〈1〉
ビレトが「準備できました!」とテントウムシに呼びかけると、テントウムシは羽根を広げて飛び始めた。追いかけながら学生寮を出たところで、そのテントウムシはビレトの頭頂部に降り立つ。移動魔法が屋内で使用できないのは魔道具も同じである。
「アサヒ」
ビレトはアサヒに左手を差し出し、その左手をアサヒが掴んだ。移動魔法が発動し、アサヒは一瞬のまばゆい光に「うわっ!」と右腕で両目をかばう。次の瞬間には立派な瓦屋根の門の前に立っていた。
「これがクライデ大陸の移動魔法、だよ」
「マジでワープしてる。やば。これを一年生で習うっすか?」
「そう!」
ビレトは即答してから「まあ……ボクは使えないけど……」とネガティブモードに切り替わった。ドラゴンの右腕と尻尾を持っていても、そう簡単に人間性は変えられない。
「ビレトには浮遊魔法があるっすよ。伝達魔法やら移動魔法やらが使えなくても、ビレトは十分戦えるっす」
サイクロプスとの戦いも、アッキとの戦いも、ビレトでなければ勝てなかった。アサヒの励ましを受けて、ビレトは顔を上げる。
「アサヒ……!」
「師匠から呼び出されたとはいえ、この五年間の修行は無駄ではなかったことを師匠に伝えるいいチャンスっす。成長したところを見せれば、ビレトがミカドになるのを応援してくれるっすよ」
「うん!」
ビレトの頭からテントウムシがパタパタと飛び立って、瓦の上を通過していく。扉に左手をついて、ふと、ビレトが「こういうときって『ただいま』?」と疑問を口にした。
「破門されているのなら、本来は帰ってくるものではないっすよね」
「なら『お邪魔します』?」
「ここは威勢よく『頼もう』でいいと思うっす。道場に入るときの決めゼリフといえば『頼もう』っすよ」
「……それも違うんじゃないかな?」
ビレトは道場破りを目的として来たのではない。師匠に呼び戻された形になる。五年間の付き合いがあり、師匠のカブラギはビレトが移動魔法を使えないことを知っているからこそ、テントウムシ型の魔道具をビレトのもとに送ったのである。
「っていうか、なんで師匠は自分たちがプラトンにいるのを知っていたのか、疑問っす。居場所を特定する魔法っすかね?」
「たぶん?」
なかなか門を開けてこないからか、テントウムシが飛んで戻ってきた。せかされている。
「せーの、で『頼もう』で」
「もうそれ、アサヒが言いたいだけでしょ?」
ビレトがその太い眉と眉の間を狭くすると、アサヒは「そうっすよ」と茶目っ気たっぷりに笑った。人生で道場破りのマネができるタイミングはそうそうない。
「あとで師匠に何言われても知らないよっ」
「ビレトみたいな『才能』の塊を追い出すような人っすしね。何言われるかわからないっすねー」
「んもう。アサヒのそういうところー」
『ずいぶんといちゃついておるようじゃな』
脳内に直接、師匠の苦言が流れ込んでくる。テントウムシ型の魔道具にはカメラとマイクのようなものがついていて、こちらのやりとりは師匠に丸見えで丸聞こえのようだ。
「気を取り直して、せーの」
「「頼もう!」」
声を合わせて、二人分の力で門を押す。一人分でも開けられる程度の重さだが、ここは気分の問題だ。
「まったく、うちの
門を開けた先。日本庭園のような風景の中に置かれているベンチの上で、ネコが香箱座りをしている。青色の瞳でスレンダーな体型のシャムネコだ。シャムネコとしては標準サイズだろう。
「ミイラになるところじゃったわ」
「お待たせして申し訳ございません。
ビレトがそのネコに謝って、左ひざをついた。
「え」
「……なんじゃ。おぬしは突っ立ったままなんか」
「ビレト、このネコちゃんが師匠っすか?」
アサヒが『このネコちゃん』と表現すると、ネコは伸びをして座り直す。
「わしがカブラギじゃよ」
ビレトに剣術を教えていた男、カブラギ。思い描いていたご本人のイメージ画像と違うので、アサヒは名乗られても「マジっすか?」とつぶやいてしまった。師匠というからには、まさしく剣術の達人らしい、ヒゲをたくわえたご老人が現れると思いきや、短毛種のネコ。
「わしの来歴から話さねばならぬか。話しておるものとばかり思っとったんじゃがな」
カブラギはビレトを一瞥する。ビレトはビレトで、左ひざの痛みを感じて今度は右ひざを下に変えていた。
魔法は浮遊魔法しか使えず、剣術も身につかなかったビレトを道場から追い出した――とはいえ、カブラギも鬼ではない。葦の草原は獰猛なモンスターがいないとされているが、それでも念には念をと、テントウムシ型の魔道具を放って、ビレトの動向を見守ることにしたのだ。つまり、学術都市プラトンに滞在していたところに送り込まれたのではなく、旅のはじまりから、テントウムシ型の魔道具はビレトを追いかけていた。
カブラギは、古くからの友人関係にあるバルバルスから頼み込まれて息子を預かった以上、一人前に育て上げたかった。あまりにも上達が遅くとも、気長にじっくりと待つ。破門を言い渡したのも、修行の一環として考えていた。戻ってきて、泣いて頭を下げてくれるのであれば、また弟子として迎え入れる心づもりであった。
しかし、アサヒという転生者と出会い、予定が狂ってしまう。ビレトに「お前をミカドにする!」などと言い出した。クライデ大陸におけるミカドが何なのかもわからないような転生者が。無責任にもほどがある。
破門を撤回して連れ戻すべきかで悩み苦しんでいたカブラギだったが、アサヒの言葉に勇気づけられて、ドラゴンの力を解放し、サイクロプスを倒すビレトの姿を魔道具越しに見て、様子見することに決めたのだ。
ビレトは旅の中で急成長を遂げた。
右腕だけではなく、尻尾まで出せるようになったのが何よりの証拠である。
「わしの話は、道中でビレトから聞くといい」
「はあ、そうっすか……道中?」
カブラギはベンチから降りて、ビレトの左ひざに右前足を置いた。肉球は毛で覆われている。
「ビレト、おぬしに渡したいものがあるんじゃよ」
「師匠から!?」
赤い目を輝かせるビレトを見て、カブラギは尻尾をピンと立てる。向かい合う竜人とネコ。
「おぬしがミカドになるのであれば、ミカドを倒すための武器が必要じゃろ。だから、わしから竜絶剣を授けよう」
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