からまともに出てきていなかったんです。

 食事も三食全部、部屋で食べてました。ついでにおやつも。

 母が作った食事を部屋の前に置いておくと、いつの間にかきれいになった食器がまた部屋の前に置かれていました。

 私の部屋は姉の部屋の隣だったから、見たくなくても目に入ってきてしまったんですけど、私はその「きれいになった食器」が大嫌いだったんです。

 なんでかってそれは、あまりにもきれいすぎるから。

 食べ終わったあと、もしかして皿を隅から隅まで舐めているんじゃないかと思うほどにぴかぴかで、米一粒どころかソース一滴、衣のひとかけらすら残っていなかったんですよ。めちゃくちゃ気持ち悪くないですか?

 ずっと部屋に閉じこもったままで最低限の生命維持活動しかしていないはずなのに、どうしてそんなにお腹がすくのか、どうしてそんなに貪欲なのか、どうしてそんなに食い意地が張っているのかって、謎だしとにかく気持ち悪くて仕方がなかったです。

 部屋から出てこない姉は、もちろんお風呂にも入っていませんでした。

 体や頭が痒くなって我慢できなくなると、母の携帯にメールを送ってくるんです。そうすると母は黙ってお湯を張った洗面器とか清潔なタオルとか、水のいらないドライシャンプーとかを用意して、姉の部屋に突っ込んでました。

 姉の部屋のドアに穴が開いていて――って、もう聞きました?

 で、だいたい次の日の朝になると、冷めたお湯に垢が浮いた洗面器と、ぐしゃぐしゃになったタオルが部屋の前に放り出されていたんですけど。

 もうまじで汚くて最悪でした。垢が浮いた水見たことあります? あれが廊下にあるんですよ? もう本当に無理。

 そんな姉だから、もちろんトイレにも行きませんよ。

 排泄するときは大人用のおむつを使っていて、これも何日かに一度、部屋の前にまとめて投げ出されていました。

 せめてゴミ袋に入れるとかしてくれたらいいのに、そうしないから廊下中にひどい臭いが充満してました。気持ち悪い姉の糞尿の臭いが廊下中に。

 もうまじで最悪。今思い出しても吐きそう。

 母は、姉の奴隷でした。

 姉から、何か要求するようなメールが来れば何でもその通りにしていました。

 ハンバーグが食べたいと言われればハンバーグを作るし、ケーキが食べたと言われればケーキを買いに走るし、部屋の改造をしたいからノコギリを持ってこいと言われれば、溜息を吐いてその通りにしたんです。

 毎日毎日せっせと姉のお気に召す献立で食事を作って、部屋の前に放置された大量のゴミとか汚れた洋服とか、使用済みのおむつとかををせっせと回収して処理して、また新しいものを置いておくって感じです。

 母も最初のうちは、「ごはん置いておくね」とか「ゴミ持って行くね」とか、何かするたびにドアの向こうにいるはずの姉に声を掛けていたんですけど、しばらくすると無言になりました。

 母が何を言っても、どんなに優しく声掛けをしても、返事がただの一つも返って来なかったんだから仕方がないですけど。

 姉の機嫌を損なうとどうなると思います?

 姉は隣の部屋にいる私が、友達と電話をしているだけで壁を殴ってきました。「うるさい、黙れ」って言われて、その言葉に黒ずんだドロドロした怨念がこもっているのが分かるから、私はすぐに電話を切るんです。

 もし母が姉の希望したものと別の料理を作ったりしようもんなら、姉は部屋の中で激しく暴れました。

 人間なのか獣なのかわからないような叫び声を上げながら壁を殴って、何かを蹴り飛ばしたり投げ飛ばしたりする大きな音が何度も聞こえて、それはあの狭い家中に響き渡っていました。

 早朝だろうが真夜中だろうが、少しでも自分の思い通りにいかないことがあればお構いなしに暴れ狂っていたんです。

 それは家の中だけじゃなくて外までしっかり聞こえていたみたいで、まあ当然、苦情が来ました。近所の人や通行人に通報されてしまうことが何度もありました。

 その度に、痩せてやつれて白髪が増えた母は必死に頭を下げてたんですけど、なんかそれが、ポキポキとマッチ棒が折れるみたいに見えたんですよね。

 もう誰も、姉に逆らえなかったって感じです。

 おとなしく言うことを聞いていれば暴れることもないから、母も父も私も、もう姉には何も言わなくなったというか、言えなくなりました。

 もし姉が、自分の部屋に閉じこもってひたすら用意された食事を貪って、トイレにも行かない怠惰を極めた生活をしているだけだったなら、私は姉を心底気持ち悪いとは思っても、燃やそうとまでは考えなかったかもしれないです。

