第2話

『到着。』


 午前十時を過ぎた頃、宮原からショートメッセージが入った。既に準備は出来ていたのだが、いざ出発するとなると途端に悩み始めるのは何故なのだろう。長袖のポロシャツだけでは肌寒いだろうか。夜に海風にあたることを想定しコットンのジャケットを急いで羽織って、軽く前髪を整えると玄関ドアを開けた。

 自宅前には青のBMWが停車しており、運転席に座る宮原が山本に向かって軽く手を上げた。



 茅ヶ崎へ向かう道中では、新任教諭の課題や問題のある生徒の対応方針、今後の義務教育のあるべき姿などについて語り合った。神奈川に突入してからはただ海を眺めたり、着任予定の中学校を案内してもらったり、コンビニの喫煙所で宮原が電子たばこに変えたことに気付いたりした。宮原との話はいつまでも尽きることが無く、彼の話にいつも感化される自分とそれを当然の如く受け容れる自分を山本はひしひしと痛感していた。



 外も薄暗くなり、二人は海沿いのダイナーで夕食をとることにした。店内は若い海水浴客で溢れているかと思いきや地元住民と思しき客が数組ちらほらとテーブル席に腰掛けているだけだった。

宮原はウェイターを呼ぶとミルクシェイクとハンバーガーセットを注文した。メニューから目を離さない宮原に「どうする?」と聞かれ、山本は「同じもので」と答えた。


 宮原は到着したハンバーガーにかじりつきながら少し笑って言った。

「なあ、お前が初めてK中学に来た日。自分がどんな感じだったか覚えてるか?」

「緊張してたよ。当時は真面目だったし」

山本の答えを聞いた宮原は、ははっと笑った。

「本当か?お前まだ若くてさ、雰囲気がすげー尖っててギラギラしてたの。でもさ、俺も若い頃はそうだったからお前の気持ちが分かったわけ」

 思い出した、確かに自分は敢えてそう思われるような振る舞いをしていたかもしれない。教育制度への違和感、若い生徒が犠牲になる事件、教育委員会の粗末な対応への憤り。同志など居るわけがない、俺が教育業界に殴り込んで変えてやる。そんな熱い気持ちと意志が山本の纏う空気を作り出していたのだ。同時に仲間など居るはずがないという諦めの気持ちが孤独を生じさせていたのも事実だ。孤独が癒えたのは宮原と一緒なら変えていけるかもしれないと希望を抱くことができたからだった。あの頃の気持ちが蘇り、宮原が自分の正面に座ってハンバーガーを食べているという事実は奇跡のように思えた。

 ミルクシェイクを最後の一滴まで残すまいとする宮原がその休憩がてら「若かったよな、お互い」と言った。無邪気な宮原を見ると気持ちが絆された。宮原も自分と丸きり同じことを考えているように山本は思った。


 ふと窓に目をやった。外は既に闇が広がっている。今日という一日が終わりを告げようとしていることを否が応でも自覚させようとのしかかる闇夜から逃れる術はないだろうかと山本は考えた。

「宮原先生がいなくなったらどうなるんだろうな。K中は」

 呟くように山本が言った。

「なに、『鬼の山本』がいれば大丈夫だよ」宮原がいつもの笑顔で返す。

俺が大丈夫じゃないんだよ、そう言いかけた山本はその思いを掻き消す代わりに大きな声で笑った。しかし自身の力では対処の仕様がない寂しさが心を蝕み始めていた。

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