第2話 俺と彩人の距離感は、ずっと昔からこう

 泣いている彩人――らしき女の子を落ち着かせるために、公園のベンチに座らせる。


「……ぐすっ、てっちん……」

「彩人……だよな……?」


 ダボダボのジャージの袖で必死に目元を拭っている隣の女の子彩人を心配しつつ、俺は改めて奴の姿を見る。


 あんなに目を引く彩人の白い髪は色合いそのままに肩まで伸びており、逆に俺を抜かして自慢していた奴の身長は、つむじを見下ろせるぐらいに低くなってしまっていた。


 凛々しかった顔立ちは女性特有の柔和な雰囲気に変わっているのに、顔の面影おもかげは彩人のまま――常識的に考えて彩人であるはずがないのに、俺は不思議とこの女の子を『彩人』であると確信している。


「……とりあえず、なんか飲むか?」

「……コーヒー」

「ん、おっけ」


 公園に備え付けられている自販機で、いつもの微糖を買って彩人に渡す。春先の夜はまだ寒いから、体が冷えないように『あったか~い』だ。


「ほら」

「ありがとてっちん……あちっ」

「気ぃ付けろよ」


 鼻を鳴らしながらジャージの袖越しに缶コーヒーを転がして冷ます彼女を見つつ、一緒に買ったサイダーをベンチに置いて俺は隣に座った。

 プシュッとキャップを開けて中身をぐいっと流し込む。冷たい炭酸が身体に染み渡る感覚と共に、動揺していた心が少しだけ落ち着いた。


 気まずい沈黙が俺たちの間に流れる……俺は缶コーヒーを手元で転がしている彩人をチラッと横目で盗み見た。

 ――胸でっか。男もののジャージを着ているから全体的にダボダボだというのに、しっかりとその存在感をジャージ越しに主張している。


(って、何考えてんだよ俺は!? 相手は彩人だぞ?)


 よこしまな考えが一瞬でも脳裏をよぎったことに、深い罪悪感を俺は覚える。悲しい男のさがなのか、吸い寄せられるようにその大きい胸元に視線が行ってしまった自分を殴ってやりたい気分だ。


 邪念を押し流すように、サイダーをもう一口飲む。そんなことをしていると、横からカコッとプルタブが立つ音が聞こえた。


「んっ、んっ……うぇ、苦っげ……」

「おいおい、大丈夫か?」

「買ってもらったのにすまん……なんか前より苦くねこれ?」

「マジ?」


 飲んでみろよ、と渡された飲みかけの缶コーヒー。関節キス――って、彩人が男だった時は気にしても無かっただろ俺……


 俺は代わりにサイダーを彩人に渡して、一気にあおる。苦ぇ……けどいつものコーヒーだ、別に特別苦いといった変化はない。


「んっ、んっ……ぷはぁ、サイダーうめー」

「おい俺のサイダー、ほとんど飲んでんじゃねえか」

「すまん、口の苦いの取れるまで飲んじまった!」

「いやまぁ良いけどさ……つーかこれ、別に普通だぞ?」


 中身が少し残った缶コーヒーを軽くちゃぽちゃぽ振ると、『マジか』と目を見開いて驚く彩人。


 残りを返そうとすると、全部飲んでくれと言われたので最後まで飲み切る……口の中がコーヒーの苦みでいっぱいだ。口直しを求めて彩人に渡したサイダーの方を見ると、ちょうど最後の一口が奴の口の中に消えていくのが見えた。


「…………」

「そっ、そんな恨めしそうな目で見るなよ。ほら、ゴミ捨ててきてやるから」

「……しゃーねぇ、許してやろう」

「きゃーてっちん優しいー」


 棒読みな彩人からの適当な賛辞を受けつつ、空き缶を彼女に渡す。ゴミ箱に捨ててきてもらっている間、俺はギクシャクしながらも彩人といつも通りの会話が出来ていることにほっと安堵していた。


 姿が変わっても彩人は彩人だった、それなのに俺はひとつひとつの挙動にドキドキして――しっかりしろ天童哲俊!