 だけど、私の、私たちの生活を脅かすレベルで暴れるんだったら、話はまた違ってきますよね。

 どこに埋まっているか分からない姉の地雷を踏んでしまわないように、姉以外の家族は怯えて生活するようになってしまったんです。

 テレビの音量、話し声、与える食事、廊下の歩き方、掃除機をかけるタイミング、外出する時間とか――。

 とにかく何をするにも姉に気を遣う生活は、私たちをとんでもなく疲弊させました。

 家族の会話が減って、そのぶん淀んだ目でぼうっとしている時間が増えたころから、私はぼんやりと、姉に消えて欲しいと思うようになっていたんです。

 姉が部屋から出てこなくなって一年くらい経ったころ、父のクレジットカードが一枚盗まれるという事件が起きたんです。

 分かってると思いますけど、犯人は姉です。

 リビングに置いてあった、父の仕事用のバッグに入った財布から盗み出したんですよ――って、これも聞きました? じゃあそう言ってくださいよ、もう。

 それでこのときに、私は姉の姿をほんの一瞬だけ目撃してしまったんです。

 夜中の三時くらいにトイレに行きたくなって廊下に出たら、一階から物音がすることに気が付いて恐る恐る階段を下りました。

 電気はついてなくて真っ暗だったんですけど、リビングで人影が動くのが見えたのでドアの隙間から慎重に中を覗いてみると、姉と思われる醜い生き物が父のバッグを漁っていたんです。

 伸び放題でぼさぼさなうえに、脂ぎってフケまみれのきったない不潔な髪で、ろくに運動もせず好きなものをひたすらに食べ続けて膨れ上がったぶよぶよの体で、顔には脂の詰まった吹き出物が大量に出来上がっていました。


 姉がこんなふうになる前は、私達は普通の姉妹だったと思います。

 どこへ行くにも何をするにも一緒、みたいなベタベタした関係じゃなくて、目的が合えば仲良くするし、意見が合わなければ喧嘩もするし、たまには物の貸し借りもするし、一緒にゲームをしたりリビングでテレビのチャンネル争いをするような、普通の姉妹。

 姉は、すべてのことを百点満点中の八十点くらいでこなすような人間でした。

 テストで学年一位をとることはないけど、いつも十位以内には入っていたし、スポーツで全国大会に行くようなことはなかったけど、県大会ではベスト十六くらいには入る。そんな感じで、何をやらせても、それなりに上手くやってみせる器用さがあったんです。

 それは姉の見た目にも言えたことでした。

 流行りの雑誌の人気モデルになれるほど圧倒的な美貌というわけではないけど、自分の学校にいたら間違いなく「かわいい」と言われるし、それなりにモテちゃうだろうなという感じ。

 「あれ、私のお姉ちゃんなんだよ」とか、そんなふうにわざわざ自慢するようなことはしなかったですけど、私はそんな姉のことが嫌いじゃなかったし、むしろ少し誇らしく思っていたはずだったんです。――本当ですよ?


 それがどうしてああなっちゃったんですかね。

 普段はトイレにも行かないくせに、丑三つ時にコソコソと部屋から這い出てきて、電気のついていない暗いリビングで親の財布を漁るような、あんな醜い生き物が私の姉だなんて。

 艶があってサラサラだった髪の毛はどこへ行ってしまったの? つるんと綺麗なゆで卵のようだった肌はどこ? すっきりと締まっていた健康的な体はどうしたの? って、胸ぐら掴んで聞いてやればよかったんですかね。

 気持ち悪すぎて視界に入れるのも嫌だったんで、しませんでしたけど。

 そのあとは足音を立てないように注意しながら自分の部屋に戻って、布団を被って泣きました。私の姉はもう元には戻らないんだと、なんでか分からないけど漠然とした確信があったんです。

 私たち家族はあれと一緒にこれからも生きていかなくちゃならないのか。あんな生き物に生活を振り回されているままでいいのか。あの醜い生き物に、この家の未来を握らせていいのか。

 ――それでいいわけないじゃないですか。

 このときから私の中で沸々と、その思いが少しずつ、だけど確実に湧き上がってくるのを感じていました。


 盗み出した父のクレジットカードを使って、姉は散財するようになりました。

 毎日のように姉がネット通販で購入した荷物が届くんで、母や私はそれをせっせと姉の部屋の前まで運ばないといけませんでした。

 正直、渡さずに捨ててやりたかったんですけど、届いた荷物を勝手に開けるわけにはいかないんです。そんなことをしたらまた姉は間違いなく大暴れをするに決まっているから。

 一体何を買っているのかはっきりとは分からなかったけど、荷物に貼り付けられた伝票を見ると、服とかアクセサリー、化粧品なんかを頻繁に注文しているみたいでした。

 ずっと部屋に引きこもったままで出掛けることなんてないはずなのに、どうしてあんなに大量の服飾品や化粧品を買う必要があったのか、全然意味が分かりません。

 母はクレジットカードの利用明細を見て頭を抱えるようになっちゃって、さらに白髪が増えました。

 姉の買い物は少ない時で月十万くらい、酷いときには月三十万近い請求が来てたみたいで、家計にものすごいダメージを与えるようになってしまったんです。

 このままだとうちが壊れる。お金がなくなって、私も高校に行かずに働かないといけないかもしれない。

 そう考えたら、もう無理だってなったんです。

 気持ちの悪い最悪の生き物になってしまった姉を消し去るにはどうしたらいいかって考えて、もうあの家ごと燃やしちゃおうって決めました。

 燃えて全部灰になれば、また最初からやり直せると思ったから。

 そう決めてしばらくして、ラッキーなことに親が二人とも不在になる日がやってきたんです。親戚の葬式だったと思うんですけど、私は行かないって断って、家に姉と二人きりになりました。

