サマーキャンドル

香蕉

第1話

 宮原の異動が決まり、職員室中に拍手が響き渡った。校長が労いの言葉を掛けながら宮原の肩を叩き宮原もそれに答えるようにはにかみ、何度も会釈をしていた。そんな彼の姿を山本はただ見ているだけだった。

チッ…

意図せずしての舌打ち、拍手をする気も起こらない。心に絶え間なく沸き起こる苛立ちは、部屋に立ちこめる暖かな空気を自身が迎合することを阻んでいた。

「なーに言ってんだか…」

 宮原は十三年間、この中学校で三年生の国語教師として教鞭をふるった。時折言葉につまりながらも感謝の弁を述べている宮原を見つめながら、とにかく早くタバコが吸いたいと山本は考えていた。

 転勤予定者の紹介がひと段落したのち、山本は隣席のALTに煙草を吸うジェスチャーで合図をすると、引き出しから未開封の煙草を取り出し颯爽と職員室を後にした。

 

 山本は宮原が着任してから三年後に英語教諭として来た。着任当初の山本は片田舎の中学校教諭としては珍しい一八〇センチの長身と端正な鼻と顎に鋭い眼光といった強面は冷静かつ無口な彼自身のキャラクターと相まって、職員たちからは〝鬼の山本〟と呼ばれていた。以前勤務していた中学でも周囲が山本を見る目に大差はなかった。

 自分の居場所は教卓。職務にだけ集中すれば良いのだと言い聞かせていた山本だったが宮原だけは違った。


ん、タバコ。吸わない?


 差し出された一本の煙草。敬語と遠慮を何よりも嫌う屈託のない少年のような宮原の存在は山本にとって教卓以外の居場所となった。教師の先輩としてずっとその背中を追っていきたいと思わせてくれた初めての存在となったのだ。


 共に喫煙所に訪れた外国人教諭は次の授業の準備のため外国煙草の匂いだけを残し先に校舎へ戻っていた。もう一本吸ったら戻ろう、山本は最後の煙草を取り出した。

 ほどよい静寂。遠くで生徒たちの笑い声が聞こえる、この程度が今は丁度良かった。しばしの間その音を堪能していると前方で草が踏みつけられる音と共に誰かが近づいてきた。宮原だった。

「お、先客がいたな」

咄嗟のことに山本は顔を背けた。自分の鬱屈した心とは反対に何事もなかったような涼しげな顔で近づいてくる宮原が山本には理解できなかった。しかしそんなことに構わずいつもの定位置に立って煙草を取り出した宮原に対し山本もやはり応えるようにライターを差し出す。その一連の動作はあまりにも自然で身体に染み付いた反射行動のようだった。


「宮原先生、十三年間お疲れ様でした」

「おう、ありがと。お疲れ」

宮原がふーっと息を吐いた。呼吸を合わせるように山本も煙を吐き出す。今日まだ一度も二人は目を合わせていなかった。

「良かったじゃないですか、海が近くて。確か宮原先生はサーフィンが好きだったよな」

「まあな。でも茅ヶ崎、つったって山の方だよ。サーフィンやってたのも昔の話。嫁さんも子供も喜んでいて、転校は平気みたいでさ。俺のほうが寂しいんじゃねえのかな。ずっとこっちだったからね」

「家族で引っ越すのか。でも、県外異動なんてあるんだな。とっくの昔に無くなったと思ってた」

「まあ特例なのかな。そうだ、来週の土曜暇だったら茅ヶ崎に行かないか」

 宮原の提案に山本は一瞬驚きながらも、微笑んで答えた。

「いいだろう。偵察にな」

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