ユウヤミ

 土砂降りの雨の中、スラックスの裾をぐっしょりと濡らして帰宅すると、玄関ドアのポスト口から宅配便の不在票が半分飛び出していた。

 ああしまった、まただ。

 インターネット通販で買い物をするのが好きで、衣類やちょっとした家電、冷凍食品や重いペットボトルの水なんかを頻繁に購入しているのだが、荷物を一発で受け取れないことが多く、しょっちゅう不在票が入れられている。

 平日なら一番遅い時間帯を、休日であれば家に居る確率の高い時間帯を指定するようにしているのだが、どうしても残業が長引いてしまったり急用が入ったりすることもある。エレベーターのついていないアパートの3階まで何度も足を運ばせてしまい、毎回来てくれる宅配員さんには本当に申し訳ない気持ちになる。今日だってこんな大雨の中、重い荷物を担いで大変だっただろう。

 不在でも荷物を受け取ることができるよう、宅配ボックスでも設置しようかと考えていたのだが、3ヶ月ほど前に近隣のアパートで、「置き配」されていた荷物が盗難に遭うという事件がありそれも断念した。幸いにも目撃者がいたことで犯人はすぐに見つかったようだが、ここは古いアパートでセキリュティのセの字もないような構造、防犯カメラも設置されていないしオートロックなんて洒落たものが付いているはずもなく、住人でなくても簡単に敷地内に入って来ることができるのだから、もしかしたら宅配ボックスごと盗まれる可能性だってあるわけだ。

 そもそも部屋の前の廊下は狭い。そこに宅配ボックスなんて置いてしまったら通行の妨げになり、他の住民から苦情が入るかもしれない。

「置き配」を利用して盗まれるのも嫌なので、荷物を守りたければやはり直接受け取るしかないという結論に至った。

 びしょびしょになったスラックスを脱いでバスタオルで包み、靴下を洗濯機へ放り込む。半袖ワイシャツにボクサーパンツという、自分の部屋の中でしか許されない格好で不在票を確認し、土曜の午前中指定で再配達依頼をした。

 缶ビールとつまみくらいしか入っていない冷蔵庫に貼ったカレンダーに、赤字で「午前中、外出するな」と書き込んでおく。

 シャワーを浴びた後、日課である防犯カメラのチェックをしようと玄関に向かった。

 近隣アパートでの「置き配」盗難事件が起きたあと、自衛のために購入した電池式のもので、モニターと一体型のカメラを玄関のドアスコープに取り付けて使っている。

 ドア前の様子しか写すことはできないし音は拾えないが、それでも不審人物が部屋の前をうろついていないかくらいは充分に確認できる。

 モニターの電源を入れ、今日の分を録画を再生する。

 写っているのは廊下を歩く同じ階の住民何人かと、いつも荷物を届けてくれている宅配員の男性だけだった。やはり男性の被っている帽子や肩は雨で濡れており、色が変わってしまっている。こんな悪天候の日に本当に申し訳ないと改めて悔恨の念に苛まれていると、カメラの電池残量が残り少ないことを示すマークが点滅していることに気が付いた。

 電池式は手軽でいいのだが、これがなかなか面倒だ。ドアスコープからモニターと一体になったカメラを取り外し、ベッドの上に移動する。

 電池を新しいものと交換し、そのままダラダラとテレビを見ていたらいつの間にか眠ってしまっていた。

 翌朝、カメラをドアスコープに取り付け直し、仕事へ行こうとドアを開けると、部屋の前の廊下に大きめのダンボール箱がひとつ置かれていた。

 テレビCMでよく見かける大手引越し会社のロゴが入っており、上蓋と底の部分にはガムテープが何重にも貼られている。伝票らしきものがどこにもないので、住民の誰かが置き忘れた荷物だろうか。

 まあそのうち気が付いて取りに来るだろうとあまり気に留めず、そのまま仕事へ向かった。

 たっぷり残業をして23時過ぎに帰宅すると、ダンボール箱はまだ同じ場所に放置されていた。

 さすがにずっとここに置かれたままでは困る。この部屋の荷物だと思われて苦情を入れられるかもしれないし、何より邪魔だ。

 荷物の主を特定できれば話は早いのだが、あいにくこのダンボール箱が置かれたであろう時間は、防犯カメラを取り外したまま寝てしまっていた。

 誰のものなのか皆目見当もつかないが、とりあえずダンボール箱を別の場所に移動させようと持ち上げてみる。

 中でゴロッと重さのある玉のようなものが転がり、バランスを崩して倒れそうになってしまった。ダンボール箱の底をしっかり抱え、重心に気をつけながら廊下を進み、慎重に階段を降りる。

 ゴロゴロと玉が動く感触に加え、なにか細かいものがパラパラと跳ねるような音も聞こえる。一体中身はなんだ? ボウリングの玉でも入っているのか?