 親が家を出発してからすぐ、姉に言ったんです。「お父さんたちがお姉ちゃんを部屋から引っ張り出すために業者を呼びに行ったよ。ドアを無理やり開けるみたい」って。

 そうすると、すぐに姉から私にメールが届きました。「ベニヤ板と釘と金槌を持って来い。今すぐに」って。

 実は私、何日か前にこっそりとホームセンターに行って準備してたんですよ。親に見つからないように、自分の部屋のクローゼットに隠しておいたんです。

 すごいでしょ? 用意周到でしょ?

 で、言われたものを姉の部屋のドア穴から突っ込むと、姉はすぐにトントンやり始めました。

 何時間もかけて部屋のドアとか窓をかなり厳重に封鎖して、中からも外からも簡単には開けられないようにしてくれました。

 そのせいで逃げられなくなるとも知らずにね。

 その間に私は、逃げる準備をしました。燃えたら困るものとかを怪しまれない程度にまとめて、避難経路を確認して。

 そのうち姉の部屋から音がしなくなったので、ガチガチバリケードが完成したんだと思った私は、リビングで使っていた石油ストーブを自分の部屋に持って上がりました。

 姉の部屋側の壁に付けるような感じで設置してから点火して、いらないタオルや服をストーブの上に置いて引火させたんです。

 え? だって、事故に見せかけたいじゃないですか。私だって馬鹿じゃないので、放火だってばれたらやばいことくらい分かりますよ。

 まあ、だから念のため、十四歳になる前に決行したんですけどね。

 それで、無事に火がタオルに燃え移ったので煽って空気を送ったり、いらないプリントを火に放り込んだりしてなるべく早く燃え広がるようにしてから、私は炎上する家からさっさと逃げました。

 焼け跡から遺体が見つかったって聞いて、嬉しかったんですよ私。

 燃やしてやったぞ! これでやっと姉から解放される!

 そう思ったのに、燃えたのが姉じゃないって本当に意味が分からないんですけど。

 これ、私が悪いんですかね? 私が燃やしたかったのは姉であって、別の誰かじゃないんですけど。

 ――菜月ちゃん? えっと、何年か前まで隣に住んでた菜月ちゃんですか? ええと、年も四つ違うし、私はあんまり関わってなかったからよく知らないです。

 あ、でも、一回だけ姉にくっついて家に遊びに行ったことがあるかも。姉と菜月ちゃんは仲が良かったんで。部屋も向かいで、よく窓を開けておしゃべりしてました。

 遊びに行ったっていっても、特に何かをして遊んだわけじゃないですよ。菜月ちゃんの家には、そのとき小学生だった私が楽しめるようなゲームやおもちゃや漫画なんて一つも置いてなかったし。

 それにお母さんがちょっと変わった人だったから、私はすぐに帰っちゃったんですよね。

 え、どんなって――なんか潔癖? ていうか自然派? なんかこだわりが強くて、正直ちょっとめんどくさそうな感じ。

 テレビのリモコンとかエアコンのリモコンあるじゃないですか? ああいうのが全部、ラップでぐるぐる巻きになってたんですよね。

 あと、おやつを出してもらったんですけど、菜月ちゃんのお母さんが手作りしたクッキーみたいな、よく分かんないやつ。全然味がしなくて、一枚食べてもういいやって。

 そういえば、菜月ちゃんちが引っ越してきたとき、うちに挨拶に来てくれたんですけど、そのときにもらったお菓子もお母さんの手作りでした。

 ね、変わってるでしょ? だってそういうときに渡すお菓子って、普通はデパートとか大きなスーパーとかで買ったやつじゃないですか? 初対面の人間に手作りお菓子って、なんかすごいなって。バレンタインでも、彼女でもない女からもらう手作りチョコなんて気持ち悪いって言われるじゃないですか。

 ああ、菜月ちゃんがいなくなったっていうのは、なんとなく知ってます。菜月ちゃんちはそれからまたすぐに引っ越して行っちゃったので、結局どうなったのか知らないですけど。

 ――あのー、私はこのあとどうなるんですか? あの火事は、事故ってことにはなりません? やっぱり、少年院行きですかね?


 







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