 頬を自分でぱしんと軽く叩いていると、そそくさと彩人がベンチに戻ってくる。すとんとベンチに座ると、極力俺と目を合わせないようにか顔を伏せてじっと地面を見始めた。


 よく見れば肩が少し震えている……垂れた長い白髪の奥に見える彩人は、何かを言いたげに口を開いては思いとどまったかのように閉口するを繰り返していた。


「いつから、その姿になったんだ?」

「っ……十日ほど、前だ」


 言いにくいならと、俺から話を切り出す。そうか、十日か……って。


「俺と卒業式で別れてすぐじゃねえか」

「あぁ……起きたら世界がはっきり見えるようになってさ――」


 そこから彩人は、俺と別れた後のことをぽつぽつと話してくれた。

 彩人は、アルビノの体質のせいなのか視力が弱い。眼鏡をかけても矯正できるようなものでもないらしく、視界が常にぼやけているのか『てっちんの顔が未だに分かんねぇ』と言いながらよく彩人が笑っていたのを覚えている。


 それが突然、はっきり見えるようになったのだ。最初は『すげぇよく見える!』と喜んでいた……のだが、次第に違和感に気が付いたらしい。


 腕が細くなっていて声がいつもより高い――極めつけは眼下に自分の大きなおっぱいが。慌てて自分の姿を部屋にある鏡で確認すると、そこに映っていたのは男ものの寝間着を着ていた女の子だったのだという。


「思わずギャーって叫んじまってよ、父ちゃんと母ちゃん飛び起こしちまった」

「そら……叫ぶのも無理ないわな」

「だろ? で、『とりあえず病院行こう』ってなって病院で検査したんだけど――」


 医者からは、『何の病気にもかかっていない、いたって健康的な女性である』と太鼓判を押されただけだった……と肩を落としながら彩人は俺にそう言うのだった。


「ははっ……笑っちまうだろ? 今まで男だったオレが、『健康的な女性』だぜ?」

「病気でも無ぇのかよ……ダメだ、摩訶不思議すぎて頭がパンクしそうだ」

「そう、そうなんだよてっちん!」


 パッと顔を上げたかと思うと、彩人は俺の袖を引っ張る。おわっ、急に引っ張るな!?


「母ちゃんは『息子が娘になっちゃったわぁ~!』って受け入れる気まんまんだし、父ちゃんも『折角採寸した高校の制服がダボダボになっちまったな!』って笑ってるし……深刻に考えてる俺の方が、おかしいのかなって……」

「彩人……」


 ずるずると腕の力が抜けるように、彩人の俺の袖を掴む手が力なく下りる。


「母ちゃんが必要だからって買ってきた女ものの衣服がオレの部屋に増えていくのを見てると、不安になってさ……こう、自分の居場所が別の誰かに奪われていくみたいな? そんな感じがして、どうしようもなく怖くなった」

「そう、なのか……」

「てっちんにも連絡するか、すっげー迷った。今のオレを見て『彩人』って分かってくれるか不安で不安で、もしてっちんに信じてくれなかったら、オレの居場所は……って。だから、さ……女になったオレを一目見て『彩人』って言ってくれて――すげー嬉しかったよ、てっちん」


 やっぱてっちんはてっちんだ、と弱々しく笑う俺の親友。そんな儚げな彩人を見て――俺は思わず彩人の正面に立ってガシッと彩人の両肩を掴んだ。


 ビクッと肩を跳ね上げさせて、彩人は俺を怯えるように見上げる。この十日間、ずっと不安だったのだろう……いきなり別人のような姿になって、それを両親が受け入れて生活空間が変わっていくことに。


 彩人の両親だって驚いたに違いない。それでも彩人が不安にならないようにと明るく振舞って前向きに受け入れたのが逆に、彩人を責めてしまっていたのだと俺は思う。


 自分じゃない姿が、自分の近しい人に受け入れられていく。そのことに疎外感を彩人が感じていたのだとしたら……

 そうなのだとしたら。俺が今、彩人にかけるべき言葉は――


「『何があっても』俺たちは友達……だろ?」

「うぅ……うううううぅ、てっちん~!」

「お前は伊達彩人、小学校からずっと俺と一緒で、遊んだり馬鹿やったりしてた俺の――『大切な友達』だ」

「てっちん……てっちん~!」


 おーよしよし、抱き着いてきた彩人の頭を乱暴に撫でる。髪がぐしゃぐしゃになろうが関係ない、俺と彩人の距離感は――ずっと昔からこうだったんだから。

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