 なんとか転ばず階段下まで到着し、ダンボール箱を置いた。アパートの二階以上に上がるにはこの階段を使うしかないし、一階の住民もこの場所は必ず通るはずなので、さすがに自分の荷物が置いてあれば気が付いて回収するだろう。

 部屋に戻って念のため防犯カメラを確認してみたが、やはり荷物の主と思われる人物は写っていなかった。

 その日の深夜、ドアをコンコン、コンコンと何度も叩く音で目が覚めた。時計に目をやると午前三時を回ろうとしている。こんな時間に誰だ?文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、起こされた怒りよりも眠気の方が勝ってしまった。無視して眠ろうとすると、またコンコンとドアが叩かれ、若い女性の声が聞こえてきた。

「すみません、このあたりに何か捨てられていませんでしたか。私の大事なものかもしれないんです。知りませんか……。すみません……」

 こんな夜中に捜し物とは熱心なことだ。ゴミと間違えられて捨てられてしまったのだろうか、そうだとするならその辺りのゴミ捨て場を探すべきだ。

 とにかく早く眠りたかったので、「そういったものは知らないです」と伝えてお引き取り願おうと思ったが、ふと先程移動させたダンボール箱のことを思い出した。

「持ち主の分からないダンボール箱ならありましたよ。そこの階段の下に置いてなかったですか。引越し会社のロゴが入ったやつです。あなたのものなら、持って行ってください」

 ベッドの上から動かずそれだけ言うと、タオルケットを被って目を閉じた。

 眠りに落ちていく途中、ドアの向こうから「ありがとうございます」と聞こえた気がした。

 変な時間に起こされたせいか、頭がすっきりせず目覚めが悪かった。

 ぼうっとしたままベッドから降り、午前三時頃の防犯カメラ映像をモニターで表示する。

 あんな時間に訪問して来る非常識な人間の顔を拝んでやろうと思っていたのに、残念ながらそれは叶わなかった。

 モニターに映し出された女性には、首から上が付いていなかったのだ。Tシャツに短パンという部屋着のような格好をしており、首周りから肩にかけてが赤く染まっている。それによく見ると、手の指は十本すべて第一関節あたりから先がなくなっているようだった。

 なるほど、この女性が捜していたものが分かった。そりゃあ深夜に人を叩き起してでも見つけ出したいと思うだろうと納得し、部屋を出て階段の下を確認すると、ダンボール箱はすでに姿を消していた。

 部屋に戻り、身支度をしながら天気予報でも見ようとテレビをつける。

 次のニュースです。本日午前五時半頃、「赤原川の河川敷で人のようなものが倒れている」と散歩中の七十代男性から通報があり警察が向かったところ、頭部と手の指先が切断された状態の遺体を発見しました。赤原署によりますと、遺体は死後一日から二日程度の若い女性とみられ、白いTシャツに紺色のショートパンツを着用していました。切断された頭部と指先はまだ見つかっていないとのことで、警察は殺人事件とみて捜査を始めています。

 では、今日のお天気です。ハレタロウ~!

 はーいと飛び出てきたお天気予報ゆるキャラを眺めながらぼんやりと考える。

 この遺体の女性が深夜の訪問者だったのだろうか。そうだとすると、彼女はあのダンボール箱を一体どこへ持っていったのだろう。そもそもなぜあのダンボール箱はこの部屋の前に置かれていたのか。

 ハレタロウによると今日も雨が降るらしいので、傘を持って仕事へ向かった。

 職場の休憩室で昼食をとっていると、赤原川の河川敷で見つかった女性の殺害と死体損壊、そして死体遺棄の疑いで二十代の男が逮捕されたとの速報が入った。

 共用テレビに目をやり、容疑者の男を見てさすがに驚いた。スウェット姿で手錠をかけられ、警察官やマスコミに取り囲まれながらパトカーに乗り込むその男は、いつも荷物を届けに来てくれている配達員だったのだ。

