第32話 良いこと悪いこと、半分半分

 最初に出会った時、お礼にハンバーガーを奢ると言われて虚をつかれたことを思い出した。


 彼女特有の少しズレた感性。


 今はもう慣れてきたけど、あの時は不思議な子という印象で、一つ一つの発見に驚かされたり、言葉を失ったことも少なくなかった。


 だが、出会った時は不要な物でいっぱいだったカバンの中身も、その日のうちに片付ける習慣をつけたおかげで、随分と改善されたようだ。


 まず、帰ってきた時にスマホとキーケース、財布が入っているポーチを取り出して、ハンカチは洗濯機、ティッシュを玄関の棚に出す。そして不要なレシートやチラシ関係はすぐにゴミ箱に捨てるようにして、部屋の中に持ち込まないように心掛けてもらった。


 財布の中も不要なポイントカードを捨てて、スマホのキャッシュレスにまとめるようしてから、探す手間が省けたと喜んでいた。


 ——とはいえ、油断するとすぐに新しいカードやレシートが増えていたりするので、定期的なチェックは必要なのだけれども。


「壱嵩さん、行こう? 結構ボリュームがあるお店だけど大丈夫?」

「うん、むしろ沢山食べたい気分だから、丁度よかったよ」


 暗い顔をしがちだった彼女に笑顔が増えたことが嬉しかった。

 最近、爪を噛む回数も減ったようで、親指のネイルが綺麗なまま残っていることが多くなってきた。


 明日花さんにとって、自分の存在がプラスになってくれればそれが嬉しい。それだけで自分が生まれてきたことに意味が見い出せる。


「今から行くお店はカジュアルな感じがいいから、壱嵩さんもラフな格好にしてね?」


 彼女も今日はロゴTシャツに大柄の花のロングスカート。あまり見ないコーディネートに新鮮な気持ちになる。斜めに掛けたカバンの紐が胸を強調しているせいで視線が迷いがちになる。それに珍しく高めに結ったポニーテールがゆらゆら揺れて可愛いらしい。


 後毛や耳元から垂れたサイドの髪の具合など、フェチズムが刺激されるポイントが多すぎて困る。


「明日花さん。その髪型、似合うね」

「ありがとう、へへ……たまにはいいかなと思って」


 嬉しそうにはにかむ彼女を見て、自分まで嬉しくなってくる。

 こんな日々が続いてほしい……そう願わずにいられなかった。


 ———……★


 明日花さんがオススメしていたバーガー専門店は、レンガ調の壁と木製ヴィンテージテーブルがお洒落な店だった。


 黒板に描かれたカラフルなチョークアートと共に記されたオススメのメニュー。

 裸電球がズラッと並んだ天井とカウンター奥に並んだ大量のビールジョッキ。


 そして店内の奥にある大画面のスポーツ中継が流れているテレビ。



 ———正直に言うと、嫌な予感がした。


 明日花さんらしいと言えば、らしいのだが……彼女が好む店にしては少々騒がしい店だったのだ。


 その日は金曜日ということもあり、お客も多めで雑音が煩わしい。繋いでいた手に自然と力が籠る。彼女の顔色も心なしか悪いように見える。


「回りがうるさく感じるなら、テイクアウトにしようか? 俺は明日花さんのオススメのバーガーが食べれるだけでいいんだけど」


 俺の言葉にハッとした明日花さんは、首を横に振って無理やり笑顔を作って誤魔化した。


「大丈夫、せっかくだから一緒に食べよう?」


 そんな表情を見せられる度に、俺は胸が締め付けられるような痛みを覚えるのだが、彼女は全く気付いていないようだった。


 どんなオシャレなお店でも、明日花さんが楽しくなければ俺も楽しくないのに……。


 だが、彼女なりに気遣っていると思うと無碍にも出来ず、結局無理をさせてしまうのだが。


 せめてあのサッカー観戦の団体から離れた席に座りたいものだ。


 そう思いながらカウンターで注文をしていたのだが、途中で明日花さんの様子がおかしくなった。言葉が詰まって、終いには黙り込んでしまったのだ。


 嫌な予感はしていたのだ。

 ただ、当たっては欲しくなかったけれど。


「……明日花?」


 聞き覚えのある声が彼女を呼んだ。

 俺は心の中で「チッ……!」と舌打ちをして、彼女の手を強めに握った。


 頼む、このまま気付かない振りをしてくれ。


 だが明日花さんは、相手の言葉に釣られるように名前を発してしまった。


「康介……」


 かつて、一方的に別れを告げた明日花さんの想い人が立っていた。


 人生とは上手く出来ているものだ。

 良いことが起きた後には悪いことが起きるように上手く出来ている。


 本当に、神様のイタズラを恨みたくなる最低最悪なイベントだ。


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