第21話 風の刃

 風とは何者にも掴めず、何よりも自由に空を駆けるもの。運命も、闘争も、生命も、黄金も、全てが届かない。

 風の権能に任せて回避に専念している俺の身体を、ガンディアは捉えきれずにいる。拳から発せられる音と風圧は凄まじいものだが、そもそも当たらなければ意味がない。しかし、ガンディアはその状況を楽しんでいるのか凶暴な笑みを浮かべたまま拳を繰り出し続ける。


「ふはははははっ! 我が拳を受けて倒れなかったものは見たことがないが、ここまで当たらない者もまた見たことがないぞ!」

「そうですかっと」


 余裕綽々に回避し続けているが、はっきり言ってあんまり余裕はない。

 俺は今、風の権能を使ってガンディアが動くことで生じる大気の流れを読み取って自動的に回避している。まさに、風の流れに身を任せているだけなのだが……これでは反撃に転じることができない。反撃ができなければ当然ながらガンディアはいつまで経っても倒せないし、俺は権能を使いすぎれば段々と疲弊してくる。逆に、ガンディアは権能も使わずに拳だけで戦っているせいなのか……どんどんと拳は速く鋭くなっていく。

 エレナさんと瑞樹さんは俺とガンディアの戦いに割り込むこともできず、見ていることしかできない。

 このまま膠着状態になれば俺が圧倒的に不利だ。だから、自分から動く!


「ぬぅっ!?」

「ガンディア様っ!?」


 手と手を合わせてから開き、その中にガンディアの拳を誘い込む。何の警戒も無しに踏み込んできたガンディアの拳は、その空間を通り過ぎた瞬間に何本もの線が入って血が噴き出した。

 薄く伸ばした風の流れを刃のようにして飛ばすのではなく、その場に置くことでガンディアに自分の拳の速度分だけの傷を与えたのだ。包丁が置いてある場所に向かって勢いよく拳を突き出せば斬れるのは道理ってやつだ。

 自分の腕に傷ができたことに、ガンディアは目を見開いていた。俺が再び手を振ると、今度は大袈裟に飛び退いて距離を取った。自らの血に濡れた手を見つめるガンディアは、なんとなく冷静そうだ。


「……我が肌に傷をつけた人間は、アインだけだったのだがな」

「ガンディア様、私が」

「よい、アイン……お前では相手にならん」


 アインとやらが剣を抜きながら前に出ようとしたが、ガンディアはそれを止めた。戦争が好きで多対多を好むって話だったが、俺の力を見て人間をぶつける意味がないと思ったんだろう。

 ガンディアはゆっくりとした動きで玉座の背後に手を突っ込み、何かを掴んだ。


「目覚めよ、我が獅子よ……久方ぶりに、お前の出番だ!」


 言葉と同時に引き抜かれたのは、ガンディアの背丈と同じぐらいありそうな巨大な戦斧。黒一色の戦斧は、見ただけで畏怖の感情を相手に抱かせる。まるで処刑人が持つ斧のように、ガンディアはゆっくりと見せびらかす。


「我に斧を持たせたのだ……簡単に死んでくれるなよ!」


 斧を持ってもガンディアの速度は変わらない。気が付けば目の前にいて、斧を振り被っている。


「ぬんっ!」


 振り下ろされた黒の戦斧をギリギリで回避した俺は、ガンディアと同じように手の中に武器を持つように握りこむ。想像するのは刀……絶対に折れず、斬りたいものだけを斬る俺だけの武器。

 続けざまに横なぎに振るわれた斧と、俺の手の中に握られている真空の刃が激突する。風の後押しもあり、体格の違いすぎるガンディアの戦斧を受け止めることができた。


「馬鹿な……ガンディア様の斧を、止めた?」

「ふ……ははははははっ! いいではないかっ! 我の敵として、不足はなし!」

「いつまでも笑ってられると思うなよ!」


 剣術は素人だ……だから、俺は自分の意志で剣を振らない。重さの存在しない風の刃を握りしめ、ただ風に身を委ねる。

 ガンディアの苛烈なまでの斧の連撃を、回避と迎撃を繰り返して凌いでいく。今の俺に無駄に考える広げる余裕がない……できるのは、風に身を任せることだけ。


「ガンディア様!」

「させるか!」


 視界の端で、アインとエレナさんが剣をぶつけあっているのも見えるが、上手く思考が働かない。目の前で笑っている戦神は、ただ己が愉悦が為だけに斧を振るっている。俺は、ただ大切だと思った人を守る為だけに風に身を任せている。

 自分の意志で戦う必要なんてない。ただ心地良い風に流されるまま……本当にこれでいいのか?


「ん?」


 いい訳がない。風に身を任せて全てを委ねるのは確かに楽だろうが……それは逃げだ。俺は創世神に託されたからでも、神々が憎いからでも、人々に請われたからでもなく……俺は俺の意志で神々を倒し、世界を救いたいと思った。

 剣術は確かに素人だ。無理に俺が自分の意志で身体を動かせば、多分速攻でガンディアに殺される。だが、思考まで揺蕩う風に預けるな……牙を隠し、鋭く尖らせ……一瞬の隙に喉元を噛み千切れ。神に勝つには、それしかない。


「ぬぅん!」

「っ!」


 意識をはっきりとさせれば、風に揺られて勝手に動く肉体と戦神の激突によって、身体が揺さぶられる。衝撃と圧力ですぐにでも吐きたくなるようなプレッシャーがのしかかってくるが……こんな所で折れていられない。

 ガンディアは、俺のことを完全に舐めている。

 権能を持った人間で、自分に傷を負わせ、斧を抜かせ、自分と打ち合うことができる。それでもなお、俺のことを所詮は人間でしかないと思い込んでいる。そこだ……俺が付け入るべき隙は、そこにある。どれだけ意識しても身体に、思考に、心に根付いた考え方が消えることはない。ガンディアはどれだけ俺のことを認めていると口で言い、脳で思考しても必ず下に見る。それは、ガンディアが人類を統治する神として生み出されたからだ。

 風の刃と黒の戦斧が再び交わる。衝撃だけで近くにいたエレナさんとアインが吹き飛ばされる。瑞樹さんはエレナさんの手を取って風によって防御しようとしているが、それもままならない様子。無理もない……俺とガンディアがやっていることは、本物の権能をぶつけ合う、世界を崩壊させかねない戦いだ。


「認めようっ! 貴様は権能を自在に操り、確かに神の領域に到達している! この戦争の神ガンディアが、貴様を認めてやる!」


 ここだ。


「な、に」


 俺のことを認めると口にした瞬間、ガンディアは慢心した。だから……ことを受け入れられない。

 呆然とするガンディアの喉を、風の刃が貫通した。

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