第3話

 134号線は、すぐ側で漆黒の海が広がっていることなど構わずに数多のテールライトがその赤い生命を光らせていた。時刻は午前0時を回ろうとしている。


 ダイナーで食事をとってからというものの、殆ど言葉を交わしていなかった。山本は刻々と別れが迫っているのを実感し、どのような言葉を発するのが適切か分かりかねていた。ただ寂しかった。

 山本は宮原が何を考えているのか分からなかった。自身の言葉数が減った故に黙っているのかもしれない。とすると普段自分が話すから、宮原は応えているだけであって彼にとって自分は取るに足らない存在だったのではないのだろうか。山本は確証のない結論に支配され、胸に鋭い痛みが走った。ガラスに赤く反射する宮原の顔を見て真偽を確かめるしかないと思った。


「あの件、なんで俺に言ってくれなかったんですか。と言うかなんで断らなかったんだよ」

「なんでって…。どうしたんだよ、急に」

 含み笑いは彼の癖だ。しかし問いへの明確な答えだけが必要な今の山本にとって、宮原の言葉や表情の全てが自身への否定や嘲笑と思えた。山本は耐え兼ねた。


「宮原、俺は――」

 やり場のない気持ちは言葉として出てこなかった。気付いた時には右手は宮原の左腿に触れていた。もはや山本は自分が望んでいることが分からなくなっていた。いや、本当は分かっていたのかもしれない。宮原は山本が心の底から尊敬している先輩、それに嘘はない。ただ今は自身の感情を型に嵌め込むことなど到底出来そうになかった。心臓がはち切れそうだった。同世代の男性の身体をいま、生まれて初めて撫で回している。「頼むよ」加速する鼓動と熱に浮かされたような感覚で現実を直視できず、衝動に身を任せるようにそのまま宮原のベルトに手を掛けた。

「山本!」

 宮原の厳しい声が山本を現実へ引き戻した。「やめろ。危ない」表情一つ変えることなきハンドルを握る宮原を見て山本は羞恥と遣る瀬なさに苛まれ、宮原の太腿から手を離した。そのまま今朝寄ったコンビニエンスストアで買った缶コーヒーの残りを一気に飲み干した。冷え切ったコーヒーの不味さに山本は泣きたくなった。

「今のは、どうかしてた。ごめん」

 消え入るような声で山本は謝罪した。宮原は山本に気持ちを伝える権利を断固として与えない。とは言え自分が自分らしからぬ行動を取ったことを山本は反省した。自分はあのまま何をするつもりだったのだろうか。空き缶を握り締める拳に力が入る。自分の顔に一度とさえ視線を送らない宮原に気持ちをぶつけたかった。運転しているのだから当然ではあるのだが、微かに子供じみた期待をしている自分が居ることは認めざるを得なかった。





 どれくらい時間が経っただろう。車はトンネルへと突入した。オレンジ色の電燈がハンドルを握る宮原の骨張った指を照らし出す。

 この指が好きだった。マグカップを持つ指、チョークを持つ手、煙草を持つ時のちょっと格好つけたがっているような指。

もっと間近で見ていたかった。ライターを差し出すのはずっと自分でありたかった。格好つけた姿をいつまでも自分にだけ見せて欲しかった…。山本の手から解放されたコーヒーの空き缶がパチン、と音を立てて元に戻った。

「マサ、ありがとうな」

 山本は不意を付かれ、宮原を見た。

「このまま二人で、どっか遠くに行けたらいいのにな」

 いつもの屈託のない、冗談を言う時の宮原の声の調子。しかしそれは彼なりの優しさであると山本はわかっていた。彼の横顔と少し上がった口角にその言葉が紛れもない真実であることを確信した。そしてそれは山本にとってどうしようもなく嬉しかった。

「なーに言ってんだか…」

 照れ隠しに電源を入れたFMラジオから杏里の『SUMMER CANDLES』が流れ始め、二人の間を流れる静寂に色を添えた。

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サマーキャンドル 香蕉 @dagabee

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