覆水盆に返らず

来るもの拒まず去るものストーキング

 人払いの魔道具の効果が切れて駆けつけた守衛や教員たちに事情を説明し、サイクロプスの毒に関しては学術都市プラトンの警備隊に引き継いだ。警備隊は追跡魔法を使用し、二体のアッキたちから毒を購入し、現在も所持している人間の居場所を突き止める。これ以上の犠牲者を出さないために、アーサーの研究の成果はビレトの学生時代を知る教員らが管理することとなった。そのうち、解毒剤も作られることだろう。


 ドラゴンの右腕に続いてドラゴンの尻尾を生やしたビレトは、ケイからローブをプレゼントされた。ビレトは「なんだかすーすーする」としか思っていなかったのだが、尻尾を生やしたことでそのぶんパンツがズレてしまっていた。王族が尻を見せながら歩くのを、クライデ大陸の住民はヨシとは思わない。右腕が戻せないように、尻尾も思うようには引っ込まなかった。ままならない。


「夢に兄上が出てきたよ」


 学生寮の空き部屋に泊めさせてもらった翌朝。二段ベッドの上から飛び降りて、ビレトは挨拶より先に下段で寝ているアサヒに報告した。昨晩は身を寄せ合って寝ていたが、人間でいう尾てい骨の部分から生えている尻尾はビレトのかかとまでの長さよりも短くできず、幅を取ってしまうため、泣く泣く上下に分かれて眠った形だ。


 アサヒが一度トイレに起きたときに寝言が聞こえて、はしごを登って様子をうかがうと、ビレトは尻尾を抱きかかえるような寝相をしていた。ちょうどネコが丸まって寝ている姿に似ている。アサヒは写真を撮りたかったのだが、アーサーはスマホを所持していないので撮影する機材は持ち合わせていないので、諦めてトイレに向かった。


「ケイとは兄者の話をしていたし、ボクもボクの兄上のことが大好きだし、思い出しちゃったのかも」


 ビレトの兄上とは、十二歳の春に修行に出たっきり帰ってきていない長兄のカミオを指す。アサヒは出会ったことがないのだが、その姿はビレトと同じく、銀髪で赤色の目をしているらしい。容姿は似ていても中身は異なり、この学校で非常に優秀な成績を収めていたのだと聞いている。


「どんな夢だったっすか?」

「兄上とは、ガレノスまで釣りに行っていて……アサヒ、釣りの経験は?」

「ないっす。っていうか、釣り具あるんっすね。魚なんて、魔法で網を投げて捕まえるか、魔法で養殖しているものだと思ってたっす」

「もちろんそういう漁もあるよ。でも、兄上は漁師になるつもりはないし、一人きりになれる趣味として釣りを始めたって言ってたな」

「優雅っすね」

「だけどね、兄上が一人の時は釣れなかったんだって。ボクがついていくようになって、たくさん魚が釣れるようになった、って言われた日の夢を見たよ」


 嬉しそうに兄上の登場する夢を語るビレトを見ていて、アサヒもまた夢の内容を思い出そうとしていた。なんだかさまざまな登場人物が出てくるわちゃわちゃとした夢を見ていた気がするが、起きた瞬間にぱっと消えてしまって、詳細な内容が思い出せない。


「昔から、兄上の出てくる夢を見ると、その後大変なことが起こるんだよね……」


 表情を一変させて、昨日『ヤな予感がする』としきりに言っていたときと同じ顔つきになる。虫の知らせならぬドラゴンの知らせ、もとい、第六感的なものだろうか。


「っていうか、夜中起きてトイレ行ったときに、廊下にテントウムシがいたっす」


 アサヒの知るテントウムシよりも一回り大きかったので、これもまた写真を撮りたくなってスマホを探してしまった。元いた世界で見慣れないものがあるとつい記録に残したくなってしまう。旅先でなんとなくその街の様子を写真に収めるのと似ている。その街に住む人たちにとっては日常であっても、旅人にとっては非日常だ。


「それだよ……!」


 テントウムシと聞いて、ビレトは扉を開け、廊下をキョロキョロとし始めた。アサヒは「あそこっす」とテントウムシの発見現場を指さす。夜中に見たときと同じ場所にいる。


師匠・・!」


 ビレトが『師匠』と呼ぶ相手は、一人しかいない。ビレトがこの学校を卒業してから、五年間、クライデ大陸の西の果てに構えた道場にて剣術の稽古をつけていた『師匠』のカブラギだ。


 カブラギは、今から遡ること五十年前にクライデ大陸に転生してきた。一代前のミカド(ビレトもよく知るフォルカス)がミカドの座に就いていた頃、ミカドの親衛隊の隊長の座にまで登り詰めた。親衛隊は、ミカドの勅令を受けて動くエース部隊であり、王族の血筋から選ばれることが多い。転生者が隊長となるのはクライデ大陸史上初の出来事となった。


 争いがあれば赴いて武力により解決していたのだが、クライデ大陸で流通する貨幣を製造している造幣局の所在地の黄金都市ピタゴラで発生した内乱によって負傷し、引退。テレスを離れることとなった。


 道場を開いたのは、後進を育てるためという表向きの理由と、住み慣れてしまったクライデ大陸を離れて元の世界に戻りたくないといった私情によるものだ。テレスのギルド本部を切り盛りするビレトの父親とは、親衛隊の隊長として活動していた頃からの顔見知りである。


『カブラギより、ビレトへ。渡したいものがある。準備ができたら、捕まえよ』


 この言葉はテントウムシ、ではなく、テントウムシの形をした魔道具による伝達魔法だ。ビレトの脳内に直接、カブラギの肉声として流される。アサヒには聞こえていない。捕まえよ、とあるのは、ビレトがこのテントウムシを手にした瞬間に移動魔法が作動することを指す。


「アサヒ、師匠からボクに渡したいものがあるんだって!」

「……?」

「ああ、アサヒには聞こえてなかったか……ボクに五年間剣術を教えてくれていた師匠に、おぬしは破門じゃ! って言われて歩いてたら、アサヒと出会ったんだけど、その破門じゃ! って言ってきた師匠がなんかくれるみたい。行ってみよう!」

「手のひらくるくるっすね。怪しくないっすか?」


 訝しむアサヒだが、五年間を師弟として過ごしていたビレトが「そうかな?」とつゆほども疑っていないので、口をつぐんだ。会ったことのない人間を疑ってかかるのは悪いくせだ。今の所属であるプロeスポーツチームのMARSに加入する前、期間としては短いがアマチュアチームの一員として活動していた際、面倒ごとに巻き込まれてしまったせいだろう。うまい話には裏がある。


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