第14話 ……てっちん……オレ、変になっちまったかもしれない……

そんな誰にも使わない言い訳を自分の中でつぶやきつつ家に戻ると、小鐘が暇そうにリビングにあるソファーに寝転がりながらスマホをタプタプしていた。


「おけーりー」

「たでーまー。今から彩人来るぞー」

「んー……? ってことは今日マンガの発売日?」

「そうそう、さっきひとっ走り行ってきたとこ」


 そう俺が言うと、目を輝かせた小鐘がバッとソファーから起き上がる。両手を前に出して、小鐘は猫なで声を出しながら俺におねだりを始めた。


「ねぇ~おにぃー……読ませて?」

「俺がまだ読んでないから後で」

「ぶー! 彩人さんの後だと3番目じゃん! 面白さ半減どころか半々減だし!」

「マンガの面白さを消費して読んでるわけじゃねえよ俺たち」


 すぐにふくれっ面になる小鐘を適当にあしらって自分の部屋に戻る。買ってきたばかりのマンガをベッドに置くと、俺は机の上にカバンを放り投げて制服を脱いだ。


 クローゼットに制服をかけて、代わりに部屋着に着替える……と、無性に部屋が汚くないかが気になり始めた。


「い、一応……一応な?」


 頻繁に彩人が来るから掃除はしているものの、やっぱり今の彩人が来るとなると変にそわそわする。

 ま、まあ綺麗にすることは悪いことじゃないから……自分にそう言い聞かせて掃除をしていると、ピンポーンと家のチャイムが鳴った。


 下から小鐘がはーい、と玄関に出る音がする。ついに来てしまったか……俺はあくまで自然体に、ベッドに座っておいていたマンガを読み始める。


「おにぃー、彩人さんきたよー」

「あーい」

「来たぞてっちん~」


 ガチャっと扉を開ける音がして、彩人が俺の部屋に入って来た。マンガから目を離し彩人の方を見ると――


「お、おま……それ……っ」

「は……ははは……か、母ちゃんが『大きいサイズ着て脱げちゃうの困るでしょ~?』って、さ……」


 顔を真っ赤にして女ものの服を着た彩人が立っていた。少し袖が長い白いパーカーを着て、忙しなさそうに淡い茶色――カーキ色だっけか、のチェックのスカートを必死に裾を持って軽く伸ばそうとしている。


 膝がはっきり見えるぐらいの長さのスカートに、彩人は苦戦している様子で立っていた。


「て、てっちん……」

「な……なんだ彩人」

「スカートって、マジ防御力低い」

「そ、そうか……に、似合ってるぞ」


 俺がかろうじてそう言うと、彩人は顔を真っ赤にしてもじもじしながらスカートを押さえた……くっ、すごい色っぽい。

 気まずい時間が流れる――と、彩人が話題を変えようとぽけーっとしている俺の手に持っているマンガに目を付けた。


「そ、それ新刊だよな!? もう読んだのか?」

「あ……あぁ、まだなんだよ。今読み始めたとこ」

「一緒に読もうぜ!」

「お、おい!」


 彩人が近付いてきたと思えば、ボフッと俺の隣に座る。確かにいつもこうしてベッドで横並びにマンガ読んでたけど……っ!

 スラっとスカートから伸びる彩人の脚がなまめかしい、『早く読もうぜ~』と垂れる髪を耳にかける姿も絵になる。


「おい、早くめくれって。焦らしてんのか?」

「そ、そんなんじゃねえよ。1ページ目からな……」

「おう……」


 それから俺たちはマンガを読み始める。最初は隣に座る彩人にドキドキして話が入ってこなかったが、段々とマンガの世界に引き込まれていって気にならなくなっていった。


「…………」

「…………」


 ペラ、ペラ……とマンガをめくる音だけが俺の部屋に鳴る。たまに俺の読むスピードが速くて『あぁ、もうちょい……』と彩人の声がかかるぐらいだ。

 小学校の頃はお小遣いが無くて、こうして彩人と一つのマンガをシェアしていたことを思い出す。


 どっちが先に読むかで喧嘩になって、最終的に落ち着いたのが『二人一緒に読む』このスタイル。周りから見れば読みにくいことこのうえないだろうと呆れられるかもしれないが、俺たちはこれが一番の読み方だった。