 夜のニュース番組も河川敷の切断女性遺体の話でもちきりだったため、事件に関する様々な情報を嫌でも目にすることができた。

 宅配員をしていた容疑者の男と被害女性は交際中で、今月頭から川沿いのマンションで同棲を始めていたらしい。男が引越しの際に使用したダンボール箱を、いつまでも畳まずに部屋の中に放置していることを女性に咎められ、激昴して首を絞めてしまったということだ。

 仕事のことでイライラしており、カッとなってしまったと話しているらしいが、その原因を作ってしまったのはもしかすると自分かもしれなかった。

 あの土砂降りの日、無理をしてでも仕事を切上げ、指定通りの時間に荷物を受け取っていたらよかった。そうすればきっと容疑者となってしまった宅配員も気持ちよくその日の仕事を終えられ、女性のちょっとした文句にイラつくこともなかっただろう。そうなれば被害者となった女性だって無惨な切断遺体になって深夜に歩き回る必要などなく、今頃二人で新しく始まった同棲生活を楽しんでいたに違いないのだ。

 なんとも言えない後味の悪さを感じていると、玄関のドアがコンコンと鳴った。

 モニターをつけると、背広姿で体格のいい男性が二人映っている。

「夜分にすみません。赤原署の者ですが、少しお話よろしいでしょうか」

 チェーンをかけたまま、ドアを開けた。

「刑事さんですか? 一体何のご用でしょうか。」

「河川敷で女性の遺体が見つかった事件はご存知ですか?」

「ええ、もちろん知ってます。今もその事件のニュースを見ていましたから」

「実はですね、被害女性の切断された頭部と指先、見つかってるんですよ。ご丁寧に私どもの署の目の前に置かれていたんです。おかげで被害者の身元もすぐに分かりまして、スピード逮捕に至ったわけなんですが……。ちょっと容疑者の話と食い違う部分がありましてね」

 背広の内ポケットから出した一枚の写真を見せられた。写真には、引越し会社のロゴが入った見覚えのあるダンボール箱が写っている。

「容疑者の男は被害者の身元特定を遅らせるため指紋のある指先と頭部を切断し、このダンボール箱に入れた。そしてそれを、この部屋の前に置いてきたと言ってるんです。なのに実際には、このダンボール箱が見つかったのは赤原署の前。あなた、このダンボール箱を移動させましたか?」

「ええ、邪魔だったので移動させましたよ。赤原署の前ではなくそこの階段の下にですけど。そんなものが入っているとは知らずこのアパートに住む誰かの荷物だと思ったので、目に付く場所に置いておいたんです。その後のことは分かりません。翌朝見た時は、すでにダンボール箱はなくなっていましたから。ところで、容疑者はなぜわざわざこの部屋の前にそんなものを置いていったんですか」

 深夜の首なし訪問者のことは伏せておいた。どうせ信じてもらえないだろうし、おかしなクスリでもやっていると思われたら面倒だ。

「ああ、嫌がらせのつもりだったと言っているみたいですよ。どうやらこの辺りが担当の宅配員だったらしいんですけどね、あなたがしょっちゅう時間指定で配達させるくせにほとんど不在だから、毎度三階まで無駄足を踏まされて鬱憤が溜まっていたと。難儀なことですね」

「……そうですか」

「まあ、ダンボール箱についてもし何か思い出すことがあれば、ここに連絡をください。遅い時間に失礼しました。」

 チェーン越しに名刺を受け取り、「お疲れ様です」とドアを閉めた。

 嫌がらせか。やはり、それなりに恨まれてはいたようだ。じめじめと不快な湿度の高い気持ちになり、ビールでも飲んで寝ようと冷蔵庫に手を伸ばすと、数日前カレンダーに書き込んだ「午前中、外出するな」の赤字が目に入った。

 そういえば、土曜の午前中に再配達依頼をした荷物、一体誰が届けてくれるんだろうか。

 宅配ボックス付きの綺麗なマンションにでも引っ越そうかと考えながら、冷えた缶ビールを煽った。




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