第36話 周囲から見た二人の関係性


 ただ走った。

 当てもなく屋敷を飛び出し、ドレスの裾をたくし上げ無我夢中で夜の街を駆け抜ける令嬢の姿は、さぞ滑稽だろう。


 だけどもう、あの場に居たくはなかった。

 ひどく裏切られたような気がして、私はただ涙を我慢して足を動かした。

 寝てばかりで運動は決して得意というわけではなかった私に、まさかこんな力が秘められていたとは……。


「はぁっ……はぁっ……」

 町の中心にある噴水広場まで来たところで、噴水の淵に座って息を整える。

 夜風が頬を伝う涙をさらりと撫で、見上げればたくさんの星がきらめいていた。


「シリウスが生まれた日も、こんな綺麗な空だったのかしら」

 と同時に、二人がシレシアの泉で見た星空もこんな空だったのだろうかと考えてはまた気持ちが沈んでいく。


 素敵な誕生日にしたかった。

 シリウスが生まれた大切な日。

 そういえばおば様──お義母様達は3日後にこちらにいらっしゃるという手紙が来ていた。


「何してるのかしら、私……」

 大切な人の誕生日に一人で勝手に悲しくなって、一人で勝手に拗ねて……。

 でも、だけど──。


「私、楽しみにしていたのよ?」

 夜の街に、か細い私の声だけが虚しく響く。


 この先、もう一緒に行けないわけじゃない。

 いつか機会は来るだろう。

 なのに、私と行くよりも先に別の女性と行ったという事実が、鋭い刃となって胸に突き刺さる。


「……子どもみたい」

 そう一人自嘲すると、カツカツと硬い靴音が近づいてくることに気づいた。


「!! 誰!?」

「あなたは──カルバン副騎士団長の?」


 路地裏の暗がりから現れたのは、シリウスの部下であるエルヴァ様だった。

 彼と会うのはあの図書館での一件以来になる。


「こんな夜更けに一人でいったい何を──っ」

 私の方へ足を進めたところで、私の顔を見たエルヴァ様がその足を止めた。


「泣いていたんですか?」

「っ、見ないでください。私なら大丈夫、です。何でもありませんから」


 そう、これは違う。

 星が空にありすぎて一つ二つ落ちて目に入ってきただけだ。

 そう、きっとそうだ。

 と、我ながら苦しい言い訳を心の中で繰り返す。


「……はぁ……」

 ため息!?

「来てください」

「へ?」


 呆けたように口をぽかんと開けたままの私に、エルヴァ様がもう一度繰り返す。

「来てください。……僕、今、夜の見回りの最中なので、貴女を保護する義務があるんで」

「で、でも──」

「わ・か・り・ま・し・た・ね?」

「は、はいぃ……」


 エルヴァ様の圧に、私はただ頷く他なかった。


 ***


 連れてこられたのは、騎士団本部。

 アイリス王立図書館とは反対隣にある騎士寮の一室。


「どうぞ、紅茶です。お口に合うかわかりませんが」

「あ、あの……」

 椅子に座らせられ、目の前のテーブルの上に差し出された紅茶に戸惑っていると、「はぁ‥…」と深いため息が落ちた。


「とりあえず飲んで、落ち着いて。話はそれからでお願いします」

 淡々として呆れたような口ぶりだけれど、その瞳からは心配の色がうかがえる。


「これは事情聴取です。隠すとためになりませんよ?」

「ひぃっ!?」

 にらみを利かせるエルヴァ様に、私は淹れてもらった紅茶を一口飲んでから、ぽつりぽつりと話し始めた。

 もちろん、言葉を選びながら事実のみを淡々と。


 シリウスがロゼさんと帰ってきてからのこと。

 さっきの出来事。

 短くまとめた話を聞き終えると、エルヴァ様は「はぁー……」とまた深くため息をついた。


「セレンシア・ピエラ伯爵令嬢。女性に優しく紳士的なカルバン副騎士団長が唯一硬い表情を向け、言葉少なに相手をする人物」

「!!」

「副騎士団長を困らせるあなたを、皆、困った人だと認識していた」


 言われた言葉に、私は返す言葉がなかった。

 それはそうだろう。


 はたから見ればシリウスの嫌悪に気づかず付きまとう迷惑幼馴染。

 そう思われていても当然なのだ。

 誰もがそう感じていただろう。

 それは、日々の中でも私に伝わっていた。


「だけど実際にあなたに会って、図書館での姿を見て、違和感を覚えた。そして、カルバン副騎士団長の様子を見て、僕らの認識が間違っていたのだと気づいた」

「え?」

 そしてエルヴァ様は、困ったように顔を緩め、つづけた。


「あんなに真剣に私たちに怒りをあらわにしながらも優しい目を向ける存在を、嫌いであるはずがない。そう感じたんです。だから──あの時は、ほんとうにすみませんでした」


 そう言って頭を下げたエルヴァ様に、私は首を大きく左右に振った。

「そう思われるのも仕方がなかったんです。だから、大丈夫です。突然そんな女と結婚したのだから、シリウスを心配するのも、私に苛立ちを覚えるのも理解できます」


 良いこととは思えないけれど、それでもシリウスを本当に慕っているが故だったのだろうと思えば、納得はできる。


「セレンシア様……。……僕は団長には何か抱えているものがあるのだと思います」

「抱えているもの?」

 首をかしげる私に、エルヴァ様がゆっくりと頷いた。


「何か、セレンシア様のためのお考えがあっての行動と思います。僕が見てきた副騎士団長は、そんな軽い男じゃない。……と、思います。もちろん、セレンシア様からしたら他の女と楽しみにしていた場所に行ったという事実は耐えがたい苦痛でしょうけれど……」


 驚いた。

 シリウスの立場だけでなく、私の思いまでわかってくれるとは思っていなかった。

 そんな私の心情を見透かしたかのようにじっとりとした目でエルヴァ様が私を見た。


「意外だ、という顔ですね。こう見えて、観察力と推察力はあるんです。と……、まぁもし今カルバン副騎士団長に会いづらいようであれば、騎士団の空き部屋に泊まっても良いですし、少し、気持ちを落ち着かせてみては?」


 今帰ったとして、きっとシリウスは心配してくれているだろう。

 話をしてくれようとするとも思う。


 だけど今話しても、私の心は落ち着いていかない。

 子どものように拗ねて喚いて……それじゃぁ駄目だ。

 解決にはならない。


 一旦気持ちを落ち着けるため私はその提案に頷くと、「よろしくお願いします」とエルヴァ様に頭を下げた。




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