 最後の1ページを読み終わり、俺たちは長い息を吐く……最高に面白かった……

 俺たちはすぐに感想を言おうとお互いに顔を見あわせる。気が付かないうちにマンガを読みやすいようにとお互いが近づいていたのか、もう少しでキスしてしまいそうな距離に彩人の顔があった。


「っ……すまん!」

「いやっ……オレも、すまん……」


 バッと顔を離してお互いに反対方向を向く。まつ毛長かった、目がきれいだった……落ち着け俺、相手は彩人――男だ……

 顔が熱くなる感覚を覚えつつ、俺は出来るだけ冷静になろうと一つ長い息を吐く。


「そ、それにしてもすごい展開だったなぁ!」

「そっ、そうだな! ライバルが出てきてバトってて、主人公が覚醒して勝つかと思いきや土壇場でライバルの方も覚醒するとは……あのシーソーゲーム、最高だった」

「あのまま負けたらライバルとして確かに拍子抜けだもんなー。でも覚醒シーンで切るなよぉ~、続きが気になるじゃん!」

「くっ、これがマンガの闇か……今度も買おう」


 読み終わったマンガをベッド横の本棚に収納する。寝ころびながら手を伸ばせばマンガを取れるこの位置が最高なんだよ。


「しっかし、ライバルが覚醒するなんてなぁ~。なぁてっちん」

「いや、確か1巻で覚醒のフラグというか前兆がライバルにあるシーンがあったはず――」

「マジ?」


 そう言って俺を挟んで奥の方にある本棚に手を伸ばす彩人……ちょっ、ダメだって!

 一巻を取ろうと手を伸ばすもんだから、俺の眼前に彩人の大きな胸が。しかも女の子になって腕が短くなったのに気が付いてないのか、首をかしげながら思いっきり腕を伸ばしている。


「うーん……もう、ちょい……!」

「お、俺が取るから!」

「そう言って……この前、読みたかった巻を、中々……っ、渡してくれなかったじゃん」

「渡す渡すから……っ、うお!」


 彩人がさらに手を伸ばそうと俺に体重を乗せた瞬間、ベッドについていた俺の手が滑る!

 どさっと俺の上に彩人が覆いかぶさった……自分の胸板に柔らかい彩人のおっぱいと女の子特有の甘いにおいが俺を刺激してくる!


 うおおおおおお沈まれ俺の煩悩!色即是空、空即是色――され煩悩よなんじ姦淫かんいんすることなかれえええええ!!

 思わず抱きしめてしまいたくなるような女の子の柔らかい感触を全身に浴びつつ、俺は自分の理性を総動員して彩人をどけようとする――と。


「…………」

「彩人?」

「……てっちん……オレ、変になっちまったかもしれない……」


 顔を赤くしながらギューッと自分のパーカーの胸の部分を握る彩人。潤んだ瞳と至近距離の彩人の可愛い顔に思わず俺は……


――ガチャ


「おにぃー、飲み物……って、彩人さんがおにぃ襲ってる!? ごゆっくりー」

「あっ……! 違う、違うよ小鐘ちゃん! 別にてっちんを襲ってるわけでは!」

「良いんですよ彩人さん、おにぃはどうせ彼女できないんですから襲っちゃっても」

「兄を襲っていい許可をお前がするな……まったく」


 ドタドタと小鐘を追っかけて部屋を出ていった彩人を見ながら、俺はホッと一息つく。


 あのまま小鐘が入ってこなかったら――いや、これ以上は考えるのはよそう。

 俺は彩人が読みたがっていた1巻を本棚から出して、スマホで『性欲 抑える 方法』で検索するのだった……

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